大津波被災地・メモリアル風景に戻る


      大津波被災地メモリアル・酔仙酒造


ウチノメ屋敷 レンズの目 自然の表情 暮らしの表情 ウチノメアーカイブス
岩手の鍾乳洞 岩手の蘇民祭 ほっづぎある記 心のオアシス
ドキュメント

location:uchinome.jpトップ>ドキュメント大津波被災地・メモリアル風景>酔仙酒造

  サイトマップ


在りし日の酔仙酒造お花見会場・・・

陸前高田市のお花見の場所と言えば、期間が限られてはいましたが酔仙酒造工場の敷地が開放されていました。私も桜の名所を求め、二回ほど訪れたことがあります。広い敷地内にテントが張られ、お年寄りの皆さんもお花見をしていました。この画像は2009年4月17日に撮影したものですが、この年は桜の開花が早かったのかなあと思います。

あいにくの曇り空であり、桜の白い花が曇り空には冴えません。また、敷地の片隅に小さな売店があり、量り売りコーナー「純米大吟醸」の限定販売がありました。量り売り限定販売と知り、並んで買い求めた一人でもあります。


酔仙酒造の歴史・銘柄の由来・・・

※敷地内に工場の由来等が書かれた看板がありましたので紹介致します。

岩手県三陸沿岸の最南端に位置する気仙地方、そこに溢れるほどの自然を背景に、永い伝統を誇る造り酒屋が八軒ありました。昭和19年、国の企業整備令に基づきこの八軒がひとつにまとまり、「気仙造株式会社」を設立しました。これが酔仙酒造の前身です。

商標「酔仙」は、当地出身で大正期に活躍した南宋画家、佐藤華岳齋(1884〜1949)の命名によるもので、この地酒をこよなく愛し「酔うて仙境に入るが如し」と讃え、銘柄を「気仙」から「酔仙」に改めるように薦め、自ら筆をとって水仙の華をあしらったレッテルを贈ったことによるものです。


最初の画像は、正規の工場入り口から見た様子です。狭い道路でしたが両脇に桜並木がありきれいに咲き出していました。また、敷地内には酔仙と書かれた赤い提灯が吊されていました。

入り口の様子 1 入り口の様子 2
入り口の様子 3 入り口の様子 4
造り酒屋のシンボル、杉玉です。たまたまでしたが。歩きながら工場方向を見ていたら、リフトで積まれる寸前の段ボールがありました。 造り酒屋のシンボル杉玉
酔仙酒造の由来看板 集荷を待つオサケの山
工場敷地内駐車場 古い建物ですが本社事務所
製糸工場時代に建てられた一戸建ての住宅、所長をはじめ、上級職員のための社宅も数棟用意されていたと言います。 上級職員のための社宅 1
上級職員のための社宅 2 上級職員のための社宅 3

工場内の通路脇、広場にはかなり多くのソメイヨシノが植えられています。また、広場にはテントやステージが設けられ、これから始まる「陸前高田さくらまつり」の準備がされていました。 お花見会場 1
お花見会場 2 お花見会場 3
お花見会場 4 お花見会場 5
お花見会場 6 お花見会場 7
お花見会場 8 広場のベンチでお花見宴会をしていたのはご老人の皆さんです。「高寿会」と書かれたワンボックスカーがありましたので、近くの老人ホームの皆さんだと思われます。

※陸前高田特別養護老人ホーム 高寿園

登録有形文化財について・・・

平成11年8月に文化財としての登録を受けた建物は、もともとは昭和5年に「県が力を入れる」という意味で名付けられた岩手県是製糸株式会社の高田工場として建てられた製糸工場でした。

当時の従業員のほとんどは、地元の若い女性達でしたが、その女工のための寄宿舎や食堂、浴室、洗濯室、作法見習いや裁縫のための休養室、売店、そして病院までが完備されておりました。また、所長をはじめ上級職員のための一戸建ての社宅も数棟用意され、職住一体の生産体制が布かれていたようです。

総面積7200坪の敷地に立ち並ぶ建物群のうち68%が現存し、特に門衛、事務室、食堂、蚕倉、休養室、診療所、所長宿舎などが比較的原型のまま残っております。

日本の産業の礎でもあった製糸産業の様子や、岩手県における近代産業の発展の歴史を次の世代に伝える建物でもあります。また、女工達のための施設の状況等から、女性の労働史を知る上においても重要な遺産となっております。(※入り口看板から転記)


最後の画像は、期間限定の量り売りコーナーの様子と、咲き誇る桜と椿の画像で締めくくります。ご存知のように、酔仙酒造工場は昨年の大津波で完全に破壊されてしまいました。5月11日に現場の道路を通過していますが、仕込み用の巨大なタンクが数個転がっていたのを覚えています。

売店 1 売店 2
椿と桜のコラボ
満開のお花見会場、ソメイヨシノと赤っぽい桜(品種は不明)