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     小田代神楽祀りの賑い・こども百姓踊り


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こども百姓踊り・・・

この踊りは、岩手県立水沢農業高校民族舞踊同好会の直接指導を受けたものです。

現在の水田における稲作業は、ほとんど機械化・省力化されていますが、この踊りでは昔ながらの作業を写実的にとらえ、収穫の喜びと感謝の心を素朴な動きでユーモあに表現しています。苦しい農作業を笑いで癒した農民の生活の知恵がにじみ出た踊りです。(※頂いたプログラムから)

今から50年ほど前までは、田植えと言えば5月から約一カ月くらいかかりました。そして田植え作業は、一家総出であり隣近所の人に手伝って貰う共同作業<ヨエッコ・ユイッコ>で行われていました。農家の子ども達も、俗に言うネコの手も借りたいと言われるほどの忙しさの最中にあり、小中学校でも農繁休業が行われていたほどでした。

水沢農業高校民族舞踊同好会の指導を受けたとありましたが、小学生とは思えない素晴らしい演技であり、楽しそうに踊られていました。その様子を見ていると、農耕民族である我々の祖先の姿が浮かんできます。大昔から、人々の生活を土台で支えていたのは農民(百姓)でした。土地を耕し、そこに植えた作物の無事な生育と秋の収穫を願い、季節の節目節目で祝い・歌い・踊ることで秋の豊作と感謝を表していました。これは農耕民族としての原点であり、日本人の心の原点であると思います。

こども百姓踊りは17分程の入れ替わりの踊りになります。姉さんかぶりの子ども達が笑顔一杯に踊る姿に凄いなあと感動です。線引きをする中学年の男の子、恥ずかしさを見せながらの熱演に御花が上がりました。百姓踊りのシンボル的場面としての脱穀、フィナーレの米出しは全員がステージに出ての熱演でした。

田打ち(起こし)・・・

田打ち(たうち)とは、春になって田んぼを掘る作業のことを言います。別名「田起こし」とも言います。昔は、牛や馬を使って作業をしましたが、現在ではトラクターで行っているのがほとんどです。

姉さんかぶりの姿で登場した子ども達、最初は女の子がクワも持っての作業になります。硬くなっている田圃の土を掘り起こすので大変です。後半に登場する男の子の作業スタイル、三本鍬や四本鍬が使われていましたが、人の手での作業は大変でした。

田打ち 1
田打ち 2・・・腰が痛くなりました。 田打ち 3
田打ち 4 田打ち 5
田打ち 6・・・ここからは四本爪のすきを使った力仕事になります。 田打ち 7

肥ふり・・・

当地方の呼び方では、<こやしふり・こえちらし>とでもなります。桶に入れた肥料を、むらの無いようにまき散らすのは大変なことです。

この場面では、縁起物になるお菓子や飴を舞台から降りて観客にまいています。小学生ではなく中学校の生徒であり、小田代神楽学校で修行し卒業された先輩でもあります。今日は友情出演と言うことになりますね・・。

肥ふり 1
肥ふり 2 肥ふり 3
肥ふり 4 肥ふり 5

代かき・・・

水の一杯入った田圃で、土をかき混ぜながら細かくしていく作業です。実際は牛や馬にすきを引かせ、田んぼの土を砕く作業になります。

この牛や馬を誘導する役を、させ取りと言います。今はほとんど見られなくなった光景です。

代かき 1
代かき 2 代かき 3

線引き・・・

平らになった田圃に、苗を植えるときの目印になるように線を引きます。竹の爪のついたものを引き、同じように正方形になるように線を引いたものでした。

地元小学校での田植え体験学習でも、10本ぐらいの竹の爪のついた道具を引いて線を引き、さらに直角に交わる線を引いて区画を作っていました。

その他の道具として、型枠のついたものを転がします。転がった後には正方形の跡がつくので、その交点に苗を植えていきます。

線引き 1
線引き 2 線引き 3

苗運び・・・

苗代から苗を抜き取り束にし、植える人に手渡ししやすいように運びます。苗運びは、昔から子ども達の仕事のようでした。

運んできた苗を、畦道から植えている人の方へと投げ入れます。上手に投げないと遠くに行ったり、ばちゃんと水が跳ねたりすることもありました。

偶然でしたが、投げ込んだ苗が止まっていました。苗篭を肩に掛けて上手に投げていました。

苗運び 1
苗運び 2 苗運び 3
苗運び 4 苗運び 5
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