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     五所川原・立佞武多(たちねぷた)運行


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立佞武多運行の先頭行くあすなろ太鼓、叩き手は共に女性でしたが、チビッコの粋な姿が決まっています。これから立佞武多が運行されます。

8月6日から8日まで、午後七時、五所川原市内の運行コースでは「組ネプタ」から始まり、「中型・大型の立佞武多」が直径3.2mの大太鼓を先頭に練り歩きます。一斉に聞こえる太鼓のリズムは、「ドドスカドン・ドドスカドン」と身体に響きます。それに合わせて横笛やジャガネ(手振鉦)が鳴らされ、「ヤッテマレ、ヤッテマレ」の掛け声と共に老若男女・子ども達が踊ります。「ヤッテマレ、ヤッテマレ」の掛け声は語源をたどると、「やっつけてしまえ、やっつけてしまえ」と叫ぶ「喧嘩ねぷた」に由来すると言います。

以前のネプタは運行にあたって他の団体と正面から出くわすと、「わほのネプタがいい、おめだぢひげ」(自分らのネプタが良い。したがって、おまえたちは退け)の喧嘩があって当然。ネプタに積む物は砂を詰めた一升びん、石、そして酒である。因縁を持つ同士のネプタが狭い路地で向かい合ったとき、やんやの言い合いになる。あげく、「サシマタ」でネプタを突いたり、石を投げ、ネプタの蝋燭を倒しネプタを燃やしたりする。気性の荒さに加え、「目に入れても痛くないほど」ネプタを愛する者同士の純粋な熱情がここまでさせたのだろう。

もつけ、祭り人たち

彼らは実に「もつけ(祭り馬鹿)」である。日本各地にその手の人間は居るものだが、五所川原の「もつけ」も体の芯から夏の饗宴を楽しむ祭り人だ。祭りの数日に全てを注ぎ込むかのように騒ぎまくる。そう、文字通り「血がじゃわめぐ」
・・津軽弁で騒ぐ・・のだ。一心不乱にお踊りや囃子に没頭する人があれば、ただただ喧噪の渦に身を投げ出す人もいる。彼らのパフォーマンスもまた、祭り人の表現の一つなのだ。


※立佞武多運行の撮影は、基本的には見たままの状態で撮影しました。したがって、三脚を道路脇に置いてのスロー
  シャッターになりますが、可能な限り撮影感度を上げています。ストロボを使用すれば行列の前に出ることも可能で
  すが、ねぷた本来の彩りにならないのでほとんど使用していません。



あすなろ大太鼓・・・
昭和52年「虫とひまつり」に初登場以来、五所川原市の夏祭りには、欠かさず出陣。直径3.2m、全長3.6mの巨大太鼓。片側上3人、下4人の叩き手が必要。地響きのような重く深い音には、心が揺り動かされる。

運行行列の順序は、このあすなろ太鼓で始まりました。威風堂々と言いますか、凄い迫力が太鼓の音と共に伝わってきます。前と後ろの下にいる叩き手に、チビッコのふたりが居ます。大人に混ざって堂々と叩く姿を見て、こうやって育っている・育てられているなと思いました。

太鼓の次は祭りの役員でしょうか、五所川原市長を先頭にそろいの浴衣と役職のタスキを掛けた方が続きます。そして、笛と太鼓、ジャガネ(手振鉦)がやって来ました。解説にもありましたが、叩き手の背丈に近い桶作りの大太鼓が続いていました。
あすなろ太鼓 1・・・前の様子。 あすなろ太鼓 2・・・後ろからの様子。
あすなろ太鼓 3・・・前上にいる女性の叩き手、バチがしなっています。 あすなろ太鼓 4・・・後ろの叩き手、背の高さから大きさが分かると思います。
祭り責任者の皆さん、市長さんが先頭です。 太鼓と囃子の笛。
ジャガネ(手振鉦)を打ち鳴らす女性。 背丈ほどありそうな桶作り太鼓、重そうです。


最初に見えて来たのは、組ネプタと呼ばれる横に広がったネプタ像です。大型の立佞武多になる前は、このような形の物が多かったと言います。一番目が楽友會のSAGAWA小型組ネプタと、三国志・・張飛厳顔を降ろす・・からの物です。二番目が三振り会の小型ネプタと岩見重太郎狒々退治の迫力あるネプタでした。これらのネプタの前には、小さなネプタが先行していました。

三番目が山姥と怪童丸、このネプタは運行しながら前後に大きく揺さぶり歩きます。四番目が北部地区住民協議会による西遊記のネプタでした。

※組ネプタの場合も、それぞれの台車には照明用の発電機が積まれています。運行には電動式でしょうか・・?、前
  にいる曳き手の方も楽に動いています。小型の場合は違いましたが・・。

組ネプタ 1・・・SAGAWAと書かれてあります。 組ネプタ 2・・・1と同じ団体の製作による三国志からのものです。
組ネプタ 3・・・さんふりかいと書かれてあります。 組ネプタ 4・・・岩見重太郎狒々退治の像、迫力がありました。
組ネプタ 5・・・山姥と怪童丸とありました。前後に大きく揺すります。 組ネプタ 6・・・北部地区住民協議会による西遊記。


ここからは中型立佞武多の運行になります。中型とは言え、周囲の電線の高さから見て15m近くありそうです。中型立佞武多の台座には、立佞武多内部の照明に使う大型の発電機が積まれています。資料によると、照明の他に運行用のモーターがあると言います。

最初に来たのが田町・栄町町内会のものでした。次から次へと移動してきますが、その速さはゆっくりと歩いてくる程になります。ですから後ろには次の立佞武多の姿が見えてきます。意図的に上弦に近い月を入れてみましたが、風もないくっきりと晴れた夜空でした。

立佞武多の館で見たときから気になっていましたが、立佞武多台座の正面には「漢雲」と書かれてあります。何だろうと調べてみたら、右から読んで「雲漢」と言うそうです。これは中国語の「天の川」を意味する言葉であり、昔のネプタが七夕の頃に始められたことに関係するとありました。
田町・栄町町内会中型立佞武多 1・・・後ろから来るのが見えていますし、上弦の月がきれいでした。 田町・栄町町内会中型立佞武多 2・・・曳きてはゆったりとしていました。やはり電動式のでしょうか??。

五所川原高等学校の中型立佞武多です。始まる前に見たのが五所川原高校の皆さんの行列でした。先頭は学校長と書かれたタスキをしていました。高校生の若いエネルギーが爆発していて、太鼓やお囃子、そして踊りに生徒達が燃えていたのが印象的でした。
五所川原高等学校の中型立佞武多 1 五所川原高等学校の中型立佞武多 2・・・アップ像です。

五所川原農林高等学校の中型立佞武多です。事前に見ていなかったので、撮影した画像はこの二コマだけでした。
五所川原農林高等学校中型立佞武多 1・・・後ろには一寸法師が見えてきました。 五所川原農林高等学校中型立佞武多 2・・・テーマが分からないのが残念です。鬼を踏みつけていますね。

さかえ立佞武多の皆さんによる「一寸法師」中型立佞武多です。鬼の右肩の一寸法師の像が素晴らしいなと思いました。
「一寸法師」中型立佞武多 1・・・前の丸い姿は化人の目玉親父でしょうか。 「一寸法師」中型立佞武多 1・・・右肩の一寸法師がお分かりでしょうか。
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