三陸沿岸被災地 その2・陸中山田駅周辺に戻る

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15:10 山田町役場・・・

海岸線から400m程離れ、6m程(?)街並みより高い場にあった役場は津波の直撃は無かったと思われます。

画像から分かるのは、役場の下まで津波の直撃を受け火災に見舞われていることです。左隣には八幡神社、右隣には中央公民館があります。

頑丈な造りの蔵ですが、外部はそのままでも内部に火が入り鉄製の扉が錆びていました。

山田町役場周辺 1
山田町役場周辺 2 山田町役場周辺 3
山田町役場周辺 4 役場を撮影した場所から海岸方面を見た様子です。焼け跡の状態からは、かつての様子が思い出せません。ここからR45号に出て、尾半ストアを横に見ながら北浜町を北上し、関口川の橋を渡りました。

丁字路の交差点は信号機が作動せず、警察官が現場で交通整理をしていました。ここから三陸道に入り、家に戻ることにしました。

魚市場や長崎地区の様子も知りたかったのですが、時間等のこともあり今回は訪れていません。


三陸道から見た被災地・・・

部分開通している三陸自動車道は高い場所を通り、震災以前から何度も走っています。しかし、高速道路であり駐停車が厳禁ですしパーキングもありません。今までも山田町の眺めを撮影したいなと思いつつ出来ませんでした。今回は大津波に被災した山田町と鵜住居地区の様子を撮影しました。しかし、運転しながらの撮影はできませんので、助手席の息子の出番になりました。

助手席窓ガラスを開け真横にカメラを設置し、フェンスの切れ目を確認しながら指示をして撮影してもらいました。時速80km近くの流れになっていますが、山田町中心地や織笠大橋付近、釜石市鵜住居地区の記録です。

15:25 山田町中心部・・・

高速道から見た山田湾はいつもの表情であり、海を見る限り大津波に襲われたとは思えません。画面中央の少左寄りに山田駅のホームが見えていますし、さらに左には真っ直ぐ延びる道路が分かります。長崎地区のメイン道路になります。長崎地区までは津波は到達していないように思えました。

湾内を良く見ると所々に養殖用の筏が見えています。これは、津波で破壊され流失した物が一ヵ所に集められた状態になっていると思われます。以前は山田湾内は養殖業が盛んであり、ホタテ、カキ、ホヤ等の筏が整然と並んでいました。今はその面影すら見られず残念に思います。

この記事を書いているのが、3月11日の大津波から奇しくも半年経った日です。撮影してから3カ月経過していますので、現在の状態ではありません。日に日に復旧作業が進み、一日も早い漁業の町・山田町になって欲しいと願う気持ちで一杯です。

三陸道山田道路から見た山田中心地 1
三陸道山田道路から見た山田中心地 2

織笠地区中心部・・・

9月1日付の山田町広報誌「東日本大震災の記録ー後世に残し伝えるためにー」の記事によると、15:22山田湾口から4〜5mの波を確認、15:24山田地区で津波が防潮堤を越える・・、と記載されています。詳細記事によると、津波の高さは、山田湾内で8〜10m、船越で15m、田の浜で18m、小谷鳥では25mと推測されています。

津波の力は、何トンもある防潮堤をいとも簡単になぎ倒すほど強大なものであった。その後、激しい押し波と引き波を何度もくり返した・・・。


山田湾口が見えてきました。外洋に面する湾口はおよそ1000m程あり、中で大きな湖の様に広がり海の十和田湖と称されています。上記の記事によると、湾口で5mぐらい(目視)の津波が町を襲ったときには10m位になり、防潮堤を軽く乗り越えて街の中を壊滅状態にしました。

ここ織笠地区中心部も同じ状態であり、旧R45号に架かる橋が流失しています。最後の画像の中心には流失しなかった橋が見えていますが、その延長の左に橋がありその上流は鮭の川開きが行われる場所でした。また、橋の延長右側にはJR織笠駅がありましたが、駅舎も線路も完全になくなっています。重機が見えている場所が駅舎でした。かろうじてホームの跡が分かります。

のどかな山田湾の様子、オランダ島の一部と小島が何事もなかったように見えているのが印象的でした。織笠大橋が完成するまではこの橋がR45号のメイン道路であり、狭く曲がりくねった織笠地区はすれ違い等が大変だったことを思い出します。

三陸道山田道路から見た織笠中心地と織笠大橋 1
三陸道山田道路から見た織笠中心地と織笠大橋 2
三陸道山田道路から見た織笠中心地と織笠大橋 3・・・中央下に橋がありますが、3年間ここを走り勤務地まで通いました。

15:53 鵜住居地区南側・・・

船越地区南で三陸道を降り、R45号を南下し鵜住居に入る手前から、先頃開通したばかりの三陸道に入り釜石市に向かいます。鵜住居からの高速道はかなり山の中を走りますので、車からの景観は山とトンネルがあるのみです。かろうじて鵜住居地区南側が見えているのみでした。出口は釜石テレトラックの南側になっていました。
三陸自動車道から見た鵜住居南側の街並み 1

16:23 釜石市内から仙人自動車道へ・・・

釜石市内に入り、津波に被災した市街地を通過し甲子地区を過ぎた所で仙人自動車道に入ります。この道路はトンネルと甲子地区の標高差がかなりあり、勾配がきつい状態です。遠野側から釜石方向にに進んでくると、高速道出口付近で段丘状態の場所が二ヵ所ほどあります。

3月11日の地震発生当時のことですが、仙人自動車道がしばらく通行不能になりました。はっきりとした情報がありませんでしたが、切り通しの法面(のりめん)の崩れや橋の崩落等が予想されました。今回、家から釜石に向かう際に気がつきましたが、どうやら甲子跨線橋の取り付け部分が陥没したようです。

帰りに現場を通過するときに息子に撮影してもらいましたが、跨線橋と道路との接続場所が地震で陥没していました。50cm位はありそうで、道路の補修にアスファルトを盛ったので平面になっていますが、両側にあるフェンスの曲がりがはっきりとその事実を示しています。

仙人自動車道甲子跨線橋釜石側の陥没の様子。

おわりに・・・

6月16日の全行程は、およそ250km程でした。釜石市の浜町通り、両石、鵜住居、大槌町の中心街と吉里吉里、浪板海岸、山田町の船越地区(山ノ内、前須賀、田ノ浜)と山田駅周辺を可能な限り車から降りて、記憶している以前の様子と対比させながら撮影しています。

平成4年から3年間生活していた大浦地区には未だに訪れる機会がありません。「広報やまだ」9月1日号を見て驚いたのは、大浦地区の小谷鳥海岸でした。外洋の直撃を受けて壊滅状態になったとは信じられません。山田町の公表した大津波の推定波高は25mと言います。家の後ろに23m程の鉄塔がありますが、それを越える波高は想像もできません。秋口にでも以前住んでいた大浦地区を訪れたいと思います。(※9月11日最終記事書き込み)
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