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      青森港メモリアルシップ・八甲田丸


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係留されている八甲田丸の城前口・下船口の様子です。
メモリアルシップ・八甲田丸・・・

たまたまのことでしたが、孫娘が中学校体操種目青森県大会に出場することになり、応援をかねて青森市まで出かけて来ました。東北道を走り、何とか宿泊地の浅虫温泉までたどり着きました。私にとって青森市はしばらくぶりのことになります。

孫娘には悪かったのですが、女子体操競技会場に入るのを遠慮し青森市内の観光地で午前中を過ごすことになりました。旅館に居るうちから調べてねらったのが、体操競技場になる山田高等学校に近い青森港でした。ここには、今は使われていない青函連絡船の実船「八甲田丸」が係留され、メモリアルシップ「八甲田丸」として公開されています。

私が実際に青函連絡船に乗船し、函館まで行ったのが三回ほどあります。一番最初は昭和32年の学生時代、浅虫での海洋実習後に一人で海を渡ったこと、その後の二回は生徒達を引率して海を越えた修学旅行の時でした。今から58年前のこと、40年前のことになり記憶が定かではありません。狭い船室の畳の上でぎっちり並んで座り、船から下りてもしばらくは身体がゆらゆらしていたことしか記憶に残っては居ません。

ここでは、係留されている岸壁の様子、昭和の想い出が沢山見られる船室の様子、最高に関心があり入りたくても入られなかったブリッジ、そして、エンジンルーム。最後は、連絡船で実際に運んだ各種車両の様子を紹介します。

トップの画像は、係留デッキから見た乗船口・下船口の様子です。

                                                       2015.10.18 作成


係留されている岸壁・・・

青森港の一角、以前の連絡船乗り場付近にメモリアルシップ八甲田丸が係留されています。全長が132m、全幅18m、吃水下1階、水面上4階、総トン数5,382トンの連絡船です。たまたまでしたが、船首の方向に海上保安庁の巡視船が停泊していましたが、大きさは大人と子どもの違いでした。
係留されている八甲田丸 1

八甲田丸の全容を撮影することは出来きなかったのですが、乗船口下の広場は休憩場になっており色んな出店がありました。

係留されている八甲田丸 2 ようこそ八甲田丸へと書かれた大きな看板がありました。この看板には、青函連絡船の歴史とメモリアルシップに至までの経由が書かれてあります。
係留されている八甲田丸 3 船への出入り口は高い場所にありますので、はしご階段で通路が設置されています。

右側が乗船口、左側が下船口になっていました。
係留されている八甲田丸 4 係留されている八甲田丸 5
係留されている八甲田丸 6 JNLと朱書きれた大きな煙突が見えています。エンジンは後で紹介しますが、1,600馬力ディーゼルエンジンが8台搭載されています。

想い出が沢山つまった船室・・・

入り口を過ぎると一気にタイムスリップした空間になります。昭和の世界そのままがろう細工で構成されています。客室の様子は紹介されていないのではっきりしませんが、私の記憶では三等船室は畳敷きだったと思います。

やっぱり青森だなあと思わされたのが木箱入りのリンゴでした。今は段ボール箱になっていますが、以前は木箱と言えばリンゴが入っていたと覚えています。
客室の様子 1 チケットを購入して船内に入る入り口です。
客室の様子 2 いきなり目に入るのが、威勢の良いかけ声が聞かれそうな野菜売りのおばちゃんです。取れたてのカボチャやネギ、その隣には卵売りの女性です。

木箱のもみ殻の中に入っている卵、一個十五円は今から見たら高いですね。かつての卵は貴重品でしたから、その位はしたかもしれません。
客室の様子 3 ここからはいろんなものをならべてみました。昔の家庭にごく普通にあった日用品がずらりと並んでいます。でっかいたらの魚、細工がかなりリアルでした。

ストーブの前に立つ耳当てをした可愛い女の子、焼きいも屋の前に立っています。

リンゴ市場、全て木箱入りのリンゴです。
客室の様子 4 客室の様子 5
客室の様子 6 客室の様子 7
客室の様子 8 当時の時刻表と列車運賃表です。拡大画面にすると、ご覧になった方の地域までの運賃が分かります。

ブリッジの様子・・・

好奇心の強い私は、子どもの頃の乗り合いバスの運転席・木炭ガス発生装置、蒸気機関車の運転席等々が大好きでした。子どもの頃住んでいた広田地区、ここには広田港があり漁船が停泊していました。たまたまですが、エンジンを始動する場面を見たことがあります。

この頃の小型漁船のエンジンは焼き玉エンジンであり、花火のような長い点火棒をエンジンで上部に入れて始動させたのが今でも記憶に残っています。大型漁船のエンジンはディーゼルエンジンであり、並んだ多くのピストンが交互に動いていました。
ブリッヂ内部 1

