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     2011陸前高田・黒崎神社例大祭・鎮魂


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津波でお亡くなりになった方々への鎮魂・・・

境内広場には多くの大漁旗が吊されています。その中に「祝第二十八不動丸」と書かれた進水記念の旗があり、さらしに書かれた墨書に目がいきました。「黒崎 絆 神社」「御神輿に託すみらい 負けないふるさと広田の復興」と書かれてあります。

虎舞二回目の奉納の時、梯子の下に行き虎舞組の若者達を見ていました。梯子の下には、今回の大津波で被災し亡くなった方の遺影が正面を向いて置かれています。あり日の元気な姿を見ていると、ぐっとこみ上げてくるものがありました。大きな写真二枚と小さい写真三枚、いつもと変わらぬ表情で会場を見ています。遺影を撮影することを迷ったのですが、私にできる供養は皆さんに知っていただくことだと判断しました。

側にいた虎舞組の若者に、「亡くなったの?」と分かっていても声をかけたら「そうです」とのこと。仲間の悲しみ、何よりも今日の日を待っていただろうなあと遺影に思いをはせると、こみ上げるものがあり手を合わせていた私です。

同じような鎮魂の想いが神社境内にも貼られてありました。大きな色紙に、津波で行方不明になっている娘さんに思いをはせている母親の悲痛な気持ちが綴られ、じっと見つめて読んでいると涙が出てきます。この場に来て読まれた方は、心にぐっと来るむなしさと鎮魂の気持ちを抑えられなかったと思います。

遺影の掲示については不謹慎なことだと思いますが、私にできる唯一の鎮魂の気持ちであることをお許し下さい。

新造船の旗に書かれた墨書。
津波で亡くなった虎舞組の皆さんの遺影。
行方不明の娘さんへの想い、心にぐっときます。


終わりに・・・

大津波による被災地での祭典です。例年開催されている地域を挙げての出し物がないのは、大津波震災直後のことでもあり仕方のないことです。しかし、各種の団体が復興支援のために訪れて盛り上げてくれたことは、地域に住む皆さんへの大きな励ましの声となったと確信します。広田出身のシンガーソングライター「長野泰昌さん」のステージ、楽しみにしていたのですが、私の予定による時間の関係から見られなかったのが残念でした。

広田保育園児による七福神、地域のこれからを担う幼い芽が育ちつつあるのを見て嬉しくなりました。4年後の例大祭は、広田全地域からの出し物等の出演があるものと信じます。また、「根崎はしご虎舞」が大津波被災を乗り越え、逞しく復旧・復興する広田の地域づくりにつながるものと願ってやみません。


出演団体一覧・・・

七福神・・広田保育園園児、和風ゴスペルユニット・・東京都 天国民、長野泰昌・・シンガーソングライター、ヨサコイソーラン・・奥州市夢舞チーム・紅翔連チーム、和太鼓・・大船渡商工会議所婦人部、民謡・演歌・・広田町出身。



黒崎神社例大祭に御祝いをさし上げたお礼状が届きました。抜粋で文面を紹介し私からのお礼に致します。

さて、このたびの黒崎神社例大祭御神幸祭・東日本大震災後復興祈願祭の開催につきましては、あまりの被害の大きさから祭り開催を断念した時期もございましたが、皆々様からの後押しにより、急転直下での開催となりました。

いざ蓋を開けてみますと事前予想を遙かに超える盛り上がりで、町内外からの来客者はもちろん、氏子一同も、この日ばかりは大震災の被害を忘れ、晴れやかな気持ちで祭りを楽しむことができました。

そして、広田の町民は決して挫けてばかりいないぞ、必ずや復旧・復興を果たすぞというメッセージを全国に発信することができたものと考えております。これも偏に皆々様のひとかたならぬお力添えの賜物であり衷心よりお礼を申し上げます。

また今後は、祭りを盛会裡に終えることができた自信とエネルギーをさらなる生活の充実に向け邁進する所存ですので、今後とも広田を温かく見守って下さるよう願い申し上げます。


        私の心の故郷広田、一日も早い復興を祈念します・・・。