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location:uchinome.jpトップ>自然の表情>風景の表情>遠野遺産を訪ねて>飢饉の碑 |
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飢饉の碑・・・ 宝暦の飢饉は、1755(宝暦5)年の大凶作に始まり、その後2年間も不作となる未曾有の大飢饉でした。『遠野古事記』には、餓死者は2千人余り、行方不明者494人、死馬2千頭にのぼったと伝えられています。 飢饉の碑は、こうした人々の供養のため、1757年(同7)年に建てられました。石碑には「宝暦七丑年 飢渇死有無縁聖霊 二月初四日」と刻まれています。宮代地区にこの供養碑があることは伝えられていましたが、1973(昭和48)年に水田わきの道路から発見され、そこから200メートル南西に位置する、現在の場所に移されています。 (※遠野市広報より) 飢饉とか餓死者という悲惨な出来事は、現代の恵まれた時代に住む私たちにとって考えられない事だと思います。しかし、飢饉をもたらす最大の原因が、天候不順による農作物の不作に起因することを忘れてはなりません。物流社会と情報社会の進展により、私たちは悲惨な飢饉とか餓死と言う出来事に無縁であると思いがちです。日本の食糧自給率を真剣に考えると、他国からの援助無しには生きていけないぎりぎりの所にあるのが日本の現実です。 そんなことを考えると、飽食の時代に生きる今の私たち「これで良いのかなあ・・・」と思わされます。私年代(70〜80)は、戦後の何もない時代に親のおかげで飢え死にしないで生きてこられました。このことを忘れてはならないと思います。飢饉の碑をじっと眺めテキスト文を作成していると、色々な思いが浮かんできます。 2015.02.06 作成 |