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      北上市猿ヶ石用水地区・稲瀬調整池


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調整池上の通路で係の方から説明を受けている様子

猿ヶ石用水地区・稲瀬調整池・・・

8月23日のことでしたが、所属する団体の撮影行事で、北上市にある猿ヶ石用水地区・稲瀬調整池を訪れてきました。
稲瀬と名前が付いていますが、かつての江刺市稲瀬地区であり現在は北上市稲瀬町になります。私たちは以前から柏原と呼んでいる広大な土地の北側に位置します。

ここ稲瀬調整池(ちょうせいち)は、田瀬ダムからここまで引かれる水路の末端になり自然流下しています。田瀬ダムの標高が約200m、ここ柏原が標高136m位あります。距離にして約21.5kmあり、田瀬で取水しこの地まで届くのに約一日かかると言います。以前に見てきた滝沢駅前にある岩手山麓円筒分水工も、遙か彼方にある姫神山の右側に広がる岩洞湖からの水が暗渠パイプラインで目の前に来ていますという説明に驚きました。


猿ヶ石用水農業水利事業の概要・・・誰もが住んでみたい村に農業農村整備・・・

本地区は、昭和28年から昭和45年にわたり国営事業により整備開発された施設が稲作事業の進歩等営農携帯の変化による用水量の増加と、厳しい気象条件下で老朽化が著しいため水路等を改修して、用水の安定供給と用水管理の合理化等を図り、水田の高度利用を促進し農業経営の安定を図るものである。
                                                        (※看板案内文章より)



トップの画像は、調整池上の通路で係の方から説明を受けている様子です。中の様子はいつもは見えない所ですし、ましてや勝手に立ち入ることも出来ない場所です。お天気に恵まれ水面は鏡の状態でした。

                                                      (23014.08.31 作成)


外から見た稲瀬調整池の様子 稲瀬調整池

かなり前からこの場所に来て外部構造の様子を撮影していました。

もちろんですが、調整池に入る階段は施錠されていて入ることは出来ません。
全体案内看板

コンクリートの壁に設置されている看板には、調整池の構造や、田瀬ダムからの各地に流れる水路経路図が掲げられています。

田瀬ダムから水の流れてくる経路図 水路部分の切り出しです。田瀬ダム南側から取水された水は、途中で大きく二方向に分岐します。

我が家の田んぼが利用する水路は北部幹線用水路であり、現在地(調整池)から暗渠水路のパイプラインで流れてきます。
稲瀬調整池の構造 稲瀬調整池・・・

大きな看板では分かりにくいので、主要な部分を切り出してみました。

私たちは見学のために階段通路を上り、中まで入ってみました。

直径が42.7m、深さが6.3m(水深5.5m)ある大きな貯め水です。


現場での説明から・・・

今日ご案内するのは稲瀬調整池なのですが、ここは国営事業で行った水路の改修工事で、田瀬ダムからここが一番の末端になります。この調整池で鶴羽衣線と三照線になります。

早く言えば調整池と言うよりも大きな分水工と思えばいいと思います。この施設は平成11年から続き約2億一千万かかっております。ここから鶴羽衣線と三照線に水を分けるのですが、これらの操作は全部ここでも操作できますし、栄町に水路管理施設を造りここで遠隔操作をすることも出来ます。雨降った時とか水を欲しい時、わざわざこっちに来なくても水を流せる仕組みになっております。

ただし、水を欲しい時はこの施設だけでは一日持ちません。上流の田瀬ダムから水を流してこないと、この施設だけでは半日ぐらいしか持ちません。貯めているので一杯流せますが日中のみです。夜はどうしてもここでは足りませんので、夜は貯めることになります。

田瀬ダムからここまで約21.5kmあります。田瀬で水を取水し始めてここまで着くのに約一日かかります。もちろん水を欲しい時は途中の分水工で水を採られますので、ここまでくるには時間がかかります。ここが一番の末端です。

水は東和町の田瀬ダムから梁川の大幡まで3kmトンネルで繋がっています。ここで北部幹線と東部幹線に分かれる大きな分水工があります。水路はトンネルと一部サイフォン、三分の一がトンネルになります。

