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            火渡の石碑群


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火渡の石碑群・・・

「石塔の多きこと諸国その比を知らず」・・遠野物語序文より。

信仰を表すもの、参詣を記念したもの、供養のためのもの、道標を表したものなど、「遠野物語」に記されているとおり遠野には多くの石碑が残されています。

中でも火渡しの石碑群は規模が大きく、ゆるやかに連なる山並みや田園風景と相まって、非常に美しい景観を作り出しています。14基ある石碑の中には、馬頭供養塔と馬頭観世音が多く、馬産地遠野を象徴しているのも特徴です。

毎年、地域の皆さんが花を植えるなど周辺の環境を整備し、今も大切に守られています。

場所・・・附馬牛町上附馬牛7地割、遠野駅から来るまで20分。(※遠野広報6月号から)

子どもの頃の記憶では、住んでいる道路脇に大きな石碑があり集合場所等になっていた石碑です。私が覚えているのは、「金華山」とか「庚申塚」と言った自然石に刻まれたものがありました。石碑シリーズを手がけるまでは、石碑の持つ本来の意味等は分からないと言うよりも関心がありませんでした。

道路脇(比較的目につきやすい場所や往来の多かった交差点などに多い)にぽつんと1基あるものから、かなりの数がまとめて置かれてあったり、文字も読めない物が多い年代物の石碑もあります。

家の周辺で見る石碑には、金華山、古峰山、馬頭観世音、獅子供養などもあるほかに、かつての飢饉等で亡くなった人々の供養のための石碑も見られます。年数が経つにつれて苔むして刻印が分からなくなり、じーっと見つめていると悲惨な当時の様子にタイムスリップすることもあります。

天候不順等による農作物の凶作、そのことによって多くの人々が食べるものがなく死んでいった悲惨な飢饉の事実、飽食の時代に生活している私達は、昔の出来事だとか他人事として忘れてはならないことだと思います。この頃の私には、路傍にさりげなく置かれてある石碑に何故か惹かれる事が多くなっています。

遠野市附馬牛地区の火渡しの石碑群、家からちょっと遠いのですが四季折々の姿を見たいなと思います。可能であれば、昔の風景そのままの条件で撮影したいなと思いますが、実際面としては大変なことです。



2010.06.06の様子・・・

最初にこの地を訪れたのは、田植え最中であった5月21日のことでした。田植えが他地区より遅れていたようで、田植え機械を使っての作業を見ながら撮影していました。

二度目に訪れたときは青空の下でした。原風景ですから、昔の人々が心の安らぎの場としての石碑をイメージして撮影してみました。可能な限り、電線や建物は入れないことと思ったのですが、現実問題としてかなり難しい設定でした。

ここでは石碑を撮影する角度と背景を変化させてあります。
道路脇から眺めた様子 1


ほぼ石碑と同じレベルでの撮影。道路が少々気になるのですが、すぐ上には電線があり影が映っていました。


道路脇から眺めた様子 2 少しずつ角度を上げていきました。一番背の高い石碑の上と稜線が同じに見えています。
道路脇から眺めた様子 3 道路の後ろには高台の畑があります。この斜面を利用して位置を定めると、稜線の下に石碑が入りました。
道路脇から眺めた様子 4 道路脇の小高い丘から見下ろしてみました。電線が入るので少々位置を変えてあります。

ここまでの4コマは道路脇の石碑を全部配置してあります。

石碑の数を減らすと、人工物が一切無い場面が可能です。

左側から見た様子 ここからは、石碑の前で部分的に撮影してみました。光線の関係で刻まれた文字が見えてきます。
右脇から見た様子 私としては、この配置が一番気に入りました。石碑に向かって右側から14基全部を入れてあります。
左端の5基 平成八年建立の新しい馬頭観世音が左端にありました。
ほぼ中央の4基 ほぼ中央にある石碑です。庚申塔、三峯山、湯殿山、鳥海山、早池峰山の文字が読み取れます。
右端の8基 左側から右側の石碑をを眺める。

道路後ろの斜面から見た様子 道路脇の小高い丘と斜面から見下ろしてみました。

この場面は斜面の上からですが、田んぼの位置と一番長い石碑の頭の位置の変化

小高い丘の上から見た様子。 小高い丘の上から見た様子になります。

願いは14基の石碑群全部を入れて、道路も入れずにと思いましたが、それはほとんど無理な条件でした。

これから可能な限り、四季折々の姿を撮影してみたいなと思います。