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location:uchinome.jpトップ>ドキュメント3.11巨大津波・三陸沿岸被災地の今被災地・陸前高田市>その2

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陸前高田市・市街地・・・

道の駅を過ぎたところで高田松原西交差点を右折し、右手に市街地を見ながら竹駒方面に向かう。両側の様子は建物が流失し、その敷地跡に水が溜まり田んぼのように見えていた。県立高田病院を見ながら走るが、被災地航空画像を見るとほとんどの建物が流失し、うん十年前に見られた戦後の焼け野原を想起させる。かつての市街地が壊滅状態とは信じられない。

被災後二か月でもこの有様なので、震災直後の様子は想像するのが恐ろしくなる。私の学生時代の友人もこの地で被災し、二名の方が亡くなっている。

酔仙酒造付近から坂を上るが、道の両側に醸造用と思える緑色の大型タンクがひしゃげたりつぶれたりして山になったいた。大津波は工場もろとも潰して流してしまった。春の桜の名所として何回か訪れている場所である。

高田一中入り口より上は津波は来ていない。

市街地を見ながら走る 1 市街地を見ながら走る 2
市街地を見ながら走る 3 道路の両側にかつての建物等の区画が見え、その中に取り残された水(海水だろう)が大量に残されていた。

道路の左側に気仙川が位置しているので、松原方面から直接襲来した大津波と気仙川を遡った津波との両方の被害があったと思われる。
市街地を見ながら走る 4 市街地を見ながら走る 5
市街地を見ながら走る 6 市街地を見ながら走る 7・・・息子撮影画像から。
市街地を見ながら走る 8・・・息子撮影画像から。 市街地を見ながら走る 9
市街地を見ながら走る 10・・・息子撮影画像から。 市街地を見ながら走る 11
市街地を見ながら走る 12 道路脇の瓦礫はかなり片付けられており、作業用の車輛がひっきりなしに走っていた。各所に、小山のように積み上げられている瓦礫があった。
市街地を見ながら走る 13・・・JR跨線橋を渡る・ 小高い丘のように見えるが、本来であればこの下をJR大船渡線の線路が通っていたのだが、線路等は完全に流失し痕跡すらない。

道路脇には、高田松原から流れたと思われるアカマツの木がごろんと転がっていた。
市街地を見ながら走る 14 市街地を見ながら走る 15
市街地を見ながら走る 16 市街地を見ながら走る 17
酔仙酒造会社付近 1・・・息子撮影画像から。 JR跨線橋を過ぎると、道路の右手に大型の鉄製タンクの残骸が見えてきた。ここには酔仙酒造会社があった場所で、工場敷地内は桜の木が数多く植えられていた。

4月のお花見シーズンには、工場敷地を開放しサクラ祭りが行われていた。何回か訪問し、楽しませていただいた場所でもある。
酔仙酒造会社付近 2 酔仙酒造会社付近 3
酔仙酒造会社付近 4 巨大な醸造タンク、仕込み中のものや製品等もあったと思われる。

陸前高田市・竹駒地区・・・

高田一中入り口を右手に見ながら坂道を上り切り、下ったところが竹駒地区になる。曲がり角にあったコンビニエンスストアは骨組みだけになっていた。この付近は海岸からかなり離れている(河口から直線距離にして3kmほど)こともあり、津波の襲来は予想出来ない場所である。

しかし、大津波は気仙川を逆流しかなり奥(直線で6km位)まで襲っていた。竹駒小学校や竹駒神社入り口付近、道路脇の民家は破壊されている。こんな場所まで津波に襲われるなんて、誰しも予想はしていなかったはずである。

高田バイパスから気仙川を渡る二つの橋が流失した今、気仙町や気仙沼方面からの道路は西側の狭い道路を利用するしかない。河口から直線距離にして4km以上北にある廻舘橋を渡り、R340号と合流し高田市内に入ることになる。この合流点はかなりの混雑状態であり、警察官の交通整理で誘導をしていた。

竹駒地区 1 竹駒地区 2
竹駒地区 3 竹駒地区 4
竹駒地区 5 前方付近が竹駒小学校、竹駒神社入り口付近になる。神社と小学校は被災していないが、道路脇の民家もほとんど破壊され瓦礫の山になっていた。

この道路はR340(高田街道)であるが、岩手県内陸部や宮城県方面からの唯一の道路になってしまい、交通量がもの凄いことになっていた。
竹駒地区 6 岩手県内陸部からは、R343(大東町経由)を通る道路とR340(住田町経由)が画面中央付近で合流する。この合流点のT字路には交通整理の警察官が常駐していた。

感動的だったのは、ここから上流にある気仙川河川敷でのことである。若い自衛隊の皆さんが数名、海の方向を向いて直立不動の姿勢で黙祷を捧げていた場面を見たことであった。

時刻は15時頃だったと思うが、感動的な場面であった。
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