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閉会式挨拶から・・・ 刈り取り行事が一切終わってから閉会式が行われ、それぞれの代表の方から感想を含めた挨拶がありました。ここでは挨拶を述べる皆さんの表情と、挨拶の内容を抜粋で紹介いたします。 挨拶は、小学生代表、米寿の代表の方、実行委員長の皆さんからありました。子ども達の前には参加された米寿四名の皆さんが座っており、そのベンチの横には成長した「陸羽132号」の大きな稲株が並んでいます。この稲株は、収穫感謝祭会場で「ヒトメボレ」と並べて展示するとのことです。また、実際の米粒の比較もされるとお聞きしました。 |
こびる・・・ |
10月18日に収穫感謝祭が開催され、300名を超える地域の皆さんが参加して「金札米誕生88年」の記念式典と祝賀会が行われました。私も参加する予定でおりましたが、別の用件があり残念でしたが参加できませんでした。 五年生代表作文朗読から(抜粋) 開会式で江刺金札米のことを聞きました。金札米という名前が付いてから八十八年たったということを聞いて、こんなに前から名前が付いていたことに驚きました。 いよいよ田植えです。初めて裸足で田んぼに入りました。始めは田んぼの水が冷たくて、「わーつめてえー」と声を出してしまいました。土の感触はぬめっとしていて手や足がぎくしゃくしたけれど、三本ずつていねいに苗を植えました。手渡された苗を全部植えた頃には、足は泥だらけになってしまって、田んぼから上がろうとしたら滑って転びそうになりました。 学校の行き帰りにほんにょを見たことがありましたが、重い稲束を掛けるのは初めてでした。バインダーで稲刈りをすることを手伝ったことがあったけど、鎌を持って稲刈りをしたのは初めてでした。米と言う字は八十八と書く。米を収穫するまでには八十八の作業をやることに驚きました。私達がやったのはそのうちの二つ、田植えと稲刈り。 八十八年前、江刺金札米を作り始めた頃、今のような田植機もバインダーやコンバインもなかったのです。そんな中で、美味しいお米を作るために汗水流して米作りを頑張ってきた地域の人達、だからこそ今の金札米があると言うことに気がつきました。本当に素晴らしいことです。八十八年間作り続けてきた美味しい江刺金札米を、これからも沢山の方に食べてもらいたいと思います。 |
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