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        世界遺産・姫路城を訪ねて

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世界遺産姫路城と刻印された自然石とバックの天守群。

6月25日深夜、待ちこがれていた平泉文化遺産のユネスコ世界遺産登録が正式に発表されました。登録された資産は、中尊寺、毛越寺、金鶏山、観自在王院跡、無量光院跡遺跡の五ヵ所です。今まで訪れた日本の世界遺産は、広島県・厳島と原爆ドーム、そして、兵庫県・姫路城になります。

所属するグループの旅行で、憧れの姫路城を訪れたのが平成22年9月上旬のことでした。城跡や現存の城郭(復元も含む)めぐりの好きな私にとって、日本の代表的な姫路城は憧れの地でもありました。しかし、現地の滞在時間が3時間ほどしか無くて、ゆっくりと見て撮影するゆとりのない駆け足訪問になりました。

また、平成21年から姫路城大天守の保存修理が始まり、大天守をすっぽりと覆う素屋根が掛けられ見学等は出来ません。しかし、私にとって憧れの姫路城です。グループの皆さんに遅れそうなりながらも、あちこち撮影してきました。


世界遺産姫路城・・・

姫路城は、世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき、文化遺産として世界遺産リストに登録されました。このことは、人類全体の利益のために保護する価値を持っていることを正式に認められたことになります。

姫路城は、城主池田輝政が築城したもので、慶長6年(1601)から8年余の歳月を掛けて天守など主要部が完成し、さらに元和3年(1617)に城主となった本多忠政により、西の丸や三の丸が整えられました。

螺旋状に三重の濠ををめぐらし、その内部に城下町をとり混んだ大規模な縄張りは、防御に工夫した、日本独自の城郭の構成を最もよく示しており、天守群、櫓、門、水堀等の建造物群や濠、土塁などがよく保存されています。

姫路城は、現存する最大の城郭建築で全て木造です。木造の外側を土塁で覆い白漆喰仕上げています。大天守は五層六階・地下一階で、各層に千鳥破風と唐破風を飾り、最上部を望楼とし三方に小天守を配置した連立式天守でその美的完成は我が国の城郭建築の中でも最高の地位にあり、世界的にも例をみない貴重なものです。

白漆喰総塗篭の天守群の立ち並ぶ姿から「白鷺城」の名で親しまれており、桃山時代の技巧を駆使した近世城郭建築史上最も優れたものです。

登録年月日 平成5年(1993)12月10日   (案内パネルより)


入り口案内図

姫路城大手門と桜門橋・・・

姫路城の大手門は、本来三重の城門からなり、城内では最も格調高く厳重な門でした。現在「大手門」と呼んでいる大型の高麗門は、昭和13年(1938)年に完成したもので位置や大きさは江戸時代のものと全く異なっています。

また、大手門前の内堀には桜門橋という木造橋が架けられていました。今回復元した桜門橋は、発掘調査で出土した遺構を活かしながら、江戸時代の木橋をイメージして平成19年(2007)年に築いたものです。

桜田門を渡り中に入ります。 大手門が見えてきました。紋章は五七桐となっています。
石垣とその前に立つ石碑。 桜門橋の大手門には五個の家紋がついていました。詳しいことは分かりませんが、どうやら五七桐(豊臣家)の様です。

桜門橋を渡り大手門をくぐると、広大な城郭の敷地になります。巨大な花崗岩に刻印された、世界遺産姫路城の文字が目に入ってきます。その後ろには、素屋根を翔る工事が進められており大天守の真下まできていました。

それにしても、城跡とはどこに行っても広い敷地内にあり驚かされます。実際に作業したのは農民でしょうから、その苦労が思いやられます。
大手門 世界遺産表示の巨大な花崗岩とバックの天守群。
大きさを測りませんでしたが巨大な花崗岩です。 巨大な自然石(花崗岩)に彫り込まれた世界遺産姫路城の刻印です。バックの広大な敷地と後ろの大天守が訪れた人々を迎えてくれます。
広々として空間三の丸跡。 妖しい雲行きになりましたが、ひたすら歩いて城内に向かいました。この広い場所は古地図によると広大な三の丸の跡地となるようです。

明治初期に描かれた鳥瞰図
世界遺産指定範囲のパネル。
上段は、明治初期発行の姫路城鳥瞰図・・・

内堀に架かった橋は桜門橋なのでしょうか、詳細は不明です。橋を渡った場所には大小様々な建物が見えています。


下段は世界遺産姫路城の指定区域図・・・

世界遺産指定範囲の地図であり、内堀の周辺や外堀まで描かれてあります。この図を見ると、桜門橋を渡った広場は三の丸跡と言うことになります。

見えてきた天守群・・・

どの角度から見ても、保存修理のための素屋根に覆われている天守です。見学時間経過とは違う場面もありますが、ここでは大天守を中心としてその偉容をまとめてみました。
天守群 1
姫路城大天守保存修理の概要

姫路城大天守保存修理の概要・・・

姫路市では、2009年(平成21年)姫路城大天守の保存修理を開始しました。これは、1964年(昭和39年)に完了した解体復元工事から46年が過ぎ、漆喰壁をはじめ上層部の軒やひさしに傷みや汚れが激しくなってきたため、本格的な修理を行うものです。

工事期間は、2009年(平成21年)から丸5年で行います。工事期間中は、大天守を完全に覆う形で素屋根をかけ、作業を行います。

修理中でなければ、その偉容はもっと素晴らしいものになったにと悔やまれますが仕方ありません。

天守群 2 天守群 3
天守群 4 天守群 5
天守群 6 一番気に入ったアングルと配置になる場所でした。平面図を参照すると、三国濠の手前からの様子になります。

天守の高さ:姫路城の天守は姫山(標高45.6m)の上に建っています。姫路城自体の高さは、石垣が14.85m、建物が31.5mなので合計すると海抜92mになります。

心柱の大きさ:東西に2本、高さ24.6m、根元直径95cm、末口42cm

面積:内曲輪(うちくるわ)以内の面積・・・23ha
    外曲輪(そとくるわ)以内の面積・・・233ha
    東京ドームの約50倍の面積

総重量:およそ6,200 t
天守大鯱瓦 約2m
年間登城者数 平均82万人程

※ネット資料から
天守群 7 天守群 8
お知らせ案内板

お知らせ・・・

ご来城ありがとうございます。大天守保存修理にともなう素屋根建設工事のため、天守内部には入られません。

西の丸にある千姫ゆかりの化粧櫓や百間廊下、お菊井戸のある二の丸、大天守横の水門内、天守北側の腰曲輪の塩櫓などは通常通りご覧いただけます。以下省略

千姫化粧櫓特別公開中の案内があり、私達はその方向を目指しました。したがって、天守周辺にも行けたのですが時間の関係もあり省略しました。

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