風景の表情に戻る


        北上市江釣子全明寺・すず


ウチノメ屋敷 レンズの目 自然の表情 暮らしの表情 ウチノメアーカイブス
岩手の鍾乳洞 岩手の蘇民祭 ほっづぎある記 心のオアシス
ドキュメント  

location:uchinome.jpトップ>自然の表情>風景の表情>北上市江釣子全明寺・すず

  サイトマップ


こんこんと湧き出す水が音を立てて水路を流れている清水と、通路で咲き誇るアジサイ

北上市江釣子全明寺・すず・・・

知人からの情報で、・・・北上市江釣子にある全明寺境内のアジサイがきれいだよ・・・と知らされました。アジサイの旬の時期はすでに終わっていましたが、早速出かけてきました。最初は「ほっづぎある記」の内容でページ作成を考えていましたが、撮影した内容を精査したら風景のカテゴリーで編集することにしました。

表題に記した「すず」とは清水・湧き水という意味であり、和賀川の伏流水が大量に湧き出し水路を造っていることを知り、すごい境内だなあと感じました。しかし、通路はかなり狭いので撮影に夢中になっているとドボンと言うことになります。水深が浅いのが幸いですが・・・。

トップの画像は、こんこんと湧き出す水が音を立てて水路を流れている清水と、通路で咲き誇るアジサイの対比が素晴らしいなあと思いました。

                                                       2017.07.27 作成



広い境内を流れ出るすず(清水)の紹介しますが、お寺の境内とは思えない空間ですので最初にすずの様子から紹介してみたいと思います。その後、境内を通り山門から出てくるという普通とは反対の動きをしていることをお断り致します。
駐車場 1 広い駐車場・・・

かなり広い駐車場が境内の下にあり、そこには山門鎮守熊野神社が建立されています。

神社の脇に熊野神社縁起を紹介している石碑がありますが、その内容によれば元来寺の側にあったらしいことが記述されていました。

今回は詳細を見ること無く、側の通路から堰に架かる橋を渡り境内斜面に入りました。
駐車場 2 駐車場 3

すず(清水)と通路 1 すず(清水)と通路・・・

どこから大量の水が流れて来るのか不明ですが、下にあった堰に流れ落ちる水路はかなりの水量がありました。

この水路を見ながら、画面右側にある狭い通路を目指しました。
すず(清水)と通路 2 狭い通路を抜けたら水深の浅い水路があり、側には咲き誇るアジサイが何種類もありました。

訪れたのが7月19日の事ですから、平地でのアジサイの見頃は過ぎていました。しかし、まだまだ立派に咲いて私達を迎えていました。

下の画像四コマは、種類を違えて撮影してみました。
すず(清水)と通路 3 すず(清水)と通路 4
すず(清水)と通路 5 すず(清水)と通路 6
すず(清水)と通路 7 この水路は何m程あるのでしょうか、上に行くにつれてどんどん狭くなっていきます、水路脇のアジサイも見られなくなり、対面の斜面に植え込みがありました。

下の画像二コマに見えてきますが、画面中央が水路の行き止まりであり、本堂の屋根が大きく見えてきました。
すず(清水)と通路 8 すず(清水)と通路 9
すず(清水)と通路 10 行き止まりの場所から見下ろした様子です。左側には小さな立て札があり、その下は水路に降りられるようになっていました。

全明寺すず 1 全明寺すず・・・

四百年以上の歴史ある全明寺裏境内から湧き出すすずで、昔は墓前の供え水として利用されていたが、今は環境が変わり、新設された鐘楼や桜並木と相俟って、美田を通しての眺めは絶景である。

※現場の立て札より
全明寺すず 2 墓前の供え水をここで汲めるように、コンクリートの板が置かれていました。今でも利用される方があるようです。

全明寺すず 3 流れの左端を見たら道路下に土管が組み込まれ、ここからすず(清水)が大量に湧き出していました。

伏流水の出口がこの場所にありきちんと整備されていると思いました。

下の画像は何となく水路っぽい感じがしていますが、流れている気配がありません。
全明寺すず 4 全明寺すず 5
全明寺すず 6

道路に架かる橋から下の方を見下ろしました。ここからすずが流れだし周辺のアジサイを潤しているのでしょう。

全明寺の歴史と共に流れ出しているすず(清水)でした。


全明寺境内 1 全明寺本堂正面・・・

四百年前からこの地にあって、多くの檀家の皆さんに親しまれてきた寺院です。歩いている内聞こえていたのは重低音の迫力ある木魚の音でした。

たまたまですが葬儀の日になっており、早々と境内から去りました。もっと見たかったのは本心ですが、仕方ありません。
全明寺境内 2 立派な鐘楼です。高台にあるので、鐘の音が響き渡ると思いました。
全明寺境内 3 日月山全明寺の由緒説明板です。詳細は最後に掲載してあります。
全明寺境内 4 山門を見てあれっとなったのがお寺の扁額下にある葵のご紋でした。昔は勝手に将軍家の紋章を利用出来るはずが無いのですが、・・・奥寺開拓恩賞として葵の紋章入り二十五条の袈裟を賜っている(現存)。・・・

山門右側には今日の葬儀の案内が書かれたありましたのでカットして失礼しました。
駐車場へ向かう 1 山門を出て、道路から駐車場に向かわないで崖を降りて近道をしました。実際は道が狭く傾斜がきつかったのですが・・。

歩きながら鐘楼や一番下の水路(堰)等を撮影しながら降りました。
駐車場へ向かう 2 駐車場へ向かう 3
駐車場へ向かう 4 駐車場から境内へ進むには二ヵ所の道があります。私は最初にすず水路の道を進み本堂まで進みました。帰りは鐘楼を見ながら急な斜面を降りて駐車場まで戻りました。

鐘楼を見ながらの斜面道

鐘楼を見ながらの斜面道を下りました。少々訪れる時期が遅くなったこともあり、きれいなアジサイが見られなかったところもありましたし、葬儀中でもあり本堂周辺を見られなかったのが残念です。次回チャンスがあれば、全体をもっと詳しく眺めてみたいなと思いました。


日月山全明寺

創建
天文21年(1552)に永徳寺(金ヶ崎町)七世為円輪大和尚が創建する。

由緒
全明寺は二・三回の火災に遭ったといわれ、古文書類は一切残っていない。近年発見された奥寺開拓関係の文書等によれば、寛文年間(1660年代)に奥寺八左右衛門定恒が和賀中部の開拓を行った際に、全明寺の四世大迦祖哲がこれを応援し完成することができたとある。

この恩賞として葵の紋章入り二十五条の袈裟を賜っている(現存)。また奥寺八左右衛門が勧請したとみられる白豪放光大日如来像と、村崎野八景社に安置されていたと伝えられる大黒像と夷像などがここに保存されている。

曹洞宗承陽大師道元が宋から帰国し、曹洞宗を挙揚し、寛文2年(1224年)に大仏寺永平寺を開いて以来現在に至る。只管打坐即心是仏を宗旨とする。

十八世 徹宋代
                                                        ※境内の説明看板より

                     ページの先頭に戻る →