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鬼石坊主地獄 1

鬼石坊主地獄・・・

明治以降「坊主地獄」として観光施設の名所になっていましたが、一度閉鎖され新たに「鬼石坊主地獄」としてオープンしました。灰色の熱泥が沸騰する様子が坊主頭に似ている事から「鬼石坊主地獄」と呼ばれる様になった。

灰色の熱泥が沸騰する時、球状に膨れ上がります。規模こそ違いますが、八幡平後生掛温泉地内にも同じ様な泥火山群があり、同心円状の波紋を見ることが出来ます。

見た感じとして、ここの泥池はかなり柔らかいなと思いました。

鬼石坊主地獄 2 鬼石坊主地獄 3
鬼石坊主地獄 4 鬼石坊主地獄 5


かまど地獄 1 かまど地獄・・・

別府地獄めぐりのひとつかまど地獄は、泉温90度の温泉が噴気とともに湧出。古来より氏神の竈門八幡宮の大祭に、地獄の噴気で御供飯を炊いていたことがその名の由来。かまど地獄は1丁目〜6丁目までさまざまな湯の池がある。

入り口にあるかまど上の鬼です。この下に二丁目があるのですが、人出が多く見ないで通り過ぎてしまいました。
かまど地獄 2・・・三丁目、あまり広くない池です。 かまど地獄三丁目・・・

3丁目は乳白色の池なのですが、説明板を撮影しないでしまい詳細は不明です。
かまど地獄 3・・・四丁目 かまど地獄四丁目・・・

ここの池の色は、地下にある岩盤が地熱によりできたねばっこい色んな種類の粘土がとけだした色です。(酸化鉄の色ではありません)

色合いは違いますが、坊主地獄と同じ模様が見られました。表示では80℃あるようです。
かまど地獄 4 かまど地獄 5

かまど地獄 6・・・五丁目の池と噴気。 かまど地獄五丁目・・・

5丁目の池は、湯の色がグリーンやブルーに変化する。

巨大な温度計がありますが、湯温は100℃を超えています。この池の周囲はフェンスで囲まれていますが、フェンスの内側を歩きながら説明されている男性がおりました。

慣れているとは言え、何かのはずみで転んだら熱湯地獄になり怖いなと思いました。
かまど地獄 7 かまど地獄 8
かまど地獄 9 たまたま誰もいない場面を撮影できました。右端に立て札がありますが、フェンスの奥には六丁目のかまど地獄があります。
かまど地獄 10・・・池の底にあるシリカ。

5丁目の底から採取された小枝に析出した白色物質。

この白色物質は、小枝を核にして出来た非晶質のシリカ
(二酸化珪素)・温泉沈殿物(珪華)であり、50年前後の年数がかかって出来たものと推定される。また、池をふちどるテラス状の白色物質も非晶質のシリカであります。

かまど地獄 11・・・六丁目 かまど地獄六丁目・・・

6丁目は水分が少なく、ポッコポッコと噴き出す熱泥坊主は、まさに地獄を思い起こさせる。

ここの池の色は、地下にある岩盤が地熱によりできたねばっこい色んな種類の粘土がとけだした色です。蒸気と温泉が同時に出ているため熱泥となっています。
かまど地獄 12 血の池とは違い鉄さびの色でしたが、狭い場所で沸騰している様子は凄まじいの一語に尽きます。


白池地獄 1 白池地獄・・・

噴出する熱湯は無色透明で、池に落ちると青白く色が変化する。

また、白池地獄には温泉熱を利用した熱帯魚館があり、アマゾンに生息する人食魚ピラニア等、さまざまなめずらしい熱帯魚を見ることができる。


光線状態が良くなくはっきりしませんでした。
白池地獄 2 白池地獄 3


鬼山地獄 1 鬼山地獄・・・

鬼山地獄は、別名「ワニ地獄」とも呼ばれている。大正12年に日本で初めて温泉熱を利用し、ワニ飼育を開始した。

地獄めぐりの中で、一番迫力があり凄いなあと思った場所です。画面中央から噴き出す熱湯、耳をつんざくような音がしています。

鬼山地獄 2 鬼山地獄は温度99℃、噴気温度が110℃あり、蒸気もかなり熱いのです。蒸気をくぐり抜けると肌が深呼吸したように感じ、生き返った様になります。

噴出する熱湯ですが、逆光線でもありうまく止まって見えませんでした。
鬼山地獄 3 鬼山地獄 4
鬼山地獄 5 温泉につかって元気な84匹のワニ、 たくさんのワニさんが、みなさんをお待ちしております。

ここからワニ飼育水槽への温水が引かれます。このままでは熱すぎるので水を加えています。飼育中のワニを見ましたが、撮影はしていません。

地獄讃・・・

ダンテにしても、ミルトンにしても、ブレークにしても、その描いた天国はちっとも美しくもなければ面白くもない。

それなのに地獄編になると、全く凄まじい楽しさだ。そこには生きるものの残虐さが遺憾なく表現され、僕など極楽へやってもらうよりは地獄行きを願いたい。偉大な詩人や作家によって描写される天国も地獄も、近代人にとっては恐ろしいところでもなく、羨ましいところでもなくなった。

しかしながら我が別府に遊ぶと、八大地獄が現前する。これは確かに恐ろしい地獄に相違ない。熱湯が噴出し、轟々と地鳴りがし、生きた巨大な鰐が数え切れないほど犇めき、鬼こそ目に見えないが足を滑らせたら、一瞬にしてこの世のものではないのだ。地獄の釜より熱いだろうと思うと、地獄へ行きたい根性などかき消えて仕舞う。

人間は一度は現世の地獄を見、何等かの意味でおのれを空しうして反省し、生きる道を考えるには別府の地獄の諸相を目の当たりに見ることを寧ろ御すすめしたい。地獄をくぐって生き返った人間こそ、本当の人間だからだ。

                                                                今 東光

(※頂いた資料 ようこそ「地獄」へ)より



実際に別府の地獄めぐりをすると、熱湯噴出【国指定名勝】ですが見ている分には恐怖を感じません。しかし、撮影した画像を元にページの解説文を作成しながら思いだすと、もし・万が一足を滑らせたらどうなるか・・・と考えると背筋が冷たくなります。間違いなく即死に近い状態におちいります。

今東光氏の「地獄讃」を読んでいると、地獄をくぐって生き返ってこそ本物の人間としての道が開ける。そんなことを考えると、幸か不幸かここまで生きてきている自分に地獄体験がないことに気がつきます。人としての生き方の強かさ、地獄とは何かを考えさせられる一文でした。

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