2015第5回洋ラン展に戻る

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洋ラン株全体・・・

ここでは、可能な限り鉢植えの株そのままを基本に配置してみました。ゆったりと間隔を取って配置されていれば良いのですが、狭い場所にびっしりと並べられますと隣の株が入ってきます。

鉢の前には洋ランの名前や栽培者の氏名が記されていますが、あまり気にせず切り取ったことをご了承ください。
洋ラン株全体 1 洋ラン株全体 2
洋ラン株全体 3 洋ラン株全体 4
洋ラン株全体 5 洋ラン株全体 6
洋ラン株全体 7 洋ラン株全体 8
洋ラン株全体 9 洋ラン株全体 10


洋ラン株縦位置・・・

展示されている洋ラン、中には樹木のように背丈が伸びている株がありました。見ている分には良いのですが、これを撮影して画像表現するとなると大変です。もっと数が多くありましたが、ここでは画面の関係上三コマに限定しました。会場にはもっときれいな株もありましたが、並べられている位置の関係等から画像化できなかったことをお詫びいたします。

洋ラン株縦位置 1 洋ラン株縦位置 2
洋ラン株縦位置 3 撮影した画像の中で一番のお気に入りです。

うまく表現が出来ないのですが、清楚な感じのする花が垂れ下がっているのに惹かれたのかも知れません。


日本には明治の頃に持ち込まれた。明治22年(1889)に子爵福羽逸人がフランス留学から帰国時にシンビジウムやオンシジウムを持ち帰り、明治27年には新宿御苑に温室が建設されて本格的な洋ラン栽培が始まった。

当時の華族や皇族の間で広まった。当初は株分けによる遅々とした増殖しかできず、栽培にも高価な温室が必要で上流階級の趣味か、せいぜい専門業者による高級切り花として販売されるに留まった。

長い間洋ラン栽培はきわめて高級な趣味と見なされてきた。理由としては特殊な技術や設備が必要であることもあるが、大量増殖がきわめて困難であった点が大きい。

これには2つの面があり、一つは種子からの繁殖の困難さ、もう一つには株を増やすことの困難さがある。そのため、洋ランは長らく極端に高価だった。

                    ※ウイキペディアより


この記事を読みながら、洋ランとはかなり奥が深い植物だと改めて知りました。
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