未来に残したい一関の原風景 金山棚田
農業史学者古島敏雄の著書「土地に刻まれた歴史」によれば、水田開発の始まりは丘陵・山地に刻まれた小さな谷からであるとしている。この棚田も丘陵・山地に拓かれた小さな棚田である。面積は、四反二畝(四十二アール)の中に百数枚の田を数える。
水源は、沢水・天水・溜池であり、上の段から下の段に水が落とされる田越灌漑が行われている。開拓された時期の記録はないが、古老の話によると江戸時代後期とのことである。拓かれてから百年以上にも亘って伝統的農耕(手作業)を継承して美しい棚田の景観を今に伝えている。
苦労して造ったものは大切にしたいものであるが、圃場条件の悪さや耕作者の高齢化からこの景観を維持していくことは困難な状況になって来ている。金山棚田を守る会では、食を考えると共にこの棚田を地域の宝として守る活動に取り組んでいる。
平成二十五年五月二十五日
金山棚田を守る会
(一関市農村地域活性化モデル支援事業)
※現地の看板より
観察台から周囲を見渡すと、大きな田んぼ、小さな田んぼ、今は耕作をやめている田んぼがはっきり分かります。溜め池の周辺は高台になっていますので、畦畔を崩さないように注意して歩くと細かい様子が見えてきます。しかし、決して無理して畦道を歩かないようにすべきです。修復するのに大変ですから・・。 |