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       登米市東和町・米川の水かぶり


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祈祷が終わり神の化身になった男たち。

登米市東和・米川の水かぶり・・・

米川の水かぶり行事、宮城県内近場の冬行事をネット検索して見つけたのですが、何よりもその異形とも言える火伏せの男達の姿に驚きました。お隣宮城県、岩手県境の藤沢町に隣接する登米市東和町米川地区、国指定重要無形民俗文化財として数百年前から伝承されている火伏せ行事です。

一切の資料等が事前にありませんので、ネット検索で米川の水かぶりについて調べてみました。街中を火伏せしながら歩く様子の撮影がメインでしたが、それに併せて水かぶり宿と言われる伝承の家があり、ここでのわら細工をする場所を訪れたくなっていた私です。

今回は水かぶり宿での様子と、街中を練り歩く様子を中心にページを構成してみました。初めて見た私も追いかけ撮影になり、気がついたらかなり歩き通しになっていました。

また、水かぶりという名称からは、全身にわらをまとった男衆に水を浴びせるシーンが連想されますが、観衆から水を浴びせることはありません。最初は私もそう思い込んでいましたので特筆しておきます。


米川の水かぶり・・・

米川の水かぶりは登米市東和町米川地区に古くから伝わる火伏せの行事です。800年以上前から伝わり、平成12年12月27日に国指定無形民俗文化財に指定されています。毎年2月初午の日に開催され、米川五日町地区の成人男性(15歳前後の元服以上)だけが参加できます。

水かぶりの男達は裸ににわらで作った「しめなわ」を巻き、「あたま」と「わっか」とよばれる藁装束を頭から被り、わらじを履きます。顔には火の神様の印である煤を塗り、男達は神様の使いになります。大慈寺で火伏せの祈願をした後、「ホーホー」という奇声を発しながら地区の家々の屋根に向かって水を掛け、火難除けと厄払いを祈願します。住民は男たちが身に着けたしめなわの藁を抜き取り、我が家の屋根に上げ火伏せのお守りにします。

また、火男(ひょっとこ)と女装したおかめが家々を訪れお祝儀を頂きます。火男は火の神様の仮の姿で、おかめはその相方です。訪れた家に福をもたらす来訪神といわれています。(※登米市観光案内から)



会場の様子・・・

家からR456経由で藤沢町までは何度か訪れていますが、そこから峠を越えての宮城県入りは初めてのことです。距離にして67kmほどあり、朝7時前に家を出ましたが途中までは圧雪状態で細心の注意が必要でした。90分ほどで現地に到着し駐車場に車を置きました。始まるまでたっぷり時間がありますのであちこち観て歩きました。
大慈寺周辺 1 法輪山大慈寺入り口・・・

参道入り口には、「米川の水かぶり」と記された幟が二本立てられています。左端には「米川の水かぶり」と記された標識があり、柱には800年の歴史を誇る・・・と記されてありました。
大慈寺周辺 2
参道を進むと、境内入り口になる大慈寺の山門が見えてきます。

境内入り口にある山門、「法輪山」と書かれた扁額が掲げられています。かつては黒塗りだったのでしょうか、かなりはがれていました。

時間が早かったせいもあり、参道には誰も見えていません。両側は駐車場ですが、今日の行事のため利用はできませんでした。
大慈寺周辺 3 大慈寺周辺 4
イベント会場 1 イベント会場・・・

境内広場に入るとステージが組み立てられ、パイプ椅子を並べて会場作りです。ここで開会式が行われます。

イベント会場 2 目を引いたのが、豚汁サービスコーナーです。食べてみて美味しかったら100円の協賛金を!!にひかれました。

後ろのテントには地元の皆さんによる売店、火伏せ祈願・家内安全のお守りが販売されています。また、本日だけの限定商品「水かぶりまんじゅう」が販売されていたことです。帰りにお土産のまんじゅうを求めました。

ステー横のテントでは、水かぶり写真・絵画展示コーナーがあり、ゆっくりと拝見し撮影しました。
イベント会場 3 イベント会場 4
イベント会場 5 準備の合間にくつろぐ係の皆さん。中央の赤いジャンバーの男性ですが、開会式では進行係をされていました。
水かぶり行程図

巡回コース一覧・・・

縦長の水かぶり行程図の看板があり、会場付近を切り取ってみました。資料によると、大慈寺から出た水かぶりの一団は本隊、北、南の三方向に分かれ町内を巡り歩きます。

大慈寺への石段 大慈寺への石段・・・

石段の両側に可愛いお地蔵さんが座り、そのそばには二本の幟が立てられています。水かぶりの男たちはこの石段を登り、大慈寺の隣に鎮座する秋葉山大権現まで進みます。
大慈寺正面 秋葉山大権現

米川の水かぶり行事伝承・・・

米川の水かぶりは、宮城県登米市東和町米川(旧 狼河原おいのがわら)の五日町地区に古くから伝わる火伏せ行事で、毎年二月の初午に行われている。平成12年12月27日に国指定重要無形民俗文化財となる。大正9年旧暦2月初午と昭和3年の水披露祝儀申受帳以外、古い記録が残されていないので水かぶり行事の起源は笹鹿でない。

