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location:uchinome.jpトップ>暮らしの表情>民俗芸能アラカルト五所川原・立佞武多>立佞武多の館>その2


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毎年一台、新作が登場する大型立佞武多

平成11年より、年ごとに新作の大型立佞武多が製作され、平成12年に初めて三台の大型立佞武多が運行された。この年より、新作一台を加えた三台の大型立佞武多が運行される祭り形態となっている。

立佞武多の規模は、おおよその高さは七階建てのビルに相当する約22m(台座約10m・人形約12m)、総重量約17トン。人形部分のパーツは約15〜18個あり重ねてゆく。その材料の多くは他のネプタと同様、木と針金、糸、紙。表面を形作る紙は面積にして畳六百枚以上、針金は700kg、材木は約2トンを使用。照明におよんでは電球約800個、蛍光灯約40本を使用。これは一般家庭十軒分の電力に相当する。また一辺約6mの鉄骨の台車でその偉容を支える。

約一年をかけて立佞武多製作所が製作する大型の立佞武多以外に、町内、学校等の団体が自主製作する立佞武多も運行される。その大きさは、10m位のものから18mに達するものまで様々だ。


新しい歴史の幕開け

立佞武多が町を練り歩く準備が始まった。道を横切る電線等を地下に埋設する工事が急ピッチで進められた。題材には、歴史ものがモチーフとなるネプタには珍しく、家族をテーマとした「親子の旅立ち」が作られた。

平成十年八月五日、高さ22m・総重量16トンの立佞武多が、三十人の若者に曳かれ、闇にその偉容を浮かび上がらせた。その空間は、市民や観光客が運行コースに詰めかけ、立佞武多が立ち往生する場面もあったほど、混沌とした興奮に包まれた。この年、夏祭りに訪れた観光客は65万人を記録した。



立佞武多製作所

圧倒的な高さを誇る「立佞武多」の製作には、膨大な時間と労力を費やす。その年の祭りが終わると、すぐに来年に向けての製作が行われる。手順は、九月下旬から年が明けての二月頃にかけて新作の製作が行われる。その後、三月から七月頃、旧作の立佞武多に補修や化粧直しが施される。製作場所は「立佞武多の館」の三階。その大きさゆえに、二十数パーツに分割して製作は進められる。

約22mの立佞武多の半分は台座、半分は人形から成る。支柱には鉄骨を用いるが、ほとんどが木、針金、紙から成る。張り子のねぷたを連結し、台に固定して行くには高度な技術と慎重さが必要だが、何よりも完成・運行させようという立佞武多づくりに携わるスタッフや体験者の心意気が必要不可欠。

立佞武多の製作過程は、まずパーツごとの骨組みから始まり、次に紙貼り・書き割り(墨入れ)・蝋入れ・色づけへと進み、最終段階では台上に組み立てられる。紙貼りは、骨組みの形に沿って和紙を貼っていく大変根気のいる作業だが、それまでは木と針金だけだったねぷたが、いわゆる「肉付け」の作業により、徐々にその形を表してくる様は言葉では言い表せない醍醐味。次過程の溶いたロウを各所に塗る「蝋入れ」は、ねぷた特有の光沢感を出すだけではなく、色のニジミや混ざりを防止する役割もする。この工程により、ねぷたに鮮やかな絵柄を着けていく「色付け」の仕上がりが決まるともいえる。

約二十パーツの部位が仕上がると、「立佞武多の館」内でそれらが組み立てられる。二月〜三月頃、新作立佞武多の組み立て作業が約二十時間をかけて慎重に行われる。展示館は新作立佞武多を加え、新しい顔を見せることになる。

らせん状通路の出口前には、平成十年からの大型立佞武多の写真がパネルにされてありました。その年のテーマとねらいが書かれてありますし、高さや重量、電球等の数とパーツの数が書かれてあります。一つ一つを読みながら撮影したのですが、何故か2004/2005の画像がありません。多分ですが、観光客の皆さんがどーっとお出でになり撮影できなかったと思います。




1998年 平成十年運行  「親子の旅立ち」

先人や親から継がれてきた生活の知恵や文化などの財産を21世紀へ伝え残したい。また、家族のつながりを大切にしてゆきたいとの意を込めて製作。

1999年 平成十一年運行  「鬼が来た」

人々の心の内にいる、いろんな鬼を退治するためには、勇気と知恵を出し、一人一人が立ち上がらなければならない。との願いを持って製作。
1998年 平成十年運行 「親子の旅立ち」 1999年 平成十一年運行 「鬼が来た」


2000年 平成十二年運行  「軍配」

奈落の底をさまよい、後に奮起して大関となった郷土出身の力士、清水川。二度の大火から復興した五所川原市。不撓不屈の精神に勝ち名乗りを与えたい、との意を込めて製作。

2001年 平成十三年運行  「北の守護神」

長引く景気低迷の中、街を活性させ、明るい未来を築くため、北の守り神「毘沙門天」より、21世紀の繁栄を記念する意を込めて製作。
2000年 平成十二年運行 「軍配」 2001年 平成十三年運行 「北の守護神」

2002年 平成十四年運行  「白神」

自然から多大な恩恵を受けてきたにも係わらず、自然を破壊し続けている人類。限りある自然を守り、蘇らせなければならない。警鐘と自然界の怒りをテーマに製作。

2003年 平成十五年運行  「五穀豊饒」

人類は欲望を追求し、環境を破壊し続けた結果、地球温暖化現象による天候不順を引き起こしているといわれている。今こそ自らを諫め、神々に感謝し、「五穀豊饒」を祈願したい。
2002年 平成十四年運行 「白神」 2003年 平成十五年運行 「五穀豊饒」

良いなあと思ったのは、全部を見終わった出口壁面に金木町出身の歌手・吉幾三さんの等身大のパネルがあり、吉さんの立佞武多に対する思いが書かれてあったことでした。内容はあえて撮影しませんでしたがご理解下さい。

ほっづぎ家族の私達も、がっちりと立佞武多の様子を撮影し予備知識をインプットしました。午後5時からは建物の扉を開き、3基の大型立佞武多が出陣すると言います。時間の関係で見ることが出来なかったのですが、この立佞武多の館を最初に見ていて良かったと思いました。何故ならば、予備知識なしに町中を練り歩くネプタ見ただけでは、凄いなあという驚きのみしか感じなかったと思うからです。

私も機会があったら再度訪れたいと思います。来年の夏に立佞武多をご覧になる方は、運行の事前に立佞武多の館に入り、じっくりと見学することをお勧めします。