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鶴樹神社境内にて・・・

十一時頃、鶴樹神社まで出かけてみました。小高い丘の上にあり結構人出があります。狭い石段を上ると途中で直角に曲がり、そこに鳥居がありました。鳥居の扁額には鶴樹神社と書かれています。そこから真っ直ぐ登ったところに神社がありその正面に神輿が置かれています。出番を待つためか、神輿担ぎの男性達がかなり休んでいました。

隣にもう一つ神社があったのですが、周囲の人出に臆して側まで行って撮影することが出来ません。何という神社なのか、それとも別宮なのかは分からないままでした。たまたまでしたが、腕章を着けた記録係の男性が近くにいたので「神輿は何時に出るの?・・」とお聞きしたら、「虎舞の二回目に併せて十一時半に出かけます」とのことでした。
「螺鳴嶋神社」と書かれた幟旗が入り口にありました。 参道入り口には大きな幟旗が両側に二基ありますが、幟旗に書かれてある文字を見て「何で?・・」となりました。

鶴樹神社とばかり思っていたのですが、何故か「螺鳴嶋神社」とあったからです。しかも、参拝記念と書かれてあります。

神事は終わった様子で、正装した氏子の皆さんが待機していました。狭いところで自由に動けませんが、なんとか神社の様子を撮影しました。
鶴樹神社境内の様子 1 鶴樹神社境内の様子 2
鶴樹神社境内の様子 3 鶴樹神社境内の様子 4
鶴樹神社境内の様子 5 神輿渡御まで時間がありますので、担ぎ手の男性達はゆっくりと待機していました。狭い通路と急勾配の石段ですから神輿を担いで降りるのは大変だなあと思いました。
鶴樹神社境内の様子 6 十一時半になる頃「下に移動して・・」の指示があり、私も邪魔にならないように下の道路まで降りました。
鶴樹神社境内から見た根岬漁港。 境内から見た根岬漁港の全景です。防潮堤後ろの広場に梯子が建てられ、大漁旗がはためいていました。青空の下快晴であり、陽射しが強すぎて人物撮影に支障があるくらいでした。

螺鳴嶋神社とは・・・

神輿出発が近くなったので下の道路で行列を待っていたら、赤い幟を手にした高齢の女性が腰を曲げながら立っていました。先ほどの幟旗の文字が気になっていたので思い切ってお聞きしてみました。

「あの幟旗はなんと読むのですか?」、そしたら「ほらなりじま神社だよ」とのことです。「どういう意味ですか?」、「昔は椿島のことをほらなりじまと呼び、そこに神社があったの。そして、かなり昔に陸に移したの・・」

と言うことは、鶴樹神社の別名がほらなりじま神社と言うことになるのでしょうか・・、そこまでは分かりませんでした。赤い幟を手にしていたので、「先頭を歩くの?・・」とお聞きしたら「神輿について歩くの・・」とのことです。元気印のおばあちゃん(失礼)に感心しました。

鶴樹神社には神社の由来等を書いた看板がありませんでした。おばあちゃんの話された「ほらなりじま神社」が頭から離れなかった私は、ネット検索で資料を探してみました。ラッキーだったのは、陸前高田市広報誌のバックナンバーに記載があったことです。ここではその記事を紹介したいと思います。


地元学のススメ(57) 鶴樹神社について

・・螺鳴島・・


広田半島南東部に鎮座する鶴樹神社を訪ね、地元で定置網の船頭をしている菅野さんに案内してもらった。

鶴樹神社は弘仁年間(809〜822)、真言宗開祖の空海(弘法大師)が巡錫の折り、この鶴樹の地に祠を建て、弁財天の木像を安置したのが創始とされています。さらに、仁寿年間(851〜854)、慈覚大師が螺鳴島(ほらなりしま)に上り、弁財天の祠を建てて鶴樹神社の祠から遙拝(遠い場所から神仏などを拝むこと)するよう定めたと伝えられています。

