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location:uchinome.jpトップ>暮らしの表情>催しアラカルト>花巻空港・ブルーインパルステスト飛行>その2 |
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四機飛行 1・・・ ここでは四機編隊による飛行の様子を紹介します。この隊形の名称は不明ですが、同じ間隔のまま上空を飛び回っていました。 天候条件が良くなく、ブルーの機体の色が再現できないのが残念でした。また、スモークは出ていないのでしょうかかすかに分かる程度でした。 |
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四機飛行 2・・・ |
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四機飛行 3・・・ 北の方向からスモークを出しながら飛来し、私たちが見ている付近からばらばらの方向に広がりました。この場面だけが周囲の山々が見えていました。 後半の飛行はほぼ水平飛行になり、目の前を通りすぎていきました。最後に見えている山は早池峰山ですが、遙か遠くにかすんで見えていました。 |
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六機飛行・・・ 花巻空港上空に飛来した六機による編隊飛行です。編隊飛行は見る位置により隊形が変化して見えます。 最初はスモークを出していましたが、後半からはスモークが出ていません。 |
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9月17日のテスト飛行について・・・ この日の記事は翌日の地元紙で報道されましたが、観客が200名ほどでありブルーインパルス6機が予行演習をし、大勢の家族連れが一足早くアクロバット飛行を楽しんだ・・との事でした。贅沢を言えば切りがありませんが、天候だけはどうにもなりません。しかし、曇り空とは言えスモークがはっきりと見られたことは最高の収穫でした。 下の画像はテスト飛行を終了し松島基地に帰還する6番機です。 |
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展示飛行が終了し松島基地への帰投・・・ 本番である当日は混雑を予想し空港へは出かけていません。翌日の新聞報道によると、花巻空港はもちろんのこと周辺の農道等が見学者の車両で大混雑になり5万人ほどの人出で賑わったと言います。私と息子は、松島基地から飛来するコースのほぼ真下にあたる北上市樺山丘陵で出迎えました。 しかし、飛来したブルーインパルスの機体は高曇りの空に吸収され、かすかに機影を確認したのみでした。仕方がありませんので帰投する機影を追いかけるために現地に留まり待機です。11:26爆音と共に機影を確認、少し高い所を飛んでいましたが四機隊形とその後ろに二機が編隊を組んで南下していきました。 東日本大震災で松島基地が使用できなくなりましたが、2013年(平成25年) 3月25日、松島基地に戻るのを前に、芦屋基地を一般開放して、周辺住民に感謝の気持を込めて、芦屋基地で最後の展示飛行を行った。3月31日、松島基地でブルーインパルスの帰還式が開かれた。ブルーインパルスは震災以来、拠点としていた芦屋基地を離れ、2年ぶりに松島基地へと帰還した。(※この項はウイキペディア参照) 花巻空港開港五十周年について・・・ 今から五十年前の事になりますが、1964年(昭和39年)3月27日に花巻空港が開港しました。花巻空港についての想いでの一つにこんな事があります。昭和38年度まで盛岡市の小学校に勤務していた私は、北上市の家に帰るために国道四号線をオートバイで走っていました。今とは違い空港とは言え、道路と滑走路が並行している部分がかなりあり、たまに飛行機の離発着に遭遇することがありました。飛行機が大好きな私は、その都度路肩に停車し空を仰いで見とれていたことがしばしばありました。 今となると懐かしい当時の想い出になります。空港が開設される前は、空港前の国道四号線の直線を利用しセスナ等の緊急時離発着があったようでした。 ※花巻空港関係の資料については、ネットや新聞報道記事を参照しています。 |
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