巨大津波・三陸沿岸被災地 その2に戻る


     三陸沿岸被災地 その2・山田町船越


ウチノメ屋敷 レンズの目 自然の表情 暮らしの表情 ウチノメアーカイブス
岩手の鍾乳洞 ほっづぎある記 心のオアシス ドキュメント

location:uchinome.jpトップ>ドキュメント三陸沿岸被災地 その2>山田町船越

  サイトマップ


前須賀浜にある防潮堤が大津波で決壊し堤防内部が海続きになっている様子です。

6月16日の山田町船越・・・

大津波震災後、山田町を訪れたのは二回目になります。前回は震災後二ヶ月目のことでもあり、瓦礫等が道路を中心に撤去され車で入ることが出来ましたが、車から降りて以前生活していた地域の変わり様を確かめるという心境にはなれませんでした。

三ヶ月後の6月16日、山田町・船越地区を中心に前回とは違い釜石方面から訪れたときの記録です。今回は可能な限り車から降り、カメラをもっての歩きに専念しました。もちろんですが、作業中の皆さんの妨げにならないように配慮し、作業車が頻繁に出入りしている場所を避け、気配りをした事は言うまでもありません。

山田町・船越地区は若い頃の9年間、最後の勤務地として3年間、通算すると12年もの間お世話になった場所であり心の故郷の原点になっています。願わくば細部まで見て歩き、かつての想い出をたどりながら撮影したいのですが、まだまだそこまでは許されない状況だと思います。

最後の勤務地は織笠地区でしたが、住居は大浦の住宅でした。住宅から山道の海岸道路を三年間、朝な夕なに山田湾を見ながら通勤しました。今回は是非とも訪れたかったのですが、大浦街道への工事車両出入りが頻繁なので遠慮しました。年内には訪れてみたいなと思います。

トップの画像は、前須賀浜にある防潮堤が大津波で決壊し堤防内部が海続きになっている様子です。左奥に見えているのが船越小学校で、この校舎まで津波に襲われ使用しては居ません。とにかく砂浜が無くなってのには驚きました。



13:52 道の駅やまだ・・・

R45号を北上し、船越道の駅に入り休憩です。道の駅道路下は鯨と海の科学館や遊園地になっていましたが、両側から押し寄せた津波により完全に破壊されています。

現在は町内から運ばれた瓦礫集積場になっています。作業の車が多く走っていて、浦の浜から田ノ浜方面への乗り入れは無理と判断しました。
道の駅からの眺め 1
道の駅からの眺め 2・・・中央奥は老人介護施設です。 道の駅からの眺め 3
道の駅からの眺め 4 道の駅からの眺め 5・・・杉林下の道路に作業車輛が見えています。

14:15 山ノ内地区・・・

R45号を戻り、船越駅付近の陸橋を越えて前須賀方面に入りました。しかし、道を下りきった場所から道路が決壊して流失しそれ以上は進めません。

何よりも驚いたのは、海岸沿いに造られていた巨大な防潮堤の山ノ内側が決壊し無くなっており、一部は海水が入り込み海と繋がっていたことです。

船越湾を襲った巨大津波は、この場所に集中し堤防を決壊させ山田湾の方向へと向かっています。

山ノ内地区 1・・・奥に見えているのが堤防と船着き場
山ノ内地区 2・・・破壊されて流失した防潮堤。 山ノ内地区 3・・・工場等がありましたが土台のみ残っていました。
荒神神社宮司さんのお宅 知人である荒神神社宮司さんのお宅は流失しなかったようですが、海側に面した一階は破壊されたようでブルーシートが一面に張られていました。宮司さんは避難所で生活しているとのことです。

宮司さんのお宅の周囲は、タブの木が密生し庭がきれいだったのですが津波で削られています。

ここからは、堤防が決壊流失し海とつながっている様子です。かなりの地盤沈下があったと思われます。奥に見えている建物は船越小学校です。
山ノ内地区 4・・・前須賀浜方面です。 山ノ内地区 5・・・防潮堤が決壊し海につながっています。
山ノ内地区 6
堤防の内側には家が建ち並び、山ノ内港の入り口にも工場等がありました。山ノ内港の防波堤では、幼かった息子を連れての釣りを想い出します。秋になると、投げ釣りでアブラメなどが釣れました。

しかし、大津波により壊滅的な被害を被っていました。山ノ内港方面へは入らないで、引き返し前須賀海岸方面に向かいました。
山ノ内地区 7・・・左の延長が浦の浜と山田湾になります。 山ノ内地区 8・・・田ノ浜方向が見えています。
                         次のページへ →