※レコーダー記録から文章化しました。

調整池上での説明 1・・・ここの端っこから上りました。 調整池上部通路・・・

外部から見ても巨大な円形コンクリートの建物です。丸い池ですが、直径が42.7m、深さ6.3m(水深5.5m)大きな溜め池とも言えます。

普段は入ることが出来ないのですが、見学のために特別に許可されて説明を受けました。

この施設は約8000トン、約8000リューベの水を貯めることが出来ます。
調整池上での説明 2 調整池上での説明 3
調整池上での説明 4 小学校の25mプール約30杯分ここに貯めることが出来ます。ただし、水を欲しい時はこの施設だけでは一日持ちません。

上流の田瀬ダムから水を流してこないと、この施設だけでは半日ぐらいしか持ちません。貯めているので一杯流せますが日中のみです。

夜はどうしてもここでは足りませんので、夜は貯めることになります。水の必要が無くなれば自然に落としてきて、冬は全部空にします。
調整池上での説明 5 調整池上での説明 6

水面に映る白雲 1 秋空のごとく晴れ渡り風がありませんので、水面が鏡の様に白雲を写し込んでいました。

このような光景が大好きな私は、白雲を切り取ってみました。
水面に映る白雲 2 水面に映る白雲 3

調整池上から見た南側の様子 調整池上から見た南側の様子になります。

画面中央に道路と民家が見えていますが、北上市トロイカ牧場になります。

周辺の田んぼも色づき始め、たわわに実った稲穂が頭を垂れています。
調整池上から見た北側の様子 北側の方向になります。
向こうの山を越えると、北上市口内町に向かいます。
池のほぼ中央寄りにある排水路です。普段は使用しないのですが、雨が降ったり貯水の限度を超えた時ここから流れ落ちます。

深さが5.5mあります。

説明された方のお話では、・・ここに管理用の階段がありますが、職員誰一人下に降りたことがありません・・。
「水が一杯になるとここから流れていくの・・?」との質問に、・・一杯になるとここから吐ける洪水吐きの様なものです。

越流してそれぞれの水路に流れていきます。この様に満水になればいいのですが、ここは満水になる事は滅多にありません。

分水工と言いますか、ゲートがあってここを開けて水路に流します・・。


乾いているコンクリート上に、点々と小さなタニシが甲羅干しをしていました。

今年も豊作です 1
今年も豊作です 2・・・遙か彼方の山並みは奥羽山脈になります。
たわわに実り頭を垂れている稲穂です。農家の皆さんのお話ですと、今年の稲刈りは早くなりそうです。しかし、天候激変があり雨降りと曇り日が多いのが例年と違います。全て機械化された農作業ですから、田んぼの地面が乾かないことに大型機械が入られません。

私が子どもの頃、この地は赤松林の原野であり田んぼはほんの少しの場所にしかありませんでした。その大きな理由は、田んぼを作ろうにも水利がなかった事にあります。しかし、稲作にかける先人達の努力により溜め池(堤)を造り稲作水利にしていました。

今は当時の面影は一切無く、赤松林は伐採され開田として広大な田んぼが造成されました。このことは、必要な時に田んぼに水が使用できる水路が完成したことによります。最初に造られたコンクリート製の水路も、経年変化による劣化は避けられず、国営事業として農水省直轄事業として平成二年から十三年までかけて162億円の巨費を投じ新しい水路が完成しています。

猿ヶ石用水地区・稲瀬調整池の見学で、説明された方から資料を頂きました。少しその内容から引用してみました。


田瀬取水施設・・・

むかしは、日でりのために田んぼの水が足りず、争いになることもありました。遠い猿ヶ石川から水を引くことは、ずっとむかしからの先人の夢だったのですが、用水路が山々をこえなければならないことを考えると、夢物語として語られるだけでした。

ところが・・・、1959年(昭和29年)田瀬ダムの完成とともに、国から補助をうけて東和町の取水隧道(トンネル)工事がはじまりました。1959年(昭和34年)奥州市江刺区へ取水隧道が貫通し、二年後の1961年6月から猿ヶ石川の水が江刺に流れ込んだのです。

ずっとむかしの先人から、夢物語として語られてきた夢が、かなったのです。

                                           (※小学生の見学用に作成された資料から)



今は田んぼに水が来るのは当たり前になり、水のありがたさや取水のための先人の苦労等が忘れられがちです。たまたまですが、胆沢ダムや各地にある用水路分水工を撮影しながら想いを昔にはせますと、水のありがたさが脳裏に浮かんできます。当たり前の事ですが、水を大切にしないといけないなあ、うまく管理しないと水はすぐ牙をむきます。そんなことを想いながら記事を書いています。
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