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アケボノゾウと思われる足跡化石・・・

工事現場見学会の最高の関心事は、普段見られない川底にあるアケボノゾウと思われる足跡化石を近くから見ることでした。皆さんの思いは同じであり、最初の狭い場所は順番待ちの見学になりました。

固い岩盤に造られた足跡化石ならともかく、柔らかい泥岩に刻まれた足跡化石です。宮澤賢治が当時の学生達と見た頃と流れが大きく違いますが、この地にあって同じ足跡を眺め太古の時代に想いを馳せていたと思うと不思議な気持ちになります。

アケボノゾウの実態については不明でしたので、ネット資料から調べてみました。足跡化石ならぬ本物の化石が発掘されているとは知りませんでした。


アケボノゾウ・・・

アケボノゾウは、250万年前〜100万年前に生息していた古代象。日本の各地で化石が発見されている。比較的小型のゾウで、大陸のコウガゾウとほぼ同時期のミエゾウが、小型化(矮小化)したものであると考えられている。現在のところ大陸には化石記録が無いことから、日本固有種であると考えられる。         (※ウイキペディアより)


アケボノゾウは、今から約250万年前から約100万年前に日本だけに生息していたステゴドンの仲間のゾウです。大きさは大型のミエゾウとは異なり、肩までの高さが2mほどの小さなゾウです。しかし150cmほどもある大きな切歯(牙)を持っている、見た目にもずんぐりとした姿をしています。大きな切歯は、ナウマンゾウのに大きくねじれるように湾曲せず少しだけ外側に曲がっています。

アケボノブウの一個体のまとまった化石は、今まで兵庫県滋賀県、三重県、.埼玉県で発見された6例だけでした。しかし東御市では1カ所から3個体の化石がまとまって発見されました。それだけではなく、河川敷には無数のアケボノブウの足跡化石も発見されたのです。体化石と足跡の化石が同時に発見されたのは、この千曲川の河床だけです。日本固有のゾウなので世界一の産地〃と言っても過言ではありません。

(※長 野 の 大 地 やさしい地学小辞典より)
通路上の足跡 1 通路上にある足跡化石・・・

重機通路の中に土嚢で囲われた部分があり、最初の見学ポイントがありました。直径にして20cm程かと思いますが、水が掻き出され泥岩上に露出しています。

水中ポンプの場所を入れて三ヵ所でしょうか、いかにもゾウの足跡と思える丸い窪みが見られました。
通路上の足跡 2 窪みには目印のピンクテープがクギで固定され、数字が記されています。この足跡はかなり泥がうまっています。

下の画像は通路上で見られる足跡全体の様子です。
通路上の足跡 3 通路上の足跡 4
護岸下の足跡 1 護岸下にある足跡化石・・・

最初の場所から少し上流に行った崖下に、水溜まりの中ですがかなりの数の足跡があります。見た瞬間、すごいなあと思わず見とれてしまいました。

ピンクの糸で仕切られており、それぞれの穴にはピンクのリボンが打たれています。こんな足跡が川底にあったとは驚くのみです。

気温が低かったこともあり凍っている部分もあります。ここからは角度と場所を変えて撮影しています。同じ様な構成になりますがご理解下さい。
護岸下の足跡 2 今回の工事で注意をされる点は泥岩がもろいと言うこともあり、アケボノゾウの足跡に影響しないように施工しております。地層をなしている泥岩が非常に柔らかいので、立ち入らない様にロープを張っております。

本来ですと直接近くで見たいと思いますが、泥岩を痛めないようにしていますので、ロープの中には入らないようにお願いいたします。        (※係の説明から)
護岸下の足跡 3 足跡を見ながら想うのは、この場所が広い沼地であり、多くの動物が生活していた場所だと推定できます。重い体ですから、ぼつぼつと泥に足跡が付きます。

どの様な経過で泥の足跡が泥岩になり地中に埋もれ、その後の地殻変動で再度太陽の下に現れるのでしょうか。地質年代の壮大なドラマと言えばそれまでですが、200万年前の足跡を見ていると不思議な気持ちになります。
護岸下の足跡 4 護岸下の足跡 5
護岸下の足跡 6 泥岩層はこの場所だけではありません。堤防を覆っている土砂を取り除き発掘すれば、もしかしたら、もっと多くの足跡や他の動物の化石等もあるのかも知れません。