昔は椿島のことを「螺鳴島」と言ったそうだ。大小の岩礁に囲まれたこの島はその昔、潮の出入りによって一種独特の音色を響かせていた。それを耳にした村人は、貝殻から発するものと信じ螺鳴島という名前を付けた。今でも地元民は「けぁなり(螺鳴)」と呼んでいるそうだ。

また、空海が安置した鶴樹神社の御神体は、空海自身による手彫りの木像と伝えられており、約千二百年前の空海作の像が今も現存することにとても驚いた。

さて、根崎地区には古くから伝わる郷土芸能「根崎梯子虎舞」がある。これについても聞いてみた。根崎虎舞は寛政年間(1789〜1801)にこの地に伝承されたといわれ、約五十度の傾斜で立てられた長さ約二十メートルの梯子の上で、曲芸的な踊りを舞います。正式には「風流唐獅子曲乗りの体」と言います。

同虎舞は市の無形文化財にも指定されており、地元鶴樹神社の例大祭で奉納される。境内からは根崎の海を一望することができ、太陽の光が波に乱反射するその様は、まるで螺鳴島に宿る弁財天の後光がさしているように見えた。

神社の巻 その十七 「鶴樹神社」・・・広田町根崎地区 案内人 菅野源司さん。

2006年(平成18年12月1日号)より

神輿渡御 1・・・氏子総代を先頭に行列が始まりました。 神輿渡御・・・

11:30、二回目の奉納虎舞が始まり神輿渡御が始まりました。行列はかなり多くの地元の方々が参加し、道路一杯に拡がって海岸を目指します。

撮影するのは私だけであり、賑やかに進んでいく行列の皆さんが、「何撮影しているの?・・」そんな目線で見る方がかなりあり、逆に私の方が緊張したほどです。
神輿渡御 2・・・一本歯の足駄を履く猿田彦命役の男性。 神輿渡御にはおきまりの猿田彦命、天狗の面を付けてはいませんが一本歯の足駄を履き、鉾を手にしてゆっくりと歩いてきます。

ここからの画像は氏子の皆さんの行列になりますが、私を見つめる皆さんの目線が気になりました。
神輿渡御 3 神輿渡御 4・・・何撮ってるるのや、そんな声が聞こえそうでした。
神輿渡御 5 神輿渡御 6
神輿渡御 7・・・赤い幟をもつ方が元気印の阿ばあちゃん。 「螺鳴嶋神社」と書かれた幟旗と、右端の赤い幟旗を手にする高齢の女性です。この方から「螺鳴嶋神社」の読み方と由来をお聞きしました。

神輿担ぐ男性達は、「じょうさい、じょうさい」とかけ声をあげながら楽しんで(失礼)渡御しているようでした。
神輿渡御 8・・・篭で出来た大きな賽銭箱です。 神輿渡御 9・・・清めの塩をまく男性。
神輿渡御 10 私が居る前まで来る途中、あっちは行きこっちへ来てと道路一杯に動き回り、勢いつき過ぎて道路から落ちそうになったりしていました。

先頭の方が道路から外れそうになり、慌てて担ぎ棒にしがみついて皆さん大笑いです。やがて神輿は、防潮堤入り口から広場へと向かいます。
神輿渡御 11 神輿渡御 12・・・道路から落ちそうになり担ぎ棒にぶら下がった男性。
神輿渡御 13 神輿渡御 14・・・防潮堤から広場に入ります。

広場を練り歩く神輿 1 広場を練り歩く神輿・・・

思ったよりも人出が少なく、地元女性の皆さんがアトラクションとして踊る場所には誰も入りません。神輿は広場をあちこちと練り歩きます。撮影している私からは逆光線状態になり、色合い表現が厳しくなりました。

