横手城・・・
横手城は、秋田県横手市にあった日本の城である。構造は山城。朝倉城、阿櫻城とも呼ばれる。現在、城跡は横手公園として整備されており、模擬天守が建てられている。横手城の築城時期は、諸説ある。戦国時代には、小野寺配下の横手氏・大和田氏・金沢氏が横手城を拠点にして反抗したが、これは鎮圧されている。その後、小野寺氏は横手に本拠を移した。横手城は土砂崩れの防止と斜面に敵兵が滑ってよじ登れないようにするために韮(ニラ)を植えたため、韮城とも呼ばれた。
江戸時代末期、戊辰戦争の際には東北地方では佐竹氏は孤軍官軍側につく。陸奥仙台藩と出羽庄内藩の軍勢が、戸村大学(義効)の籠城する横手城を攻撃し慶応4年8月11日(1868年9月26日)の夕方に落城した。
明治4年(1871年)に廃城。明治12年(1879年)に戊辰戦争で戦死した22人の霊を慰めるため焼け残った城の資材を再利用して本丸跡に秋田神社が建立された。
本来の横手城に天守はなかったが、太平洋戦争後の昭和40年(1965年)に、郷土資料館と展望台を兼ねて二の丸跡に岡崎城をモデルに模擬天守が建設された。この天守は、東北地方における模擬天守の初見である。
(※ネット資料から)
|