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  2012田んぼアート・志波城古代公園・水田アート


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志波城古代公園内の水田アート、
盛岡市・志波城古代公園

およそ1200年前(平安時代初期)、北東北にはいくつかの城柵が造営されました。横手盆地の払田柵(ほったさく801頃)、北上盆地の胆沢城(802)、志波城(803)、徳旦城(812)です。このような大規模な城柵が連続して造られたのは、朝廷の積極的な領土拡大政策によるものです。

北東北では774年から811年にかけて、いわゆる「三十八戦争」が行われ、北上盆地の蝦夷(えみし)は朝廷の統治下におかれることになりました。その拠点として造られたのが、胆沢城や志波城です。

(※頂いた資料「陸奥最北端の古代城柵 史跡志波城趾」参照)



資料によると、古代公園は約900m四方の規模になります。中央には政庁跡が発掘されており、南前面には復元された外郭築地塀があります。築地塀の中央には正門(外郭南門)が復元され、高さ4.5m、長さ252mの日本一の規模を誇ります。

今回は田んぼアートがねらいでしたので、史跡の様子は見て歩いてはいません。あまりの暑さに木陰に入り、そこから目線の高さで水田アートを眺めるのがやっとでした。盛岡には良く来ますので、涼しくなった秋頃に見学したいなと思います。この場所は、若い頃に勤務した小学校の学区でもあり良く通ったものでした。もちろんですが、55年前の面影等はほとんど無く、岩手山と南昌山方面が目印になる程度です。


東北道沿いにある復元された志波城跡の圃場です。残念ですが、俯瞰できる場所(南正門)は立ち入り禁止であり、道路下の田んぼを目線の高さからでしか見ることが出来ません。現場の案内には次のように書かれてありました。

この水田には、地元農家有志の方たちが、志波城古代公園の新しい見所の一つとすることと、地域の基幹産業のひとつである農業をとおした地域活性化のため、古代米(観賞用有色種)で文字と絵を描きました。黒や白、黄色などの稲で、描きました。穂が出る八月中旬以降が見頃と思われます。


ここでは、全体の様子と文字の一つひとつ、志波城と風の漢字を切り出してレイアウトしてあります。漢字の場所は奥にあり、離れるほどデフォルメして見えますが仕方ありません。



史跡 志波城趾・・・

外郭南門・築地塀と櫓を正面か見た様子になります。外大溝に架かる橋を補修中であり、工事の方々が作業をされていました。狭い仮橋が架けられ正面に向かいます。水田アートは櫓の門をくぐった場所にありました。

二枚目は南門と櫓の様子になります。櫓には見晴台があり、その木枠がアートのデザインになっています。(※係の方のお話から)
外郭南門・築地塀と櫓
南門と櫓、奥に見えるのが政庁南門になります。

圃場左端から 圃場左端から

左端からの様子です。このままで、「い・に・し」までは分かりますがそれ以上は無理でした。

正面には東北道が見えています。
文字の左から 文字の左から

圃場区画の土手から見た様子になります。雲がなければ、雄大な岩手山が見えるはずです。
外郭築地塀方向 外郭築地塀

中央付近から築地塀方向を見た様子です。絵柄の下に「城」の文字が読み取れます。
正面から 正面から

絵(外郭南門の物見部分)と「城」、「に」の文字が読み取れます。
正面絵の部分の拡大 絵の部分拡大

外郭南門物見部分の縦区画と、「城・お・う」の文字が分かります。

絵の部分上の模様ははっきりとはしません。俯瞰する位置が高ければ判別できるのですが目線では無理でした。

文字の切り出し・・・

描かれている文字は、資料のタイトルにあった「いにしえの風にあう」を黒色の稲で表現してあります。全部の文字を撮影したと思いましたが、「し」の文字が欠けていました。
ひらがな文字の切り出し 1 ひらがな文字の切り出し 2
ひらがな文字の切り出し 3 ひらがな文字の切り出し 4
ひらがな文字の切り出し 5 ひらがな文字の切り出し 6

漢字の切り出し・・・

「志波城」と「風」の文字です。「波」、「城」はすぐ読めましたが、「志」は分かりませんでした。「風」は黒の部分が多くて読めませんが、しおりの文字を読んでいて「風」だなあと思いました。

見せていただく立場の戯言になりますが、正面に足場鋼管櫓でも良いので期間限定で設置していたければ良いなあと思いました。道路脇の土手から離れるほど、目線の高さでは判別が難しくなります。また、外郭南門の物見櫓でも良いのですが、イベント以外には使用できないとのことでした。

漢字の切り出し 1
漢字の切り出し 2
漢字の切り出し 3
漢字の切り出し 4

使用された古代米・・・

水田アートの田んぼ右端に、今回使用されている古代米の見本が一列に植えられていました。内側から濃紫色、黄色、緑色になります。

水田アートの田んぼ東には、古代米づくりの体験水田があり次のような看板が立てられています。

ここは、親子連れなど市民参加者45名が古代米づくり体験を行っている田んぼです。平成24年5月20日に、水田に向かって右側に、古代風の衣装「貫頭衣」を着て、紫黒米(おくのむらさき)の苗を、ていねいに手でうえました。「おくのむらさき」は有色米の一種で、葉先や玄米が濃い紫色をしています。周辺の田んぼよりも、葉の色が黒っぽいことにお気づきですか?。

参加者たちは、7月に除草、9月に稲刈り、10月に脱穀の体験をし、一連の米作りを体験します。1200年前の志波城のあった平安時代に、このあたりでどのような稲作がされていたのかは、はっきり分かってはいませんが、きっと力を合わせて、多くの人が参加して稲作がおこなわれていたことでしょう。手作業による昔ながらの米作りを体験して、古代人の気分を感じたり、食への関心を高めていただければと思います。(※説明看板より転記)

三色の有色米 三色の有色米

アートの内側から濃紫色、黄色、緑色になります。
紫黒米の出穂、受粉の頃かなと思います。 紫黒米の出穂

丁度穂が開花し受粉の頃と見ました。

撮影を終えて受付事務所に挨拶をしました。係の男性にお聞きしましたが、「三年ほど前からやっていますよ」とのことです。岩手の田んぼアートは、平泉町、奥州市水沢区、花巻市石鳥谷町、西和賀町(左草地区)だけかと思っていましたが新しい発見でした。今までは新聞報道がなかったのですが、今年は地元紙で紹介され知りました。報道されたことにより、以前より訪れる方が多くなったと係の方が話されていました。

しかし、専門的な手法(遠近感採用)は取らず、地権者や地元の農家の方が植えているとのことです。絵のデザインは外郭南門の櫓部分(手ぬぐいにデザインされたもの)ですよ・・・と紹介されました。炎天下でしたが、事務所で息子と私は冷たい麦茶を頂き嬉しくなりました。この場をお借りして御礼申しあげます。

各地の田んぼアートも穂が出たことと、稲の葉が黄色になってきていますので以前とは違う感じがしています。そろそろ田んぼアートも終わりになります。来年はどのようなデザインになるのか、今から楽しみになります。

                                                       (2012.09.01作成)