螺鳴嶋神社とは・・・
神輿出発が近くなったので下の道路で行列を待っていたら、赤い幟を手にした高齢の女性が腰を曲げながら立っていました。先ほどの幟旗の文字が気になっていたので思い切ってお聞きしてみました。
「あの幟旗はなんと読むのですか?」、そしたら「ほらなりじま神社だよ」とのことです。「どういう意味ですか?」、「昔は椿島のことをほらなりじまと呼び、そこに神社があったの。そして、かなり昔に陸に移したの・・」。
と言うことは、鶴樹神社の別名がほらなりじま神社と言うことになるのでしょうか・・、そこまでは分かりませんでした。赤い幟を手にしていたので、「先頭を歩くの?・・」とお聞きしたら「神輿について歩くの・・」とのことです。元気印のおばあちゃん(失礼)に感心しました。
鶴樹神社には神社の由来等を書いた看板がありませんでした。おばあちゃんの話された「ほらなりじま神社」が頭から離れなかった私は、ネット検索で資料を探してみました。ラッキーだったのは、陸前高田市広報誌のバックナンバーに記載があったことです。ここではその記事を紹介したいと思います。
地元学のススメ(57) 鶴樹神社について
・・螺鳴島・・
広田半島南東部に鎮座する鶴樹神社を訪ね、地元で定置網の船頭をしている菅野さんに案内してもらった。
鶴樹神社は弘仁年間(809〜822)、真言宗開祖の空海(弘法大師)が巡錫の折り、この鶴樹の地に祠を建て、弁財天の木像を安置したのが創始とされています。さらに、仁寿年間(851〜854)、慈覚大師が螺鳴島(ほらなりしま)に上り、弁財天の祠を建てて鶴樹神社の祠から遙拝(遠い場所から神仏などを拝むこと)するよう定めたと伝えられています。
昔は椿島のことを「螺鳴島」と言ったそうだ。大小の岩礁に囲まれたこの島はその昔、潮の出入りによって一種独特の音色を響かせていた。それを耳にした村人は、貝殻から発するものと信じ螺鳴島という名前を付けた。今でも地元民は「けぁなり(螺鳴)」と呼んでいるそうだ。
また、空海が安置した鶴樹神社の御神体は、空海自身による手彫りの木像と伝えられており、約千二百年前の空海作の像が今も現存することにとても驚いた。
さて、根崎地区には古くから伝わる郷土芸能「根崎梯子虎舞」がある。これについても聞いてみた。根崎虎舞は寛政年間(1789〜1801)にこの地に伝承されたといわれ、約五十度の傾斜で立てられた長さ約二十メートルの梯子の上で、曲芸的な踊りを舞います。正式には「風流唐獅子曲乗りの体」と言います。
同虎舞は市の無形文化財にも指定されており、地元鶴樹神社の例大祭で奉納される。境内からは根崎の海を一望することができ、太陽の光が波に乱反射するその様は、まるで螺鳴島に宿る弁財天の後光がさしているように見えた。
神社の巻 その十七 「鶴樹神社」・・・広田町根崎地区 案内人 菅野源司さん。
2006年(平成18年12月1日号)より |