神輿の先頭で塩をまいて清めていますが、まかれた塩が光っていたのが印象的でした。

神輿が練り歩く頭上では、二回目の梯子虎舞の奉納演技が行われています。お囃子の太鼓の音が、神輿渡御に併せているようにも思えました。
広場を練り歩く神輿 2 広場を練り歩く神輿 3
梯子虎舞小太鼓の皆さん。 二回目の奉納演技が始まりました。
小太鼓の後ろから見た神輿。 小太鼓のばちの間から見た神輿です。アングルが見下ろすようになれば良かったのですが、場所的に無理でした。
梯子虎舞演技と神輿練り歩き 1 梯子虎舞演技と神輿練り歩き(渡御)のコラボレージョン、虎舞が才坊に誘われて最上段に向かうところです。

下の画像左側は最上段に立ち、右側は大きく前に落ちる動作です。

来年開催される黒崎神社例大祭では、梯子虎舞と神輿渡御御のコラボレーションがあるのでしょうか・・。すごく興味があります。
梯子虎舞演技と神輿練り歩き 2 梯子虎舞演技と神輿練り歩き 3


アトラクションの子ども達と女性達の手踊り・・・

このアトラクションは、一回目の奉納演技の後に行われたものです。最初は揃いの衣装を身につけた女性達の手踊りでした。広場には区画のラインが引かれ、中央には十の字の印があります。この位置に女性達が立ち手踊りの披露でした。

見物する方はほとんど海岸側にいましたので、すべて後ろから見ることになります。正面に鎮座する神社に奉納する手踊りですから仕方ないのですが、ちょっぴり残念に思ったのは私だけではないと思いました。

「みっさいな、みっさいな・・」のかけ声で始まった愉快で可愛い子ども達(全部男の子)による七福神舞でした。この場合は姿勢を替えますので後ろや横を向くことが多いのです。その時をねらって撮影してみました。紹介するのは七福神全員ではありませんがお許し下さい。

アトラクションの七福神舞 1 アトラクションの七福神舞 2
アトラクションの七福神舞 3 アトラクションの七福神舞 4・・・一番可愛らしかった男の子。
アトラクションの七福神舞 5・・・兄弟でしょうか、左の弟が上手でした。 アトラクションの七福神舞 6
広場から見た神社、左側の瓦屋根が鶴樹神社でした ここからは二回目のアトラクションから撮影したものになります。一回目は広場から撮影しましたが、二回目は堤防の上から見下ろしての撮影です。
防潮堤の上から見た手踊りの女性達。 人出の規模がお分かりかと思います。


根岬漁港の様子・・・

広田で撮影した画像を紹介すると、決まって子どもの頃にタイムスリップした文章になります。

根岬地区の東の海には椿島と青松島があり、かつては無かった防潮堤とテトラポットで仕切られた防波堤がありました。ここは子どもの頃、友人の家(確か集地区と記憶していますが)に何回となく遊びに来ていましたので、当時はごろ石(漬け物石位の大きさ)の浜であった記憶があります。

いつのことか分かりませんが、テトラポットが入り江の沖に置かれ、その内側に防波堤が造られて入り江になっています。あの当時(64年前のことですが)遊んだ同級生も元気でおられれば、今日の神輿の行列に参加しているのだろなと懐かしく思いました。

根岬漁港入り口 根岬漁港須賀は石浜です。
テトラポット越しに見る青増島と椿島。 中央の島は「青松島」で、左端の中央にあるのが「椿島」です。椿島は当時から上陸禁止であり、ウミネコの繁殖地としても知られています。

子どもの頃の記憶ですが、父親が地元の漁師から頂いたウミネコの卵を食べたことがあります。卵の大きさは鶏卵より大きく、中身が緑っぽかったことを覚えています。今では産卵地のウミネコは保護されていますから、卵の採取はおろか間違っても食べることなんて出来ませんね。

64年ほど前の終戦直後秘話です・・。
椿島遠望 中央に見えるのが椿島です。その昔、大小の岩礁に囲まれたこの島は潮の出入りによって一種独特の音色を響かせていた。

それを耳にした村人は、貝殻から発するものと信じ螺鳴島という名前を付けた。今でも地元民は「けぁなり(螺鳴)」と呼んでいるそうだ。


今にして知る椿島の歴史でした。
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