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           水車のある風景


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使われなくなったと言いますが、勢いよく回っている水車の魅力に惹かれます。遠野市土淵町山口地区にある水車です。

カメラを携えてあちこち移動していると、意外なところで水車の案内板に出合うことがあります。見つけるたびに現地に入り撮影していますが、意外と稼働中のものが少ないような気がします。昔から地域にあって貴重な動力源としての水車でした。現在使われなくなり廃棄同然になっている水車を再現し、地域作りや活性化の題材としてのものが多いように思われます。

水車利用の歴史はかなり以前からあるようです。しかし、農作業での水引や農作物の加工等で利用する水車は個人では持てないのが実際だと思います。したがって、川の流れのある場所に共同で水車を設置し利用してきていたと言えます。現在ではほとんど利用されなくなり、水車そのものが衰退して言ったのは時代の変遷だと言えます。


水車(すいしゃ)は、水の位置エネルギーを、回転運動のエネルギーへ変換する機械(原動機)である。電動機や蒸気機関が普及するまでは、揚水・脱穀・製粉・製糸などに広く使用されていた。 現在でも少数ながら水田の揚水用などで見ることができる。

日本においては7世紀に、唐より水車機構を持ち込んだことが知られているが、現実に使用された形跡はない。動力水車の使用は、江戸時代になってからといわれている。白米を食する習慣の広がりとともに、おもに精米のために使用されたが、江戸時代後期には工業的原動力としても部分的に使用された。幕末日本は非西欧圏ではもっとも水車の普及が見られた。  (※ウイキペディアより)



ここでは、今まで撮り溜めてある画像から「水車のある風景」として紹介してみたいと思います。沢を流れる水の勢いで回る水車を見ていると、何故か想いが遙か昔に遡るような気がします。当時の人々が、この場で穀物を加工しながら交流の場・ふれあいの場になっていたと思えてきます。



釜石市・橋野産直にある水車 釜石市・橋野産直にある水車

2007年のことでしたが、遠野市から笛吹峠を越えた場所にある橋野高炉跡を撮影した時があります。この道路は、我が家が陸中山田町に住んでいた頃(昭和40年代)によく走った道でした。

高炉跡を撮影した帰り、鵜住居まで走ったときに見つけた産直の側にありました。
奥州市江刺区米里地区にある水車 奥州市江刺区・トコトン水車

家から30分ほど走った、江刺区米里・中沢地区にある水車です。この場所は種山高原入り口の麓にあり、いつも側を通りながら訪れたことのない場所でした。

平成16年春に、地域の有志の方々が保存会を結成して再現復旧された水車小屋です。
遠野市・山口地区にある水車 遠野市・山口の水車

遠野市カッパ淵で有名な土淵地区を通り抜け、しばらくR340号を走ると、遠野物語編集者・佐々木喜善生家の案内板が見えてきます。

この道路を進んでいくと、田んぼの中に古ぼけた茅葺きの水車小屋があります。この水車は常時水流があり勢いよく回っていました。