この付近にある足跡は全て保護する形に考えております・・・
、と担当の方は説明されていました。側で聞いていた私は思わず、「保護すると言うことは川底のままにしておくと言うことですか」と質問したら、「そうです」と答えが返ってきました。

足跡化石の数ですが、新聞報道ではおよそ17個ほどとなっています。足跡に打たれたピンクリボン、累計の番号でもあれば分かりますが、よじれていたりしてはっきりしませんでした。

護岸工事現場 1 護岸工事現場・・・

このピンクの糸より後半は、掘削して擁壁を施工することになります。当初の計画で擁壁を造るとなると、足跡が何カ所かあり一部が無くなってしまうと言うことで計画を変更し、擁壁の位置を20センチほど山側へずらします。

そうやって足跡を掘削しないですむようにしたのですが、それでも足跡にかかってしまいます。一部分だけ擁壁をへこませる形で足跡を保護する計画をしております。

普段は見ることが出来ない護岸基礎部の様子です。かなり浮き上がり削られています。

護岸工事現場 2 護岸工事現場 3
護岸工事現場 4 頂いた工事現場の写真を見ると、今ある堤防の基礎部分に川岸が削られないように基礎を深くし、コンクリートの擁壁(重力式擁壁)を施工するとあります。

施工箇所は距離にして60mほどあるようです。しかも完成後は、擁壁の表面に人造岩の造形がされるようです。

しかし、足跡化石を保存するとは言え川底にある泥岩です。長い年月の間には水流により浸食され、どんどん姿を変えていきます。仕方ないとは言え、保存方法はありません。
護岸工事現場 5 素敵な工事中看板を発見・・・

イギリス海岸工事中

作業をする方への注意事項でしょうが、「泥岩が壊れやすい為、必要以上の立ち入りを禁じます!!

これは一般の見学者は見られないのですが、シルエットで構成された賢治イメージです。作成された小田島建設株式会社の方に思わず脱帽です。
護岸工事現場 6

北上川の流れを堰き止めている大型土嚢です。土嚢には番号と思われる数字が書かれていますが、この場所だけで681個の土嚢が使用されているのでしょうか。

水深がかなりあるはずですから、二段か三段に土嚢が置かれ、その上に細かい砕石を敷き、さらに厚い鉄板が敷かれて重機が通ります。

そのうちにコンクリートミキサーやダンプ等も通るのかも知れません。

護岸工事現場 7 護岸工事現場 8・・・土留めの先端部から上流を見た様子、瀬川との合流点が見えています。

散策路から見た工事現場 1 散策路から見た現場・・・

工事現場見学を終えて駐車場まで戻りましたが、散策路を瀬川合流点まで歩きました。散策路は除雪がされていませんのですごい雪です。また、水辺の公園も工事中であり飛び石を渡ることも出来ません。

現場で見た重機ですが、側で見たときは大きさを感じませんが上から眺めると大きな重機です。水中の足跡化石は見応えがあり、私が帰ってくるときは二番目の皆さんの番になっていました。

報道関係の取材も何局かあり、撮影と取材メモを取られていました。
散策路から見た工事現場 2 散策路から見た工事現場 3

真冬の北上川と瀬川合流点。

瀬川合流点・・・

さすがに真冬の合流点です。北上川の水位も結構あり、以前に見た島の上の周辺にある泥岩層の川底は見ることが出来ません。護岸修復工事は三月下旬まで予定され、以前の洪水で壊れた護岸を長さ60m高さ2.8mにわたって直すと言います。

春の行楽シーズンには工事が完成し、イギリス海岸散策で賑わうと思われます。


私はかなり前から、国土交通省岩手県河川国道事務作成の北上川ライブカメラ映像を見ています。イギリス海岸についても水位の変化に興味を持ち、マイナス50cmのデータが出ると出かけてみたくなるほどです。

北上川ライブカメラ映像を見ると、北上川の各所のリアルタイム情報が分かります。よろしかったらどうぞ・・。

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