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家を出て黒石インターを降りたのが11時頃であったので、田舎館村の田んぼアートを見学してから北上し五所川原市に向かう。五所川原は今で何回か来たことがあったが、金木町の太宰治記念館「斜陽館」の見学や竜飛岬に向かうときに通過したのみであった。夕方の立佞武多運行までかなりの時間があったので、勧められて立佞武多の館を見学することにした。 一階の大型立佞武多を見上げて、四階までエレベーターで直行。祭りでは見ることの出来ない、立佞武多の頭頂部を上から見下ろすことが出来る。らせん状のスロープを下りながら、立佞武多の細部も堪能。途中、巨大スクリーンの映像・音響効果で実際の祭りを体感し、各所に設けてある祭りの歴史や製作過程の展示ギャラリーも楽しめる。
青森県を代表する夏の祭典「ネプタ」の一角をなす「立佞武多」。この巨大ネプタが五所川原の記録に登場するのは、明治40年頃。「立佞武多」という名称は、平成8年、復元に携わった市の有志たちによって命名されてものだ。 五所川原市は、木材資源、水産資源などの中継地点の商人の町として栄えてきた。巨大ネプタは、それら豪商、大地主の力の象徴として高さを誇るようになり、ゆうに十〜十二間(約18m〜22m)にも及ぶようになった。その勇姿は、隣の金木町からも見えたというほど巨大。 そもそも、この巨大ネプタの特徴である一人立ちの人形型灯籠の形態は、現在の青森市に見られる二体以上、または馬などの動物と組みしたネプタとは異なり、古い形のものである。ネプタの変遷を見ると、灯籠〜大灯籠〜人形〜巨大人形〜組人形(電線による高さ制限で大きさは横へ)となっている。電気が普及することによて、市内に張り巡らされる電線によりネプタは小型化せざるをえなくなった。 |
2006(平成18年)「絆」 心ない大人たちにより、虐待や放置による事件・事故が多発し、多くの子供達が犠牲になっている。子供達のため、親子の絆を再確認し、優しい気持ちで子供たちを育み、光り輝く未来を築きたい。 |
2007(平成19年)「芽吹き心荒ぶる」 悲しい事件が続く昨今。「悪の芽が芽生える」の言葉通り、芽が伸び角になり鬼と化す前に、自らの悪の芽を摘む心の強さを持って欲しいとの願いを込めて製作。 |
2008(平成20年)「不撓不屈」 今世は様々な不安や悩みを抱え疑心暗鬼になり、人々の心を乱している。しかし、そんな時にこ自らの信念を貫き、どんな事態にも強い意志で自分の信じる道を進んだ戦国時代豊後の武将「立花道雪」の不撓不屈の精神を学び、現代社会を力強く生きてほしい。 |
らせん状通路を歩きながら、気に入った部分を撮影したものです。祭り当日ではこんなに近いところから、目線を同じにしての撮影は出来ません。拡大してみると、細心の注意を払い細部まで仕上げれていることが分かります。 |
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