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       2013モニュメント・奇跡の一本松


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奇跡の一本松までの通路は工事現場の中にあります。

モニュメント・奇跡の一本松・・・

モニュメント・奇跡の一本松と題して、ほっづぎある記で紹介してから八ヵ月ぶりの訪問になります。永久保存処理された松の木・木部、樹脂加工され復元された一本松の枝振りでした。しかし、天頂部の細かい枝葉の方向がおかしいのではと指摘され再工事が行われました。

再工事後に完成式典等が行われ、夏休みの時期にはかなりの人出で賑わったモニュメント・奇跡の一本松です。前回の続きになるので張り切って出かけたかったのですが、五月の連休に発病した帯状疱疹後神経痛の痛みに悩まされ、悔しかったのですが出かけることが出来ませんでした。

十一月後半でしたが、陸前高田市を訪れ一本松現場を訪れてきました。前回は気楽に一本松まで歩けましたが、今回は現場までの通路が舗装されていました。何よりも驚いたのは、一本松を中心に復興工事が急ピッチで進められていたことです。前回気軽に歩けた通路部分は建設資材や重機等が建ち並び、一本松までの通路を舗装した意味が分かりました。

トップの画像は、一本松を配置しながら復興工事が進んでいる様子を表してみました。高い二本の鉄骨足場にに支えられ、水平に伸びる橋の様に見えますが、資材を運搬する設備の一部でしょうか。高さは10mは越えていそうです。



駐車場から 1

R45脇駐車場から・・・

見学者のための駐車場は前回と同じ場所ですが、かなり広い場所が確保されていました。残念ですが、出入り口からの横断歩道等が設置されず、かなり離れた場所の交差点まで移動しないと安全に横断できないことでした。

車の流れと交通量を見ながら、手を上げて細心の注意を払って横断しました。子ども連れやお年寄りには、かなり大変な横断場所になります。駐車場が海岸側にあれば最高なのですが、被災地指定のために無理でしょう。

駐車場から 2 道路をしばらく歩いた場所に、「奇跡の一本松」と書かれた矢印看板があります。前回は矢印方向が右向きで、道路を横断した場所にありました。


来訪者各位

皆様には工事に伴い大変ご不便をおかけしております。一日も早い復興を目指して事業を進めておりますのでご理解とご協力をお願いいたします。    陸前高田市

                       (※案内看板から)
駐車場から 3 荒れ地の中にアスファルト舗装された通路が設置されています。前回は漠然とした広い通路が設置され、周囲の様子を撮影しながら歩けましたが、今回はこの通路から外れての歩行は出来ません。

左側の塀の内側は、浄水場(汚水処理)だと思いました。

一本松に向かう 1 一本松に向かう・・・

現場までの通路はきちんと整備されており、この矢印に従って歩きます。工事現場の中を歩くので、虎ロープと立ち入り禁止の看板がかなり見えています。

本来ですと工事現場の中ですので、立ち入りや歩行は出来ないはずです。「モニュメント・奇跡の一本松」をみなさんに見て欲しいための通路です。
一本松に向かう 2 仮橋・気仙大橋下流に出現した巨大な櫓です。櫓を引くためのワイヤーが無数に見えており、新設される土砂運搬ベルトコンベア用の吊り橋です。
一本松に向かう 3 しおさい橋の北側に来ました。前回より直線コースで移動するので、比較的歩く距離は短い様に思えました。ここから対岸の一本松を眺めていたら、橋の入り口に看板が置かれていました。

陸中海岸国立公園に指定され、渚百選にも選定された名勝高田松原は、1667年に高田の豪商・菅野杢之助によって植栽されたことが始まりとされています。クロマツやアカマツからなる7万本もの松林は、白砂青松の景観から多くの観光客が訪れる観光地として賑わっていました。
奇跡の一本松説明板。

しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災による大津波によって壊滅的被害を受け、その中で奇跡的に残った一本の松は「奇跡の一本松」と通称されるようになりました。

復興のシンボルとして内外に発信された松ですが、塩水によって根が腐り枯死と判断されました。今後、一本松自体は樹脂コーティングによる人工的な処理を行い、モニュメントとして整備します。

被災前の一本松、左側の大きな松の木になります。

震災前の一本松(2007.4.30 撮影)。

案内板にプリントされた画像から作成した在りし日の一本松です。

しおさい橋は何回も車で通過していますが、車から降りて橋を撮影したことはありません。今となると貴重な当時を知る画像です。

下の画像は、モニュメント・奇跡の一本松です。しおさい橋の通路が半分に仕切られ、通路部分がかなり狭くなっています。左右の画像は対岸から撮影したものです。

一本松に向かう 4 一本松に向かう 5

奇跡の一本松周辺 1 モニュメント奇跡の一本松・・・

しおさい橋を渡り松原に進む道路でしたが、大津波で松原が消失し未だに被災当時と変わらない情景になっています。

下の二枚の画像は、左側が土砂運搬用の吊り橋の工事の様子であり、右側は渡ってきたしおさい橋です。
奇跡の一本松周辺 2 奇跡の一本松周辺 3
モニュメント奇跡の一本松 1 しおさい橋を渡ったに(従来から生えていた場所)広場があり、その中に従前の姿を思い出させる巨大な松の木が立っています。