水かぶり宿の口伝では、江戸中期、すでに行事が行われていた。一説には、藤原秀衡公が嘉応2年(1170)狼河原に建立した諏訪森大慈寺修行僧の行を起源とする。

初午の早朝、代々水かぶり宿を務める菅原家に集まり水かぶりの支度をする。五日町地区の数え15歳前後の元服を経た成人男性だけが、水かぶりの姿になり行事に参加できる。参加者で厄年にあたる者は厄払いになる。還暦や厄年などの一人が梵天を掲げて一団の先頭を務める。水かぶり宿の伝承は火伏せが行事の主体で、厄年を中心とするものではない。新たに地域集団へ迎える成人儀礼と通過儀礼の意味もある。

水かぶりの男達は。裸体の腰と肩にわらで作った「しめなわ」を巻き。「あたま」と「わっか」を頭から被り、足にわらじを履く。顔に火の神様の印であるかまどの煤(すす・すみ)を塗る。この水かぶり装束を身に着け男達は神様の使いに化身する。(※水かぶり宿で頂いた資料から)

家の前に置かれた水桶 9:07 米川町の様子・・・

大慈寺参道から道路に出て通りを散歩しました。水かぶりは十時からなので、まだ誰も歩いていない通りです。参道から北側に少し進んだ場所に、「国指定重要無形民俗文化財・・米川の水かぶりの宿」の表示がありました。

車でこの道を走っていた時気がついきましたが、この家の中に入っていく人を見かけていました。
水かぶり宿 1 水かぶり宿 2
わら細工作業 1 あちこち歩きましたが、道路の縁石に水の入った水桶が置かれてあるだけです。あてもなく歩いていたら、堤防道路に出てしまいました。

堤防道路をお寺の方に戻ったら、大勢の人がいる集まりわら細工をしていました。小屋の壁には水かぶりのポスターが貼られています。

先ほど見ていた「水かぶりの宿」の庭にあたる場所です。
わら細工作業する方やカメラマンも多く居られ、ここでじっくりと細工の様子を見ながら撮影することができました。
わら細工作業 2 水かぶりのわらの装束は三点あり、水かぶりの男達は裸にわらで作った「しめなわ」を巻き、「あたま」と「わっか」とよばれる藁装束を頭から被り、わらじを履きます。

顔には火の神様の印である煤を塗り、男達は神様の使いになります。(※ネット資料から)


この男性はしめなわを作っており、体に巻き付けて様子を見ているところでした。係の男性はそれぞれ分担で装束を作りますが、すべてわらから編み込んで作りますので熟練しないと出来ません。
わら細工作業 3 わら細工作業 4
わら細工作業 5 慣れた手つきでわらをよじっています。ちょっと見ただけでははっきりしませんが、右手上のわらがよじれているがおわかりでしょうか・・。

私には「しめなわ」のように見えましたが、定かではありません。頭にかぶる「かしら」が見えないようです。この部分はすでに完成しているのかもしれません。
わら細工作業 6 完成したしめなわと裸足に履くわらじになります。

下の画像は、「かしら」部分を落ちないようにかぶって止める「わっか」を作っているところです。これははっきりとわかります。
わら細工作業 7 わら細工作業 8
装束を身につけ煤を塗る 1 モデルになる方が装束をまとい、神の化身になるために顔にかまどの煤を塗ります。鏡を見ながらていねいに塗っていました。
装束を身につけ煤を塗る 2 装束を身につけ煤を塗る 3
装束を身につけ煤を塗る 4 紙に包まれた煤です。
装束を身につけ煤を塗る 5 「かしら」をかぶり、ずれ落ちないように頭から「わっか」を首回りに乗せ完成です。

ものすごく異様な姿なのですが、この方はモデルと言うことでそれほど真っ黒く煤が塗られていません。わらの中に煤が塗られた笑顔・・、ものすごく印象的でした。

どなたかが説明していました。・・・煤を塗るのは顔無し、認められない存在、拝んでもらって初めて神になる・・・なるほどなあでした。

もう一人も顔に煤を塗っています。シャッターが切れる瞬間、某テレビのカメラが予告無しに入り腹が立ちました。
装束を身につけ煤を塗る 6 装束を身につけ煤を塗る 7
装束を身につけ煤を塗る 8 装束を身につけ煤を塗る 9
見学に訪れた小学生 グランドシートを敷き、その上でのわら細工です。この場所は町内の人以外は入られません。全くその通りで、カメラマンもしっかりルールを守っています。

反対側に移動するためには、隣の敷地を通らなくてはなりませんでした。

そろそろ終わりになる頃、米川小学校の皆さんが引率されて見学にきていました。
水かぶり男(モデル) 1 水かぶり宿の前に立つ、モデルの男性です。その後ろには、黒装束の火男と女装したおかめの二人が見えています。
水かぶり男(モデル) 2 二人のモデルの姿、よく見ると「かしら」の先端の違いに気がつきます。向かって左側の男性は「かしら」が四方に散らばっています。右側の男性はほどけないようにくくってあります。この違いに意味があるのでしょうか・・?。

わら細工の現場で耳にした会話ですと、・・四方に散らばっているのは炎の様子です・・とのことでした。このことから言えば、くくってあるのは炎を閉じ込めたことになるのかなあ・・。勝手な想像をしている私です。もちろん本当のことはわかりませんが・・。

お二人はその後、街道を歩き大慈寺の山門まで移動します。
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