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location:uchinome.jpトップ>ドキュメント>三陸沿岸被災地 その2>陸中山田町・大浦地区 |
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大浦地区について・・・ 大浦地区は平成8年3月に山田を離れてから訪れていませんので、本当にしばらくぶりに海沿いの道路を走ることになりました。認識不足だったのは、あれからボート(連絡船)が廃止され陸路のバス輸送に切り替わったこともあり、途中までは普通の二車線道路になっていたことでした。海岸線に沿ったつづらおりの旧道は下の方にあり、狭い道を走った懐かしい想いが出てきました。 |
大浦漁港・・・ 大浦地区に入り海沿いの道路を走りました。防潮堤は壊れていないものの、付近の家は何もなく土台が残るのみであった。あれから7カ月経過しているので、瓦礫等はほとんど片付けられています。行き止まりになる場所まで車で入り、そこから上の道路に出て霞露ケ岳神社を見ながら海岸に降りました。3年間生活していた教員住宅(漁村センター後ろ)に寄ろうと思いましたが、広場には仮設住宅が建てられ車が多かったのでちらりと見たのみでした。 防潮堤をくぐり岸壁道路に出てみました。岸壁の厚いコンクリートが破壊され、重機が入り撤去と埋め立て中でした。ほとんど瓦礫等は見られませんが、「撤去OK」とペンキで描かれた廃船が一隻置かれてありました。 ※報道資料から山田町船越半島の山田湾側に位置し、ワカメやホタテ、カキの養殖が行われていました。漁協に登録されている漁 船は230隻ほどあり、113隻が被災した。 |
津波避難通路・・・ 津波警報が発令されると、防潮堤(高さ7m位)の水門が閉じられ出入りができなくなります。非常時に使用する通路と言うことで(私の判断ですが)、防潮堤を越えるための階段通路が設置されていました。単なる階段ではなく、防潮堤の上に設置された大がかりなアルミ製の通路でした。 今まで気がつかなかったこともあり、ここに上り高いところから周囲を眺めてみました。津波で被災した跡地、岸壁の工事状況がはっきりと分かります。ここからの展望が素晴らしいと書いたら叱られそうですが、平常時は展望台としての広場等も設置されていました。以下、ここから眺めた様子をまとめてみました。 ※平成5年頃のことになりますが、都内に勤務している息子が大浦の住宅に遊びに来ました。四方が海ですから、時 間を問わずに海釣りをしていました。ある時のことですが、二人で湾内岸壁に夜釣りに出ていました。突然サイレン が鳴り、津波警報が発令されました。 水門から遠くに居たのですが、気にすることなく「津波が来るの?・・」位の気持ちでした。突然、がちゃん・がちゃん と水門が閉まる音が聞こえてきました。昼間ならばともかく暗い夜のことですから、岸壁から出る道が閉ざされたら 大変なことになります。慌てて釣り道具を片付けて戻った事を想い出します。 そう言えば、湾内には下水処理場とがありましたがどうなったのでしょうか。仮に津波による被害があったとしても、 ライフラインに関わることですからすでに修理等が行われているのかも知れません。 |
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