思わず空を仰いで天頂部を見るのが普通の姿です。何しろ30mほどの巨木ですから先端部は距離があります。レンズで引きつけてみたら、松の枝とは違う白い棒が立っていました。

避雷針でしょうか、よく分かりません。
モニュメント奇跡の一本松 2 限られた見学スペースからの全体撮影像です。かなり広角気味になるので、周囲がゆがんで見えますが仕方ありません。

松が植えられている場所は、チェーンで囲まれた丸い部分であり、周囲にはライトアップ用の照明が設置されています。

松の木根元には大理石(?)で造られた台があり、正面下には献花台と彫り込まれています。

献花台の手前には、レリーフ状の板に「奇跡の一本松」の説明が日本語と英語で刻まれていました。



奇跡の一本松「The Lone Miracle Pine」

平成23年3月11日に発生した東日本大震災津波は、東日本各地に未曾有の被害をもたらしました。陸前高田市においても多くの方が犠牲となり、市街地は壊滅し、市の象徴であった高田松原も失ってしまいました。そんな中、唯一耐え残ったのが「奇蹟の一本松」でした。

献花台 1 献花台 2・・・日本語拡大画像。
献花台 3・・・碑文全体。

震災直後から、陸前高田市民だけでなく全世界の人々に親しまれてきた「奇蹟の一本松」。その後、海水による傷みによって枯死してしまいましたが、陸前高田市では、この一本松を鎮魂・希望・復興の象徴として保存することにいたしまた。

この保存事業は、日本全国、そして世界からの数多くのご支援によって実現したものです。みなさんの想いがこめられた「奇蹟の一本松」は、これからもずっと、わたしたちを見守りつづけます。

                平成25年3月 陸前高田市

モニュメント奇跡の一本松 3 ひっきりなしに訪れる観光客の皆さんです。たまたまですが、離れた場所から全体の姿を撮影していた時です。同年代の男性が献花台の文書を読んでいました。

その姿を見ていたら嬉しくなり、何枚かの画像を撮影していました。その時のお気に入り画像を紹介します。


レリーフに決まれた文字、・・・陸前高田市では、この一本松を鎮魂・希望・復興の象徴として保存することにいたしまた。みなさんの想いがこめられた「奇蹟の一本松」は、これからもずっと、わたしたちを見守りつづけます・・・。

鎮魂・希望・復興のシンボルとしての奇跡の一本松、背景の無残に破壊されたユースホステルとの対比、訪れる人々の心に様々な想いを抱かせると思います。

復興建築現場の様子 1 復興建築現場の様子・・・

最初にも書きましたが、気仙川堤防の方からこの場に来ていたのですが、今は建設資材と大型の橋桁とワイヤーが見えています。

しばし眺めていた私です。この場所に吊り橋・気仙大橋が新築されるのでしょうか・・。後日知ったのは、高台造成地から出る大量の土砂を運搬し、海岸線近くに埋め立てするためのものとのことでした。
復興建築現場の様子 2 復興建築現場の様子 3
破壊された気仙中学校。 気仙川河口近くに建っていた気仙中学校、三階建ての校舎はもろに大津波を受けて大破しました。被災当時の姿がそのままであり、残っているのは鉄筋コンクリートの部分だけです。

いつ見ても、津波被災の怖さを感じさせます。今回もその様子を撮影するために対岸の道路脇に行きましたが、すべて工事現場になっており立ち入り・進入禁止になっていました。

復興が進む気仙川河口付近。山肌に木が一本もないことに気がつきました。
しばらくぶりに訪れた一本松と高田松原被災地です。一本松周辺は工事の最中であり、本来ですと一般人は立ち入り禁止になってもおかしくありません。しかし、先にも書きましたが、「奇跡の一本松」は訪れる皆さんに津波の恐ろしさと共に、たった一本の松が津波に耐えて生き残った姿と逞しさ、そして、希望を感じさせてくれます。

今の世相をじっくりと眺め続ける一本松の姿に、人それぞれの想いを重ねているはずです。いつまでも希望を与えてくれる「奇跡の一本松」です。計画では一本松を中心としたメモリアル公園になるはずと聞いています。


最後に貼り付けた画像をご覧下さい。気仙川河口西側の山が岩山になり、その下にいろんな施設が建設中でした。車からの眺めですからはっきりしませんが、変電所のような大型碍子が並んでいました。将来的にはこの岩山が崩され、消滅した陸前高田市の町並みが戻ってくると思われます。時間がかかっても、かさ上げした土地を建築しないことには町並みが戻りません。・・・そんなこと想いながら撮影していましたし、記事を書きながら再度同じ事が思い浮かびます。                                                  
                                                        (2013.11.30 作成)

※お詫びになりますが、私が現地の吊り橋を見て新しい気仙大橋だとばかり思い込んだのが間違いの始まりでした。
  実際の所は、気仙川の西側にある高台の山(120mほど)を半分以上削り取り、この地に新しい宅地を造成するた
  めのものでした。この吊り橋を使い巨大なビルとコンベアを稼働させ、工事の進行を画期的に進めるための吊り橋
  です。長丁場になりそうですが、工事の詳細については現場を訪れて紹介していく予定です。

                                                        (2014.04.12 追記)
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