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         2018横手市・横手城訪問


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2018横手市・横手城訪問・・・

所属するグループの撮影会で横手市まで出かけてきました。今までの行動の脚は自家用車による相乗りでしたが、今回は北上市から横手市まで北上線の列車を利用しました。

個人的には何回となく訪れたことのある横手市横手城です。ほとんど訪れる方が見られなかったのですが、私達が訪れるのがタイミングを失した感じがしました。お城の中には展示物として鎧がかなりありましたし、資料としての年表等が展示されていました。
                                                        2018.11.29 作成

車から降りた場所から石段の通路を進むと、目の前に白壁の天守が見えてきます。

資料を見ると、横手城には天守閣は存在していないと言います。

以前訪れた時は、菊祭りが開催され賑わっていました。今回は落ち葉が飛び淋しいなあと思いました。

四層構造の天守閣、実際は昭和に入ってから復元されたものです。

私も何回か登っていますが、お城の最上階まで上る階段は狭い上に急斜面で大変でした。

身体の不自由な方を移動させる電動リフトがあり、同行した方が利用されていました。

正面中央下の所が入り口になり、ここで参観料を払い展望台まで登ります。

各階には鎧などの展示物がかなりありました。また、横手城に関わる歴史上の人達が紹介されています。
明治時代の花火筒 花火の筒

展示されていたのは、明治時代に使用されていたと言う花火打ち上げ用の木筒とのこと。

最初に見た時は手筒大砲かと思いましたが、打ち上げ花火の筒とのことです。

構造から言うと、桶と同じ仕組みであり、竹を編んで作った「たが」で補強されていました。

近い場所には、全国的に有名な大曲の花火の場所があります。利用する立場を変えてみると、立派な大砲です。
横手市南の方向 四階天守展望台、南方向から見た市街地の様子です。

正面に見えている三角の建物が市立病院とのことで、その奥の方に鳥海山が見えるはずだと説明されました。

あいにくの曇り空で、展望がきかない日でもあり仕方ありません。

画面にゴミのような点が見えていますが、飛び交っている赤とんぼです。今日はトンボの姿がかなり多いと思いました。

横手城・・・

横手城は、秋田県横手市にあった日本の城である。構造は山城。朝倉城、阿櫻城とも呼ばれる。現在、城跡は横手公園として整備されており、模擬天守が建てられている。横手城の築城時期は、諸説ある。戦国時代には、小野寺配下の横手氏・大和田氏・金沢氏が横手城を拠点にして反抗したが、これは鎮圧されている。その後、小野寺氏は横手に本拠を移した。横手城は土砂崩れの防止と斜面に敵兵が滑ってよじ登れないようにするために韮(ニラ)を植えたため、韮城とも呼ばれた。

江戸時代末期、戊辰戦争の際には東北地方では佐竹氏は孤軍官軍側につく。陸奥仙台藩と出羽庄内藩の軍勢が、戸村大学(義効)の籠城する横手城を攻撃し慶応4年8月11日(1868年9月26日)の夕方に落城した。

明治4年(1871年)に廃城。明治12年(1879年)に戊辰戦争で戦死した22人の霊を慰めるため焼け残った城の資材を再利用して本丸跡に秋田神社が建立された。

本来の横手城に天守はなかったが、太平洋戦争後の昭和40年(1965年)に、郷土資料館と展望台を兼ねて二の丸跡に岡崎城をモデルに模擬天守が建設された。この天守は、東北地方における模擬天守の初見である。

                                                           (※ネット資料から)