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    三陸沿岸被災地 その2・陸中山田駅周辺


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津波で破壊され火災で焼け焦げた陸中山田駅です。

6月16日の山田駅周辺・・・

船越地区から織笠大橋を渡り山田地区へと入りましたが。高い場所から見える山田湾はいつもと同じ表情で、のどかな海の十和田湖の様相を見せていました。

3月11日14:46三陸沖を震源とする地震が発生。14:49大津波警報発表、全町に避難指示。15:24山田地区は津波が防潮堤を越え8m〜10mに達していたと言います。ほどなくして、プロパンガスの爆発や破壊した車のガソリンに引火し、中心部は火災に見舞われています。(※9月1日発行の広報誌参照)

R45号から駅入り口方向に入り駅前ロータリー跡に車を止めました。誰を待つのか、一台のタクシーが駐車しています。焼け跡の駅舎と尾半ストア、ほとんどが鉄骨のみになっています。車を降りて駅の側まで近づいてみました。焼けこげた駅舎の正面にあるロータリークラブと書かれた時計、指針は15:30と画像から判断しました。駅のホーム付近の高台から見下ろすと、線路、家があったはずの土台が見えるのみで、瓦礫等はほとんど撤去されています。



15:07 飯岡地区の坂道・・・

織笠地区から北上し、この坂を下れば山田地区になります。かつて山田中学校に勤務したときは、この道は生徒たちの通学路であり朝夕には混み合っていました。

大津波がこの坂を越えたかについては、資料がありませんのではっきりとはしません。しかし、この坂道を下ると津波の直撃を受け、鉄筋の建造物以外は破壊され土台のみしか残っていません。

郵便局は建物は残っていますが、津波は中を通り抜けていると思いました。
飯岡地区の道路から 1
飯岡地区の道路から 2 飯岡地区の道路から 3
山田中心街 1

中心街ですが、目標となる建物がないので現在地が定かではありません。最後の画像の右端が「阿部永商店」だったと思います。この十字路を曲がり駅の方へと進みましたが、本当に何もありません。

お世話になった友人の家もありませんでした。

山田中心街 2 山田中心街 3

15:10 陸中山田駅・・・

津波で流され破壊し、その瓦礫等にプロパンボンベの爆発や車のガソリンへの引火、火の勢いは深夜になっても消えずに燃え広がったと言います。

懐かしいかつて駅舎や駅前の家並みは何も残っていません。山田在住当時からほとんどJRは利用しなかったのですが、生徒達を送り出した想い出多い山田駅でした。

砂が大量に流入した駅の構内で、瓦礫や線路等の撤去作業が進められていました。
山田駅前から海岸方面を見る。
山田駅構内 1 山田駅構内 2
山田駅構内 3 上り下りのホームですが、なんとかホームであることが分かるのみです。

ホームの後ろは長崎地区で、高いところに三陸道(山田道路)見えています。

下の画像は、貨車等の引き込み線とホームにかけられた屋根の部分、そして駅舎の南側から見た様子とバックの尾半駅前店になります。火炎の凄さを感じられる焼けこげでした。

山田駅構内 4 焼け焦げた駅舎 1
焼け焦げた駅舎 2 車を駐車したかつての駅前ロータリー、地面には焼け残った釘だらけなので不用意に走ると間違いなくパンクにんります。気をつけなくてはなりません。

「ROTARY INTERNATINAL]と文字が書かれた、入り口上にある大時計です。3:30頃を指して止まっていました。火災で停電したのかも知れません。

焼け残った赤さび状のポストとバスストップの台座部分、駅の中も惨憺たる状態です。
焼け焦げた駅舎 3 焼け焦げた駅舎 4
焼け焦げた駅舎 5 改札口にある案内表示、「釜石方面のお客さ? この1番ホームから?」がぽつんとあり目を惹きました。

改札口越しに、長崎地区の家並みと高速道が見えていました。
尾半ストア駅前店 尾半ストア駅前店、山田在中はここもよく利用したスーパーでした。

ここから役場方面へと移動しました。
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