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登米市東和町・米川の水かぶり
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location:uchinome.jpトップ>暮らしの表情>催しアラカルト>登米市東和町・米川の水かぶり |
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登米市東和・米川の水かぶり・・・ 米川の水かぶり行事、宮城県内近場の冬行事をネット検索して見つけたのですが、何よりもその異形とも言える火伏せの男達の姿に驚きました。お隣宮城県、岩手県境の藤沢町に隣接する登米市東和町米川地区、国指定重要無形民俗文化財として数百年前から伝承されている火伏せ行事です。 一切の資料等が事前にありませんので、ネット検索で米川の水かぶりについて調べてみました。街中を火伏せしながら歩く様子の撮影がメインでしたが、それに併せて水かぶり宿と言われる伝承の家があり、ここでのわら細工をする場所を訪れたくなっていた私です。 今回は水かぶり宿での様子と、街中を練り歩く様子を中心にページを構成してみました。初めて見た私も追いかけ撮影になり、気がついたらかなり歩き通しになっていました。 水かぶりの男達は裸ににわらで作った「しめなわ」を巻き、「あたま」と「わっか」とよばれる藁装束を頭から被り、わらじを履きます。顔には火の神様の印である煤を塗り、男達は神様の使いになります。大慈寺で火伏せの祈願をした後、「ホーホー」という奇声を発しながら地区の家々の屋根に向かって水を掛け、火難除けと厄払いを祈願します。住民は男たちが身に着けたしめなわの藁を抜き取り、我が家の屋根に上げ火伏せのお守りにします。 |
会場の様子・・・ 家からR456経由で藤沢町までは何度か訪れていますが、そこから峠を越えての宮城県入りは初めてのことです。距離にして67kmほどあり、朝7時前に家を出ましたが途中までは圧雪状態で細心の注意が必要でした。90分ほどで現地に到着し駐車場に車を置きました。始まるまでたっぷり時間がありますのであちこち観て歩きました。 |
米川の水かぶり行事伝承・・・
米川の水かぶりは、宮城県登米市東和町米川(旧 狼河原おいのがわら)の五日町地区に古くから伝わる火伏せ行事で、毎年二月の初午に行われている。平成12年12月27日に国指定重要無形民俗文化財となる。大正9年旧暦2月初午と昭和3年の水披露祝儀申受帳以外、古い記録が残されていないので水かぶり行事の起源は笹鹿でない。 水かぶり宿の口伝では、江戸中期、すでに行事が行われていた。一説には、藤原秀衡公が嘉応2年(1170)狼河原に建立した諏訪森大慈寺修行僧の行を起源とする。 初午の早朝、代々水かぶり宿を務める菅原家に集まり水かぶりの支度をする。五日町地区の数え15歳前後の元服を経た成人男性だけが、水かぶりの姿になり行事に参加できる。参加者で厄年にあたる者は厄払いになる。還暦や厄年などの一人が梵天を掲げて一団の先頭を務める。水かぶり宿の伝承は火伏せが行事の主体で、厄年を中心とするものではない。新たに地域集団へ迎える成人儀礼と通過儀礼の意味もある。 水かぶりの男達は。裸体の腰と肩にわらで作った「しめなわ」を巻き。「あたま」と「わっか」を頭から被り、足にわらじを履く。顔に火の神様の印であるかまどの煤(すす・すみ)を塗る。この水かぶり装束を身に着け男達は神様の使いに化身する。(※水かぶり宿で頂いた資料から) |
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