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location:uchinome.jpトップ>ドキュメント大津波後の八戸市・蕪島周辺ウミネコ達>被災した大型漁船

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大津波に襲われた魚市場の建物。

八戸市八戸漁港、今回の震災により6mを越す大津波が襲い多数の家屋や漁船が被害を受けました。震災直後の新聞報道で、港に係留中の漁船が街中に流れ込んでいる様子を見ています。あれから二か月以上経過していますので、流れ込んだ漁船やがれき等は見当たらずいつもと変わらない様子に見えました。

しかし、気をつけて見ると漁港の建物は天井部分まで壊れていることに気がつきます。その中でも目に入ったのが原形をとどめないほどに焼けこげた大型漁船です。係留された状態で三隻ほどあったでしょうか、時間が経過していますので赤茶けた船体や、真っ黒に焼けこげた船体があり言葉を失いました。

焼けこげた漁船を見ていたら、側にいた同年代の男性が話しかけてきました。
「・・・火災にあった船はひどいね。これは地元八戸の船ではなくて、宮城の気仙沼港に係留されていたのが津波で火災が生じ、沖合まで流されていたのをここまで引っ張ってきた。99トン型のイカ釣り漁船だが、人は乗っていないので人身被害はなかったそうだ。気仙沼漁港のタンクが燃えていたからね・・・」
「今、あそこで解体しているのはここから津波で陸に流されたイカ釣り船で、三つに分けて解体しているが大変だし金がかかる・・・」


道路脇の空き地で解体されている船がありましたが、青森県陸奥港所属のイカ釣り船でした。目の前の岸壁では、同じ陸奥港所属のイカ釣り船がエンジンを掛けての積み込み作業ををしています。船名も同じで第**の番号が違っていました。

タイトルの画像は、八戸魚市場の建物の様子です。丸い屋根の下の板等がはがれていますので、6mを越す津波の跡が残っていました。海面がここまで上昇し、凄い早さで流れ込みますので巨大な船でも流されてしまいます。

※なお、解体されている漁船や係留中の被災船には、船名がはっきりと残っている場合もあります。ここでは所属漁
  港は残し、船名は船体色と同じに塗りつぶしてあります。


火災で焼けこげた大型漁船・・・

外洋で漂流中の被災船をここまで曳航し、解体をするので繋いでいるとのこと。側に居られた男性から色々のことをお聞きしました。

やがては陸に揚げられ解体されますが、全部がスクラップになるしかないようです。報道によれば、地震発生の日の夕方、漁船造船所の重油タンクが倒れ、それに引火したことにより、係留中の漁船や市街地が火災になった。火勢はなかなか衰えなかったと言います。
火災で焼けこげた大型漁船 1
火災で焼けこげた大型漁船 2
火災で焼けこげた大型漁船 4 火災で焼けこげた大型漁船 5
火災で焼けこげた大型漁船 6
火災で焼けこげた大型漁船 7
火災で焼けこげた大型漁船 8 船首の方から歩きながら撮影しました。外装などの色合いは一切見られないくらい、猛烈な火勢により炎上したと思われます。

木部はほとんど見られません。断熱材でしょうか、グラスウールが一部残っていました。イカ釣りの機械が少し残っていました。

別の火災被災船 別の火災被災船です。黒こげというよりも赤茶けていたくらいです。遠くから見たのみです。
一部分が焼けた漁船 1 最初に見た火災被災船を見たときに、遠くの岸壁に係留された一部分が焼けた漁船です。イカ釣り船ではないようです。

宮城県女川港所属の船でした。
一部分が焼けた漁船 2 一部分が焼けた漁船 3

解体されている被災船・・・

大津波で係留中に埠頭広場から道路に打ち上げられた大型イカ釣り船、解体が進み船首部とブリッジ後半の二つになっていました。

解体されている被災船 1
解体されている被災船 2 船首部の様子ですが、大型重機で分断され内部が見えています。また周辺には、分解された船体の一部や機械の一部が見えていました。

たまたま時計が見えていますが、2時55分を指しています。運命の時刻にはまだ時間がありますが、画像処理しながらタイムスタンプを確認したら、ほぼ同じ時刻です。

二か月半以上も経過した今、この地にあって時を刻んでいたと思うと、何かを訴えていそうな想いに駆られます。
解体されている被災船 3 解体されている被災船 4・・・中央右の時計は動いていました。
解体されている被災船 5 解体する大型重機と、その後ろには船体が半分になった船尾部が見えています。
解体されている被災船 6 撤去されたエンジンでしょうか、大型六気筒ディーゼルエンジンです。似たようなエンジンが側にありました。大型船になると、航行用のメインエンジンと発電用エンジン等があるのでしょう。

解体している広場には、かなりの数の撤去したエンジンが置かれてありました。焼けこげてはいませんので、陸に揚げられ解体された漁船のものと思われます。大きさも色々ありますので、解体された漁船もかなりあったと思われます。
解体されている被災船 7

お話を聞いた男性によれば、エンジンは油で洗浄し分解整備をすれば使えると言います。シートをかぶったエンジンもありますので、二度目のエンジンとして新しい船に乗せられることを期待します。

下の画像は船尾部分解体の様子です。上物はほとんど撤去されていますので船としての原型は分かりません。中央の部分が操舵室等があった部分で、その下のえぐられている部分に巨大なエンジンがあったはずです。

解体されている被災船 8 解体されている被災船 9
解体されている被災船 10 推進するための四枚羽根スクリューと、方向を決める舵です。新聞画像によると、船尾部分が道路まで出て船体がごろんと横になっていた船です。大型のクレーンで持ち上げて道路に平行に移動させ、この場での解体だと思いました。

真下から見上げていると、船名がはっきりと浮かび上がり白波を立てて航行している勇姿が浮かんできます。もっと働きたかった船体でしょうが、解体するしかなかったと思います。

船に心があれば、海に帰りたかったと叫んでいると思われます。残念です・・・。
解体されている被災船 11 解体されている被災船 12
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