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      岩手町・北上川の源泉・弓弭の泉


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清水の湧き出る杉の木と弓弭の泉。

平成24年5月2日のことでしたが、二戸市呑香稲荷神社で春祭・探湯祭神事を撮影した帰りR4号をゆっくり南下してきました。ねらいは岩手町にある北上川源泉・弓弭の泉に寄ることでした。前回訪れたのが平成19年9月のことでしたので、御堂観世音境内、目当ての弓弭の泉も一面の木立の中にあり画像としては不満足なものでした。

その時の様子は、ほっづぎある記四コマにまとめるのがやっとであり、葉のない時期に訪れたいなと思っていた矢先でもありました。今回は御堂観音の様子と弓弭の泉、そして泉から流れ出る源流の源とも言える小さな流れを記録することが出来ました。


岩手の母なる大河・北上川は、岩手町御堂付近に源泉があります。この地から河口になる石巻市まで延々249kmを流れ、昔から恵みの川として流域の田畑を潤し、また交通の要所として船運が活発に行われていました。戦後の巨大台風(アイオン・カザリン)の襲来で甚大な被害をもたらした川でもあります。子どもの頃から知っていた五大ダムの完成で、以前に比べたら治水計画のおかげで安心して暮らせる流域でもあります。

以前から一度訪れてみたいと思っていた源泉です。一戸町奥中山にほど近いR4号から東に少し入った所に、きれいに整備された「いわてまち川の駅」がありました。

岩手町は、北緯40度に位置する東北一の大河・北上川の源泉の町です。伝説のロマンにいろどられたこの泉は、「弓弭(ゆはず)の泉」と称され、古来この地方の人々に愛されて来ました。

(※ほっづぎある記の内容から転記)



北上川・・・

北上川は、岩手県および宮城県を流れる一級河川。北上川水系の本流である。流路延長249km、流域面積10,150kuは東北最大であり全国でも4番目に入る。日本の河川としては勾配がかなり緩いことが特徴としてあげられる。

岩手県岩手郡岩手町の弓弭の泉(ゆはずのいずみ)に源を発し、盛岡市、花巻市、北上市、奥州市、一関市などを通って北から南へと流れる。宮城県登米市で旧北上川を分け、洪水防止のため開削された新北上川に入る。東へ向きを変え石巻市の旧北上町地区で追波湾に注ぐ。

(※ウイキペディアより)


北上山御堂縁起・・・

當山は大同二年坂上田村麻呂将軍の創建にかかる勅願の名刹正覚院といわれ本尊十一面観音奥州三十三番中三十二番の霊場である。御詠歌・・・よしあしを何といわでの岩つつじ まよいをてらせ九世の誓いに・・・。

天喜五年旧六月、源頼義義家父子が安倍頼時・貞任・宗任等を討伐(前九年役)の際、観音の霊験によって清水を得大勝を得たので感謝のため一宇を建立して義家の念持仏、黄金の千手観音像を安置し新通法寺と称した。

この清水は弓弭の清水と名付けられ、北上川の源流となり御堂村の名も生まれたといわれる。戦国時代(天正の頃)一時行方不明の観音像が羽柴秀吉の持仏となっていたところ、蜂須賀小六正勝抜群の戦功あり秀吉からの恩賞として正勝に下賜され、以来蜂須賀家の至宝として代々の崇敬厚かったが、宝永七年十一月徳島藩主蜂須賀飛騨守隆長の姫春子の方が南部三十二代利幹公の奥方として入輿の時に持参せられ奇しくも百数十年ぶりで再び南部にお国入りとなったのである。

爾来南部家では城中奥深く代々の太守自ら鄭重に祭祀を司られるならわしとなって今日に及んだ。この御本尊の徳島時代に同?の危急を救われた不思議の霊験あり「はらみ観音」の名で??尊崇を受け南部藩に対する功徳利生の実例も数多く従って賽者跡を絶たず現在に至っている。

(※案内板より)


御堂観世音 1 御堂観世音・・・

「かわの駅」の上に御堂観世音があります。正面の山門をくぐり、真っ直ぐ伸びている石段を登りました。

山門の扁額には「御堂観世音」と書かれてあります。山門をくぐると御堂観世音本殿になります。
御堂観世音 2 御堂観世音 3
御堂観世音 4 山門をくぐり石段を登った所に鎮座する御堂観世音が鎮座していました。案内板を読んでびっくりしたのは、後三年の役に関わる源頼義・義家父子の建立になるとありました。

