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14:46 黙祷・・・

2011年3月11日14時26分、東日本を襲ったマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。その直後に襲った巨大津波で、海岸沿いの市街地は壊滅状態になり、死者・行方不明者合わせて二万七千人を越える大惨事となり、未だに行方不明の方があることは悔やんでも悔やみきれません。

地震発生時刻の午後二時四十六分に併せて司会者から「黙祷」の合図が出されました。時間にして一分間ですが、強風の中で全員が黙祷をされていました。

ここでは黙祷の様子と、手にした手書きの凧をを揚げる場面を紹介します。

手書きの凧を持つ男性 受付本部から凧を頂き、願いが書かれた凧を手にする男性。「Fuku Suke」の文字が見えています。自分で書かれたものと思われます。
黙祷する皆さん 1

黙祷する皆さん・・・

手に願いと想いを書き記した凧を持ち、黙祷の合図を待ちます。14:46「黙祷」の合図があり一分間の黙祷が始まりました。

私も最初に黙祷をして、二年前の被災当時に思いをはせました。胸にしっかりと凧を抱き黙祷される姿、心にじーん来る追悼の気持ちが湧き出します。

大きな画面にすると、書かれてある願いがうかがえます。

黙祷する皆さん 2 黙祷する皆さん 3
黙祷する皆さん 4 黙祷する皆さん 5

手にする一枚のカイト 1

黙祷後、手にした一枚の凧を揚げようとしますが、強風で思う様には揚がりません。何とか揚がりましたが、ものすごく不安定でした。

手にする一枚のカイト 2 手にする一枚のカイト 3
手にする一枚のカイト 4 手にする一枚のカイト 5


祈願連凧揚げ・・・

一分間の黙祷、その後手にした凧を思い思いに揚げていますが、あまりの風の強さにあおられてうまく揚がりません。会場のあちこちで連凧を揚げていますが地面にすぐ降りてしまいます。女子中学生(?)が揚げている糸を牽かせてもらいましたが、かなり重いし力が入ります。係の方のお話では、連凧の場合は風のない方が良く揚がりますとのこと。広い会場のあちこちで連凧が揚げられていました。

ここでは、会場で見た子供たちの連凧、女子中学生の連凧、本日の主催者である佐藤さんの揚げる連凧の様子を紹介いたします。
子供たちの連凧 1 子供たちの連凧・・・

保護者(?)に手伝ってもらい、連凧に挑戦する子供たちです。簡単には揚がりませんが、なんと糸が繰り出されていました。
子供たちの連凧 2 子供たちの連凧 3
女子生徒の連凧 1 女子生徒の連凧・・・

こちらは女子生徒(中学生と思いますが)が連凧に挑戦する様子です。かなりの凧が繰り出されていますが、地上に近くに降りたりしてうまく揚がりません。

でも必死になってたこ糸をひいていました。私もちょっぴりたこ糸を引かせてもらいました、重いのなんのこれでは凧に身体を持って行かれそうです。
女子生徒の連凧 2 女子生徒の連凧 3
佐藤会長の連凧 1 佐藤会長の手による連凧・・・

大勢のカメラマンが集まっていた場所は、本日の主催者である佐藤さんが揚げる連凧です。しかし、あまりの強風で揚がらないで地面を這ってしまいます。
佐藤会長の連凧 2 佐藤会長の連凧 3
佐藤会長の連凧 4 取材の報道関係の皆さん、レンズの先は空に舞う連凧でした。
佐藤会長の連凧 5 ねらった様に揚がりませんが、立っているのがやっとの強風なので仕方のないことだと思います。主催者の佐藤さん、素手で糸をがっちりとつかみ、風を読みながらの挑戦です。

しかし、やはり専門家の佐藤さんです。最後には見事に天高く舞い揚がりました。
佐藤会長の連凧 6 佐藤会長の連凧 7

天高く舞う50連の凧
おわりに・・・

青空に高く舞い揚がる連凧(50連)です。最初の挨拶にもありましたが、気仙地区震災犠牲者の数と同じ1906枚の凧を気仙の空に揚げ、亡くなられた方々を偲び、鎮魂の気持ちを伝えるイベントでした。

震災後初めてR45から市街地に入りましたが、整然とあるのは道路と土台跡のみです。 凧揚げをする広い場所、かつての市街中心地です。瓦礫等が撤去されたとは言え、これからの復旧と復興が待たれてなりません。そんなことを念じつつ会場を離れました。
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