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       大津波被災地・メモリアル風景


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松原の中ですが、あまりにも多い松の木で日射しが届きません。私にとっても唯一の松原画像です。
シーズンオフでもあり、波打ち際が押し寄せた海藻等で汚れています。高田第一中学校の生徒達が海岸をきれいにする奉仕活動の最中でした。

はじめに・・・

三陸海岸の地に生まれ、海の恵みを生活の糧にし、古来から多くの人々が暮らしてきていました。長い歴史の中に、津波という予想すら出来ない自然災害に見舞われ、大勢の人々が生命を失い住む場所を失っていることは歴史の教える周知の事実です。また、繰り返し津波災害に見舞われ人命や貴重な財産を失っても、その都度、言語に絶する苦労と人智の全てを投入し、立ち直ってきていることも忘れてはなりません。

平成二十三年三月十一日午後二時四十六分、三陸沖を震源として予想だにしていなかった大地震が発生しました。過去の記録に残る津波被災を大きく上回る今回の大津波、想定外と言われる自然の猛威に、人の力では防ぐことすら出来なかった今回の大津波でした。海の恵みを受けて人々が生きてきた証を、一瞬にして破壊し消滅させた今回の大津波でした。

被災後一年が経過するというのに、おもな瓦礫等こそは撤去され整理されつつありますが、今まで通りの生活の営みの基本である復興計画も未だに確率されていない現状です。


誰にでも心の故郷があります。たとえ、幼少の頃からその地で育っていても、今とは違う幼き頃の風景や習慣は心の中にがっちりと「原風景」として残っています。そして、昔は良かったなあ・・、そう想い出して幼い頃を偲ぶのが常です。特にも年老いてくると、なおさら幼少時の生活の全てが心の中に浮かび、無性に懐かしくなります。

なおさら、想いで多い生まれ育った地を離れ、遠くで第二の故郷に住まいする様になると、心の原風景であった幼き頃の想い出が次から次へと拡がり、幼い頃を想い出し懐かしむものです。大津波ですっかり様相が変わってしまった三陸の風景、生活の営み、大きく変貌してしまった生まれ育った地、失われたものは二度と同じ形で元に戻すことはできません。かろうじて残された絵や写真から、往事を偲ぶだけだろうと思われます。


大津波で失われた被災地を何回も訪れ、私なりに被災地の今と題してシリーズを組み情報発信をしてきました。この頃思う様になっているのは、失われた当時の街並みや港の撮影記録から画像を拾い、「大津波被災地・メモリアル」としてまとめてみたい想いに駆られていました。たとえ、画像が写真としては粗末なものであっても、現に今、以前の懐かしい光景は残っていませんので、必ずや、ご覧になった方の心に届くものと信じています。また、画像をご覧になり、被災された地域の一日も早い復興と、犠牲になられた方々への鎮魂の想いを抱いてくだされば幸いです。


紹介する画像は、平成に入ってからのフィルムやデジタル画像から構成しています。写真的には不足であっても、今はない当時の様子を忍んでいただければ幸いです。そんなことを心に思いつつ、膨大な記録から画像を探しページを作成をしております。

トップの画像は、幼い頃からの原風景になっている高田松原の様子です。残念なことですが、改めて高田松原を撮影していないことに気がつきました。この画像は、平成二十年九月九日午後二時四十分に訪れた高田松原と海岸の様子です。たまたまでしたが、高田第一中学校の生徒達が浜辺のゴミ拾いをしていました。広い海岸を分担し、生徒達が故郷の財産でもある松原一帯の清掃奉仕活動でした。しかしこの砂浜も、松原も大津波に奪われ何も残っておりません。

今後、保存画像ファイルやプリント写真からデータを作成し可能な限り紹介する予定です。それぞれのページ画像については、撮影日時と場所の短い説明に留めてある事をご容赦下さい。



松原の中ですが、あまりにも多い松の木で日射しが届きません。私にとっても唯一の松原画像です。 高田松原周辺

国の名勝や陸中海岸国立公園に指定され、多くの観光客が訪れる事で知られる高田松原でした。

現在の様子は、大津波で松の木と砂浜が流失し、地震のために2m近く沈降し海面下になっています。

ここでの画像は、在りし日の高田松原海岸の砂浜と松林の様子です。

超人気の量り売りコーナー「純米大吟醸」です。

酔仙酒造

陸前高田市のお花見の場所と言えば、期間が限られてはいましたが酔仙酒造工場の敷地が開放されていました。

私も桜の名所を求め、二回ほど訪れたことがあります。広い敷地内にテントが張られ、お年寄りの皆さんもお花見をしていました。

敷地の片隅に小さな売店があり、量り売りコーナー「純米大吟醸」の限定販売がありました。

広田漁港。

広田地区

幼少の頃この地で生活していたこともあり、私にとっては原風景になっている広田港です。

幼少の頃とは違い、漁港としての施設が整備され、かつての砂浜の面影はありません。

しかし、今までに何度となく訪れている広田地区です。

この画像は、2003年1月12日に撮影した広田漁港の様子です。

大船渡魚市場。 大船渡港

2008年7月23日のことでしたが、大船渡市をメイン会場にし「海フェスタ」が開催されました。

この時、釜石港から遊覧船「はまゆり」に乗船し海上から訪れ、帆船日本丸の総帆展帆や巨大客船「飛鳥U」を船上からの見学です。

あいにくの悪天候で、雷雨・ガスの中のクルージングです。大船渡湾内に入ったら、ガスが晴れ上がりグッドタイミングになりました。
釜石港湾口の灯台。

釜石港

2008年11月2日、遊覧船「はまゆり」に乗船し宮古市とどヶ崎灯台までのクルージングに参加したときの記録です。

この日は快晴であり、海上からの眺めは最高でした。

ガイドの説明が素晴らしく、とどヶ崎灯台までの洋上からの眺めを撮影しながらのクルージングでした。

高速双胴艇はまゆり。 遊覧船はまゆり

昨年の大津波で、ドック入りしたまま流され、民宿の上にうち上げられました。その後、現地で解体された遊覧船「はまゆり」です。

釜石港を基点にし、クルージングのイベントで人気のあった高速双胴艇でした。

私は、2008年のイベントで二回乗船しています。
北浜町付近の岸壁。 山田漁港

若い頃から二回ほど山田町の小中学校に勤務し、広田同様に心の原風景になっている山田です。

ここは山田漁協から北に位置する小型漁船の繋留岸壁と、カキやホタテの加工場のある場所です。

2008年9月15日、海の神様「大杉神社」例大祭で訪れたときに撮影した画像です
散策道路から見下ろした姉吉港。 姉吉漁港

2008年11月2日、はまゆりに乗船しどヶ崎灯台探訪イベントに参加したときの画像です。

姉吉漁港で下船し、浜から尾根伝いの山道に入り灯台まで歩きます。

最初の坂は急坂であり休みながら登りました。見下ろした樹間から、静かに停泊している遊覧船はまゆりが見えていました。
  気仙川河口
  津軽石川河口