観音様の御本尊は、源頼義が戦勝を祝って寄進した黄金の千手観音像です。この黄金の千手観音像が、羽柴秀吉、蜂須賀家と関わることを知り、歴史の事実の重みと言いますか、歴史上の出来事がより身近に感じられました。
御堂観世音扁額

御堂観世音の扁額です。


弓弭の泉 1 弓弭の泉・・・

御堂観音の奥に、北上山水神と弓弭の泉の石柱が立っています。

天喜五年六月、安倍頼時征伐の為、源頼義、義家父子が馬を進めた折、打ち続く炎暑に苦しみ岩手郡平定もはかどらず本国を伏拝み救世祈念、義家が弓弭をもって岩をうがち泉を得たと言われ、今尚清水が湧き出て北上川の源泉をなしている。(※現地の案内看板より

杉の木の根元の窪みにコケが生えており、僅かですが水がしたたり落ちています。
弓弭の泉 2 弓弭の泉 3
弓弭の泉 4

杉の木の根元から滴り落ちる水が、下の窪みに貯まっています。この場所はすごく静寂であり、したたり落ちる水を見ていると身が引き締まる思いがしてきます。

狭い場所ですが清水であり、側には柄杓が掛けられています。私も飲んでみましたが、特別な感じはしませんでした。ここから溢れた清水が側の池に溜まり弓弭の泉になります。

弓弭の泉 5 弓弭の泉 6
弓弭の泉 7

弓弭(ゆはず)の泉です。直径が2mほど、深さは1m位と思います。清水の中にはお賽銭にあげたのでしょうか、硬貨がキラキラと光っています。

この泉からあふれた水が、下に流れ出て北上川の源流になるのですから感無量です。

弓弭の泉 8 源泉池を上から見た様子。木々の芽生えが出はじめた頃でもあり、前回よりはっきりと撮影することが出来ました。
巨大な杉の枯れ木 清水のある場所の上に、巨大な杉の枯れ木があります。案内板によると、樹齢千二百余年の風雪を生き抜いた県下有数の老木であると書かれていますが、現在はすっかり枯れて途中から折れています。

しかも、中は空洞であり、上の方には焼けこげた跡がはっきりと残っていました。平成五年三月の看板ですから、その後に落雷があり火災になったものと思われます。

画像ではそれほど大きく見えませんが、中の空洞にこの裂け目を通り入ることが出来ます。
北上山水神 巨大な杉の木の下にある北上山水神、側には岩手町と石巻市を結ぶ記念碑が立てられています。

水神社の中をのぞきましたが、昔からのものと思える権現様の獅子頭、置物等が並んでいました。
記念碑 母なる川北上川は岩手町御堂観音、弓弭の泉を源とし、??(二四七)キロメートルを流れ石巻の河口で太平洋に注ぐ。川の流れの悠久を思い、自然の恵みに感謝し北上川げんせんのこの地に本碑建立す。

(祈念碑からの文章ですが、読めない漢字がありました)

源泉からの小さな流れ 1

源泉からの小さな流れ・・・

御堂観音の境内を良く見ると、細い流れがあることに気がつきます。しかも、流れは掘り下げられ縁石まで置かれています。

大量の水が流れているのではないのですが、流れをミクロの目で見ていると庭とさえ思えてきます。枯れ葉等も取り去られ、毎日きれいに整備されていると思いました。

源泉からの小さな流れ 2 源泉からの小さな流れ 3
源泉からの小さな流れ 4 この場所は整備されたものでしょうが、岩の窪みを流れ落ちる様子はなるほどなと思いました。
源泉からの小さな流れ 5
泉から流れ出た小さな流れ、道路脇の岩場を流れ落ちて道路脇の側溝に流れ落ちます。この流れは道路下の川の駅を経由して大きな流れとなります。

北上川がここから始まる、そんな想いで小さな流れを見ていると、流域に住んでいる私達にとって優しい北上川であって欲しいなという想いがつのります。

北上川・・・


北上川は、岩手県および宮城県を流れる一級河川。北上川水系の本流である。流路延長249km、流域面積10,150kuは東北最大であり全国でも4番目に入る。日本の河川としては勾配がかなり緩いことが特徴としてあげられる。

岩手県岩手郡岩手町の弓弭の泉(ゆはずのいずみ)に源を発し、盛岡市、花巻市、北上市、奥州市、一関市などを通って北から南へと流れる。宮城県登米市で旧北上川を分け、洪水防止のため開削された新北上川に入る。東へ向きを変え石巻市の旧北上町地区で追波湾に注ぐ。

(※ウイキペディアより)

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