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           大槌町・蓬莱島


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堤防入り口手前から蓬莱島を120mmレンズで切り取った様子です。たまたまでしたが、三人の見学者が並んでこちらに戻ってくる所でした。

大槌町・蓬莱島・・・

NHK放映の人形劇、「ひょっこりひょうてん島」のモデルとされる島として一躍有名になった、大槌町赤浜地区の沖合にある蓬莱島です。放映されたのが1964〜69年ですから、私が山田町立船越中学校に赴任した頃の話になります。確か夕方の六時台だったと記憶していますが、ドンガバチョなんて言う人形の姿を何となく覚えています。

恥ずかしい話しですが、赤浜地区の蓬莱島が「ひょっこりひょうてん島」のモデルとなったことについては、かなり後になってからのことでした。もし知っていれば、大槌町赤浜地区は山田町のお隣ですから出かけていたと思われます。

ウチノメ屋敷のサイトを立ち上げてからは、沿岸部の撮影場所候補として心に決めていたのですが、なかなか訪れる機会がありませんでした。今年の春のことでしたが、山田町大沢地区に咲いている臥龍梅を撮影するために山田町を訪れました。その帰り道に大槌町赤浜地区に入り、蓬莱島の海岸まで出かけてみました。この日はきれいに晴れているのに、堤防に出たら吹き飛ばされるような強風に見舞われ、狭い堤防を歩くのに恐怖を感じ断念しました。

そんなこともあり、二度目の挑戦で念願の堤防を歩き島に渡り、灯台や神社をがっちりと撮影しました。もちろんですが、400m以上もありそうな狭い堤防の様子を色々とアングルを変えて撮影しました。ここでは、蓬莱島の様子をあれこれと撮影した中から、堤防、蓬莱島、灯台、神社等々にまとめてみました。

トップの画像は、堤防入り口手前から蓬莱島を120mmレンズで切り取った様子です。たまたまでしたが、三人の見学者が並んでこちらに戻ってくる所でした。
                                                       2016.12.18 作成



造船所 蓬莱島を望む・・・

正直の所、この場所まで来るのにかなり大変でした。津波被災による被害から復興作業が進んでいますが、取り付け道路が寸断され迷いながらの現場入りでした。

造船所のようですが、ドック入りした大型漁船が改装中であり、港も復旧作業の進行中でした。

茶色の大きなビルは、東京大学の大気海洋研究所の建物であり、2011年の津波被災により二階以下の部屋が壊滅状態になっています。
港湾工事 東京大学
蓬莱島を望む 1 400m先の蓬莱島・・・

ここからは、400mの堤防を歩きながらあれこれ工夫しながらの撮影でした。

ここからの画像は、二回目に訪れた7月12日の様子になります。くっきりと晴れ渡りほぼ無風に近い穏やかな日でした。この先しばらくは、左側の堤防上部の防護壁があり安心して歩けます。
蓬莱島を望む 2 防護壁の切れた場所に大きな看板が埋め込まれ、朱書きで「あぶない!!」表示されていました。

蓬莱島の方から、三人の男性が戻ってくるところでした。
警告板 あぶない!!

防波堤の上で釣りをしたり

遊んだりしてはいけません。

             岩手県


最初は何でと思ったりもしましたが、三月に訪れた時の強風を思えばさもありなんです。普通の堤防より幅が狭く、長い堤防の間にはつかまる物等が一切ありません。
蓬莱島を望む 3 三人の男性の歩く場所をよく見てください。せいぜい横に並んで四名ぐらいが適当です。それ以上に拡がると、端の人は堤防のほとりを歩くことになります。これでは怖くて歩けなくなります。

波が強かったり、風にあおられると私でなくても怖くなると思われます。三人の方々が通り過ぎてから、私も堤防の真ん中をゆっくり歩きあちこち撮影しました。

間近に見る蓬莱島は、こぢんまりとした可愛い島でした。
蓬莱島を望む 4 蓬莱島を望む 5


蓬莱島・・・

赤浜地区沖合に浮かぶ小さな島であり、古来から歴史的にも注目されていた島のようです。

蓬莱島は、岩手県上閉伊郡大槌町の大槌湾内にある島。ひょうたん形の島で、『ひょっこりひょうたん島』のモデルになったとされる。周囲約200mの小島で、大小2つの丘が連なったひょうたん形をしている。

