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        2019北上市諏訪神社・初詣


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2019北上市諏訪神社・初詣・・・

1月5日のことですが、天気が良かったので我が家の氏神様でもある北上市諏訪神社まで初詣に出かけてきました。丁度昼頃であり、会社ぐるみでの参拝の方々が見えられ車を置くのに少々苦労しました。拝殿の中ではご祈祷が行われており、多くの人達が低頭し拝んでいる姿が見られました。

諏訪神社は子どもの頃北上市(当時は黒沢尻町)立花地区に住まいしていた事から、年の暮れにお小遣いをもらって拝みに出かけた記憶があります。当時は今のように車などありませんので、皆さん徒歩で神社まで訪れ、もの凄い行列を造って順番待ちをして礼拝をしたしたものです。本殿前に立つと、ふと子どもの頃を思い出してしまいます。

ここでは、四コマで諏訪神社の様子を紹介します。トップの画像は、たまたま撮影していた場所を歩いていた親子連れの方々の後ろ姿です。


諏訪神社・・・

江戸時代から今日まで、本地方で広く信仰を集めている代表的神社で、近代の社格は郷社。祭っている神は、開発の守護神である建御名方神(たけなかたのかみ)で、坂上田村麻呂将軍によって勧請されたと伝えられている。

享保十九年(1734)、本宮の地(市内幸町三番地内)から現在地に移り、南部藩から領地を与えられ近郷の総鎮守となった。川岸剣舞(廃絶)は諏訪大明神のお告げによって、前九年の役で滅んだ黒沢尻五郎正任の亡魂を鎮めるために踊ったのを始まりとする悪魔退散の民俗芸能で、この神社の神事芸能であった。

境内に場所の句風を受け継ぐ黒沢尻の俳人たちが、天明元年(1781)に建てた場所の句碑がある境内は昭和三十年都市計画道路の貫通によって三分の一が失われた。

平成元年三月   北上市教育委員会

                                                       2019.01.07 作成


諏訪神社本殿と境内広場 本殿正面・・・

たまたま正面にどなたも見えない時があり、初詣での幟旗を中心にレイアウトしてみました。

神様が歩かれるという正面通路を開けての撮影です。
四社の末社の内、お稲荷さんの社 右側にある四社の末社の内、お稲荷さんの社です。

境内の隅には少し雪が残っていますが、中央の境内広場石畳の通路には雪がありません。
どんと焼きの場所と古神札の山 1月15日には「どんと焼き」が行われますので、柵の中の広場には山のように昨年使用したお飾り等が置かれています。

我が家の古神札を持ってこなかったので、後日持って来なくてはなりません。
保存樹木「サワラ」 諏訪神社境内にある巨木「サワラ」の木の根元空洞に、御幣が置かれています。

となりにある説明板によると、樹齢500年程になる北上市保存樹木とのことです。

根元空洞と神社の建物とを組み合わせてみました。

開運・諏訪神社と記された今年の干支「猪」のパネル

おわりに・・・

諏訪神社本殿右正面に飾られてある今年の干支「猪」です。何故か目を惹かれ撮影した画像です。巨大な身体の割に描かれている目が小さいのですが、眼光鋭い目でねらいを定め「猪突猛進」の言葉ぴったりの絵でした。

「猪」と言えば、北限が宮城県から岩手県南と言われています。友人である獣医の方の話しによると、私の住まいする奥州市はもちろんのこと、かなり県央部まで北上しているよ・・・、とのことでした。江戸時代には、岩手管内にごく普通に生息していましたが、その後絶滅したと言います。私は猪の実態を見たことがありませんが、こんな巨大な猪が家の周りをエサを求めて移動されると怖いなあと思います。

朝起きて見た新雪の上に、かなり大きな足跡を見つけるとまさかと思いたくなります。ハクビシンのうろついている姿を見たことがありますが、こんなに大きな足跡を残すのかなあと思うと気になるところです。

パネルの絵では足先が牛馬のような蹄に見えていますが、偶蹄目の猪は牛と同じような二本指と説明書に書かれています。まだこの足跡は見たことがありませんが、どのようになっているのか怖いもの見たさの関心があります。