ブリッジ(操舵室)・・・

八甲田丸は角度を変えて前進や後進、停止や細かい速度の調整が出来る可変ピッチプロペラと、引き船なしに船首を岸壁から離す横向きのプロペラ・バウスラスターを持っています。

操舵室はこれからのプロペラの遠隔操作をはじめ、運航に必要な各部署のチェックができる船内通信設備、船を安全に正確に運航するためのレーダーや自動操縦装置などの優れた設備が整っています。

ブリッヂ内部 2 ブリッヂ内部 3
ブリッヂ内部 4

号鐘・・・

号鐘は、もともと、濃霧や吹雪などで視界がさえぎられたときに、相手の船に船位を知らせるために、設けられていました。

また、船員の勤務の交代時間などにも使われていましたが、近代船では、レーダーや霧笛などの設備が整ったため、むしろ「船のシンボル」として付けられていました。

ブリッヂ内部 5 無線室入り口・・・

私が一番興味のあった無線室ですが、何故か開放されていませんでした。無線室は、船や航空機にとって情報のやりとりだけでなく、自分の今の位置等を正確に把握する目と耳の役目を持っています。

船長室でしょうか、きちんと整備された事務室と応接室を見ることができました。立ち入りは出来ませんが・・。
ブリッヂ内部 6 ブリッヂ内部 7
ブリッヂ内部 8 当時の切符の色々です。切符の日付から見ると、昭和63年2月24日の乗船券で2,000円となっています。
ブリッヂ内部 9 ブリッジの窓越しに見た前方の様子です。四階建ての高さになるので、見晴らしが最高に良いのです。

船首の前に巡視艇が停泊していますが、八甲田丸の方がかなり大きな船である事が分かります。
ブリッヂ内部 10 ブリッヂ内部 11
ブリッヂ内部 12 ブリッジ脇の出窓から船尾の方を見ると、大きな煙突がありました。
ブリッヂ内部 13

ブリッジの中央部に掲げられてある操船のモットーです。
余裕ある操船」・・・まさにその通りであるなあと思いました。


エンジンルーム・・・

エンジンルームの見学は楽しいものです。八甲田丸の場合は果たしてエンジンが始動するかは疑問ですが、実際に動いている船の場合は緊張することが多いのです。以前に見学した自衛艦の場合、これから出港すると言うこともありカタカタと動いているのが感じられました。

八甲田丸の場合、停止してからかなりの期間が経過しています。見学者のためでしょうか、エンジンヘッドのカバーが外され、4個のタペットが見えている部分がありました。1台のエンジンあたり8気筒構成ですから、合計すると64気筒と言うことになります。


マルチプル機関・・・

八甲田丸は1台が1,600馬力の中速ディーゼル機関を4台ずつ1組みにして、左舷と右舷に配置し左右それぞれ1本ずつのプロペラを回していました。

青函連絡船は船底部に設けられた機関室の上部に車両を格納するための大きな空間を備えていなければなりません。しかも船の安定性を考えてできるだけ重心を低くする必要がありました。このため八甲田丸等の連絡線は、大型の高出力機関と同等の出力を8台の中型機関に分割して機関室の高さを低くおさえていました。

このような機関配置をマルチプル・ギヤード・ディーゼル方式と言います。1台1,600馬力の機関を8台備えていた八甲田丸の出力は12,800馬力ありました。(※現場の説明文から)

エンジンルーム 1

発電機関操作盤・左舷右舷、推進機関操作盤、監視盤等々のメーター類がずらりと並ぶコントロール室です。ほとんど自動化されており、機関士はパネル上のメーターを監視しています。

コントロール室の下に、力強いエンジンが8台置かれています。見学者のための通路が設けられ、下にあるエンジンを上から眺めることになります。

エンジンルーム 2 エンジンルーム 3
エンジンルーム 4 整然と並ぶエンジンです。右舷と左舷用に4台ずつ配置されています。

エンジン上部のカバーが開けられ、内部が見えるようになっています。故障している部分というよりも、エンジン上部の様子を見せるためのものと判断しました。
エンジンルーム 5 エンジンルーム 6
エンジンルーム 7 船で使用される電気は、ここで発電されます。どの位の規模なるのか見当も付きませんが、かなり大きな発電機が設置されていると思います。

実際に運んだ各種車両・・・

連絡船は人の運搬が主ですが、実際に線路を走る列車も運搬されています。現在では車両等の運搬はフェリーボートですが、当時は車両はあまり多くはなかったようです。

旅客定員・・・・・1,286名
積載車両・・・・・ワム48両 
航走自動車・・・12台
列車の色々 1 気動車でしょうか、このスタイルは見たことがあります。

ディーゼル機関車や貨物車が展示されていました。列車についての知識がありませんが、カタカナで表記された列車の種類は調べるとおもしろそうです。
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