小さな方の丘には1953年12月20日に設置された高さ7.4mの大槌港灯台があったが、2011年3月11日の東日本大震災で根元から倒壊。その後、再建され、2012年12月13日に初点灯した。再建後の灯台は、大槌町在住者からの公募によって選ばれたデザインで、太陽と砂時計をイメージした形をしている。高さは再建前より4m高い11.47mとされている。
                                                          ※ウイキペディアより

1738年(元文3年)南部藩主利視公が、不老不死の地を指す蓬莱島と呼ぶように命じたとあるようです。神社のお堂には、豊穣の神様で水との関わりが深い弁財天が祀られ、漁業者が船上から大漁や安全を祈願するなど、古くから信仰を集めていたと言います。
                                                           ※ネット資料より


参考資料・・・

蓬莱島の町文化財指定について

・・・蓬莱島は、古くから町民に「弁天様」と親しまれてきました。漁業者にとって、弁天様は、豊漁と航行安全の守り神として敬われてきました。昭和39(1964)年に、NHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の放送が始まり、大槌町民は、蓬莱島が、そのモデルの島であると信じてきました。

東日本大震災津波によって、島は水没し、灯台が大破し、オットセイ供養塔が流され、弁財天の鳥居も破壊されましたが、弁財天のお堂と、まつられていた弁財天は流出を免れました。

「ひょっこりひょうたん島」の歌詞は、震災を乗り越えようとする町民への心強いメッセージとして強く認識されるに至っただけではなく、島民がみんな一緒になって課題解決に向かう姿勢は、震災復興に一丸となって立ち向かう町民の姿に同化しています。
                                               ※ネット資料による議会答弁書より

蓬莱島 1 やっと堤防の先端部にある蓬莱島までやってきました。海岸から400m先の大槌湾に浮かぶ様に見える全島が花崗岩質の岩石でした。

島の周辺の岩場がきれいすぎるほどきれいな茶色の海草でびっしりと覆われています。一面が「フノリ」です。400m程沖にある島は、全体がきれいな水で覆われているので、そこに生えている海草もきれいその物でした。
蓬莱島 2 蓬莱島 3
蓬莱島 4 L字型に曲がり堤防を進むと、神社に揚がるコンクリートの階段が見えてきました。

一面のフノリを眺めて撮影していたら、見学に来られた男性の姿が見えてきました。

ご存じのことかと思われますが、きれいに生えているフノリは勝手に採って持ち帰ることは出来ません。地域の漁協の決まりがあり、特定に日にだけ採取が許されています。採取の許された日を「口開けの日」と言い、漁業者は大切にしているのです。
蓬莱島 5 蓬莱島 6

灯台 1 灯台・・・

蓬莱島に着いて、入り口の堤防沿いに進んだところで後ろを振り返ってみました。何と、なるか遠方でしたが大槌湾口が見え、その右側には御箱崎が見えています。

御箱崎には千畳敷と呼ばれる岩場の平坦地があります。以前の事ですが、釜石港から乗船した「観光船はまゆり」から眺めたのが思い出されます。

灯台 2 遙か彼方に見えているのが、蓬莱島入り口にある東京大学大気海洋研究所と復旧工事中の海岸線です。

大きな道路等は復旧し車で通ることが出来ますが、細かな枝道等はまだまだ迷路状になっています。

奇しくも「観光船はまゆり」は、ドック入りをして点検中に大津波に被災し、蓬莱島入り口にある民宿「あかぶ」の真上に乗り上げ、その後解体されています。
灯台 3 蓬莱島の西側先端部にある灯台です。大槌湾に入ってくる船舶等の航路標識でもあり、また、昔から漁業の神様である弁財天が祀られている場所でもあります。

大槌湾の最奥部は、釜石市の鵜住居地区になります。
灯台 4 灯台の東側には、青銅製のオットセイとレリーフ状の板に漁船名が刻まれていました。

大槌町とオットセイの関係については、次のような記録がありました。

戦後間もなくの事ですが、オットセイの資源調査のために日本、アメリカ、カナダ三国による「オットセイ研究所」が赤浜地区にあったことが発端になっている。

調査等で捕獲したオットセイの慰霊を兼ねた石碑等があったが、津波によって流されたと言います。
灯台 5 灯台 6
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