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location:uchinome.jpトップ>暮らしの表情>民俗芸能アラカルト>五所川原・立佞武多>立佞武多の館>その2 |
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毎年一台、新作が登場する大型立佞武多 立佞武多の規模は、おおよその高さは七階建てのビルに相当する約22m(台座約10m・人形約12m)、総重量約17トン。人形部分のパーツは約15〜18個あり重ねてゆく。その材料の多くは他のネプタと同様、木と針金、糸、紙。表面を形作る紙は面積にして畳六百枚以上、針金は700kg、材木は約2トンを使用。照明におよんでは電球約800個、蛍光灯約40本を使用。これは一般家庭十軒分の電力に相当する。また一辺約6mの鉄骨の台車でその偉容を支える。 約一年をかけて立佞武多製作所が製作する大型の立佞武多以外に、町内、学校等の団体が自主製作する立佞武多も運行される。その大きさは、10m位のものから18mに達するものまで様々だ。 |
らせん状通路の出口前には、平成十年からの大型立佞武多の写真がパネルにされてありました。その年のテーマとねらいが書かれてありますし、高さや重量、電球等の数とパーツの数が書かれてあります。一つ一つを読みながら撮影したのですが、何故か2004/2005の画像がありません。多分ですが、観光客の皆さんがどーっとお出でになり撮影できなかったと思います。 |
1998年 平成十年運行 「親子の旅立ち」 先人や親から継がれてきた生活の知恵や文化などの財産を21世紀へ伝え残したい。また、家族のつながりを大切にしてゆきたいとの意を込めて製作。 |
1999年 平成十一年運行 「鬼が来た」 人々の心の内にいる、いろんな鬼を退治するためには、勇気と知恵を出し、一人一人が立ち上がらなければならない。との願いを持って製作。 |
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2000年 平成十二年運行 「軍配」 奈落の底をさまよい、後に奮起して大関となった郷土出身の力士、清水川。二度の大火から復興した五所川原市。不撓不屈の精神に勝ち名乗りを与えたい、との意を込めて製作。 |
2001年 平成十三年運行 「北の守護神」 長引く景気低迷の中、街を活性させ、明るい未来を築くため、北の守り神「毘沙門天」より、21世紀の繁栄を記念する意を込めて製作。 |
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2002年 平成十四年運行 「白神」 自然から多大な恩恵を受けてきたにも係わらず、自然を破壊し続けている人類。限りある自然を守り、蘇らせなければならない。警鐘と自然界の怒りをテーマに製作。 |
2003年 平成十五年運行 「五穀豊饒」 人類は欲望を追求し、環境を破壊し続けた結果、地球温暖化現象による天候不順を引き起こしているといわれている。今こそ自らを諫め、神々に感謝し、「五穀豊饒」を祈願したい。 |
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良いなあと思ったのは、全部を見終わった出口壁面に金木町出身の歌手・吉幾三さんの等身大のパネルがあり、吉さんの立佞武多に対する思いが書かれてあったことでした。内容はあえて撮影しませんでしたがご理解下さい。 ほっづぎ家族の私達も、がっちりと立佞武多の様子を撮影し予備知識をインプットしました。午後5時からは建物の扉を開き、3基の大型立佞武多が出陣すると言います。時間の関係で見ることが出来なかったのですが、この立佞武多の館を最初に見ていて良かったと思いました。何故ならば、予備知識なしに町中を練り歩くネプタ見ただけでは、凄いなあという驚きのみしか感じなかったと思うからです。 私も機会があったら再度訪れたいと思います。来年の夏に立佞武多をご覧になる方は、運行の事前に立佞武多の館に入り、じっくりと見学することをお勧めします。 |