2011年花巻市・全国泣き相撲大会に戻る

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豆力士神社で御祈祷・・・

これより泣き相撲参加豆力士は、相撲甚句の唄に乗って三熊野神社に山神し健康祈願のご祈祷を致します。相撲甚句歌い手は、第一回岩手日々杯相撲甚句大会優勝者の菊池真一さんです。

「はあ どすこいどすこい」・・で始まるおなじみ相撲甚句、澄み切った青空に吸い込まれるような歌声でした。

相撲甚句を謡う菊池さん
神社に参拝する行列 1 境内下の通路に整列した豆力士親子は、東方、西方二列に別れて境内から本殿まで入ります。この場面は、二回目の土俵入りの時に撮影したものです。一回目は場所取りをしていたこともあり、動けなかったからです。

見事な相撲甚句に導かれました豆力士の皆様方は、ただ今三熊野神社へ到着いたしました。

神社に参拝する行列 2 神社に参拝する行列 3
神社に参拝する行列 4・・・裃姿は親方です。
本殿ではその後、幼児成長祈願祭が行われます。会場の放送から案内が聞こえてきました。

これより東西に分かれて着座し、健康祈願のご祈祷を受けます。ただ今より全国泣き相撲大会幼児成長祈願祭を執り行います。東方にお座りの皆様、お祓い申し上げます。東方、西方の順に低頭しお祓いを受け、宮司から祝詞奏上を受けます。

この場面は撮影しておりません。


いよいよ土俵入りで御座います。社殿におきまして豆力士の成長祈願が無事終了したようで御座います。これより土俵入りで御座います。東西花道に分かれて整列をいたします。・・・ここで泣き相撲の由来が述べられる・・・

熊野神社十二番角力式(泣き相撲)・・・

ここで行われる泣き相撲は、古くから三熊野神社の特殊行事で、正式には九月の例祭に行う十二番角力の式のことを言います。

言い伝えによると、延暦年中(782〜808)坂上田村麻呂がこの地で部下に相撲を取らせたのが始まりと伝えられます。その後、猿ケ石川を境とした南・北成島の青年(二十二歳)による相撲は、勝利した方に豊作をもたらすという占いが流血の争いとなったことから宝永三年(1706)神社氏子の長男で、数え二歳の幼児による泣き相撲にかわり、南北にわかれ六組で取り組みを行い、先に泣き出した方が負けと決められています。現在は幼児成長と豊作を御乗る行事として続けられています。

江戸時代から続く民俗行事であることから、平成五年に町の無形民族文化財に指定されています。
(※境内の案内板から)

間もなく泣き相撲に参加する豆力士はこの土俵脇に入場して参ります。その前に、会場の皆様と掛け声の練習をいたしたいと思います。取り組みは、親方という人に抱かれまして、東西で顔を合わせて拝礼を致します。その時の掛け声は「よーっ、よーっ」と二回かけられます。

ご入場の前に皆様にお知らせとお願いで御座います。このたびの大地震により被災されました皆様方に心からお見舞いを申し上げます。なお、この会場に募金箱を置かせていただいております。お預かりしたしました募金は日本赤十字社を通じまして被災されました皆様方にお届けいたしますので、皆様方のご協力をお願いいたします。

豆力士土俵入り・・・

大麻を手にした神官が先頭になり、神社から花道を通り土俵に入ります。神官の後ろからは四名の親方が裃姿で入場してきます。
花道を通り土俵に登る 1
花道を通り土俵に登る 2 花道を通り土俵に登る 3
儀式の準備をする親方 主催者と神官のみなさん
土俵入りを待つ土俵です 土俵を挟んで、北側には神官・主催者が座っています。南側には四名の親方が座り、これから豆力士の土俵入りが始まります。

これより平成23年第24回毘沙門まつり全国泣き相撲大会千秋楽千秋楽第一回目の入場で御座います。

「東方、小太郎ちゃん花巻市出身後藤部屋」と呼び出し、入り口の呼び出し係でしょうか「ちょん」と拍子木が一回打たれます。

読み上げを聞いていますと、ほとんどは県内近隣の市町村の方ですが、秋田県大潟村の方や仙台市から参加している親子の方もありました。
東方から土俵入り 1 東方から土俵入り 2
東方から土俵入り 2 東方から土俵入り 3
東方から土俵入り 4 西方の土俵入り 1
西方の土俵入り 2 西方は「あずまちゃん 盛岡祭出身菅原部屋」、津波被災地の山田町出身の小太郎ちゃんが光っていました。

東西合わせて76名38組の取り組みになりすが、親子での参加ですから実数はその倍になります。会場は大声の赤ちゃんの泣き声が響き渡り、凄いことになっています。

西方の豆力士親子の紹介が足りませんがお許し下さい。花道から土俵入りする親子は、ちびっ子達よりもお母さん達の表情が生き生きとしていました。
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