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姫路城案内図
姫路城案内図・・・

参観通路各所にある金属パネルの案内図です。現場で撮影したものを掲示しますが、このままでも何とか判読できるようです。

観光バスを降りてから正味3時間ほどのコースです。天守方向には行きませんので、後で調べてみたら菱の門から西の丸に入り、西の丸長局と言われる多門櫓を通り化粧櫓を見学しました。その後、二の丸方面には行かないで西の丸庭園を見ながら南門跡の通路を戻ってきたことになります。仕方のないこととは言え、撮影に追われて他の場所まで行く時間がありませんでした。

よほどのことがない限り、再度姫路城を訪れことはないと思われます。憧れの姫路城でしたので、資料を色々調べてページを作成しています。かなりの思い違い等がありますがお許し下さい。


三の丸跡の長い通路を通り、城内に入る正面玄関口を通ると「菱の門」が見えてきます。


二の丸菱の門・・・

二の丸の入り口を固めた櫓門で、柱や扉は欅材(けやきざい)を用い筋鉄饅頭金物、八双金物を打ち、脇戸をつけ、両柱の上の冠木に、木彫りの菱の紋を打っていることからこの名前が付いています。



二の丸菱の門 1
二の丸菱の門 2・・・入り口の暗い部分に菱の形の彫り物があります。

西に門番部屋があり、櫓の正面は連続武者窓の左右に華灯窓、裏面は連双武者窓が付いており、上の櫓の内部は3部屋になっています。

屋根の勾配、軒四方の反転など、全国でもまれに見る桃山時代の華麗な城門と言えます。(※案内板から)

菱の形は、この場所を通り抜けるときは気がつかなかったのですが、画像処理をしながら拡大すると確認できました。菱の門の様子はこちらから

西の丸南門跡の坂を登る。

菱の門を通り直進すると「いの門」があり、二の丸の区域になります。私達はここで左に折れ、西の丸南門跡と書かれた石垣の間の通路を抜けて西の丸に入ります。


西の丸・・・

この庭園は、姫路城主本多忠政が、大坂夏の陣のあと、将軍徳川秀忠の長女千姫をめとった息子忠刻夫妻のために、元和4年(1618)に立派な御殿を建ていたところで、中書丸(一名天樹院丸)と言われていました。

御殿を囲むように築かれた300m近い長大な建物は通称百間廊下といい、その右の方の部分は西の丸長局(ながつぼね)と呼ばれ千姫お付きの女性たちが住んでいたといわれています。

その右端の部屋は、千姫が近くの丘にある天神様を拝むために、身づくろいしたり、化粧直しをしたといわれ、化粧櫓とも呼ばれています。

外側の原生林を活かし、自然の地形に合わせて延々と続く建物は珍しいものですが、背後の断崖や狭間を見るとやはり厳重な防備を持つ城郭です。しかし、化粧櫓などの部屋には極彩色の豪華な装飾を施されていたといわれ、御殿が焼失している今、千姫名残の貴重な建物です。(※現場にある説明板から)

西の丸長局(百間廊下)・・・

西の丸に築かれた櫓群は総延長280mにも及び、東端部に位置する二階建ての化粧櫓は、千姫が休憩し身繕いをした部屋と言われ、他は侍女たちの住まいであったという。

外観は挾間や石落としも見られ、窓も格子窓を採用するなど、軍事面にも配慮した造りとなっている。だが、内部は書院造りの部屋もあり、松を描いた羽目板、草花模様で彩色した痕跡の残る柱などが見られ、生活のために利用する居住的色彩が強い。(※雑誌歴史人より)


長い回廊を履き物を持って歩きます。櫓全体の幅は結構

百間廊下 1
百間廊下 2 ありそうで、随所に小部屋のような部分が見られます。頂いた資料によると、300m続く廊下には28の小部屋があります。約8畳の部屋は、千姫が化粧櫓に入ったときに女中たちが詰める場所で、男子禁制の専用の場所であったと言われます。

しかし、実際に歩く通路部分はかなり狭くなり一人が歩ける程度の幅でした。非常事態の時は大変です。実際にこの場所を千姫が歩いたとすると、大変だったろうなと言う気持ちにもなってきます。

また各所に下に降りる石段があり、木の扉が作られていました。これは非常時の出入り口だと思われます。
百間廊下 3 長局(百間廊下)のうちで、この部分だけが広く新しい木材で作られていました。どうやら復元されたもののようでした。

また、各所に階段があり上の建物に行けそうです。木製の階段は中央部の角がすり減っており、時の流れを感じさせます。急傾斜の階段を、衣装をまとった女性たちが昇降したのかと思うとおかしくもなります。
百間廊下 4・・・上に登る階段ですが、立ち入り禁止になって板と思います。 百間廊下 5
百間廊下 6・・・階段に時の流れを見つけました。 多門櫓通路 7
多門櫓通路 8・・・石落とし、ふたをしたようになっています。

石落し(武者落し)・・・

城の防備設備の一つで、内部から真下の石垣を監視できるようになっています。城の石垣は攻め手を防ぐためにより急傾斜に、より高く、より堅固に作られています。しかし、建物の重荷のかかる角の部分の傾斜は幾分ゆるやかになっています。このため攻め手によじ登られる可能性が多く、この欠点を補うのが石落しです。

攻め手が石垣に接近したり、よじ登れば石を落としたり槍や鉄砲で追い落とします。石落しは大天守、小天守をはじめ主要な建物や土塀に設けてあり、種類もいろいろありますが、姫路城のものは築城史上最高に発達した形で、装飾も兼ねた美しいものです。

百間廊下 9・・・狭間(さま)鉄砲や弓を射るときの小窓

狭間(さま)・・・

城壁や櫓のへさきなどに設けて、内から外をうかがったり矢・鉄砲などを用いるための小窓。

外から見ると、漆喰の城壁に小窓のように開いています。各所に設置されているので、城全体ではかなりの数になると言います。それだけ守り防備が厳重だったと言うことなのですが・・・。
多門櫓通路 10・・・石落としと頑丈な格子窓 百間廊下 11・・・長い回廊状の通路、この場所は結構広さがありました。

千姫と化粧櫓・・・

千姫は徳川二代将軍秀忠の姫君として生まれ、政略によって豊臣秀頼に嫁したが、大阪落城の際に救い出され、のち本多忠政の子忠刻に再嫁した。

元和三年忠政が伊勢桑名から姫路十五万石の城主となったとき、忠刻も千姫の化粧料として部屋住のまま十万石を与えられ、姫路に移り住んだ。

忠刻と千姫の居館は、西の丸内に本館として中書丸を、桐の門内に下屋敷として武蔵御殿をそれぞれ築き住んだ。これらの建物は、多く豊臣秀吉が築いた伏見桃山城を取りこわした用材を移して建てたもので、桃山時代の立派な書院造りの建物であった。

千姫は、天満天神を信仰し、姫路へ来てからは、西方の丘男山にこれを祀り、毎朝西の丸の長局の廊下から参拝した。このとき、この化粧櫓を休息所として利用した。

忠刻と千姫の夫婦仲は睦じく、姫路に来てから相次いで勝姫(のち池田光政室)、幸千代の二児ををもうけ平和な日々を送ったが、長続きせず、幸千代は三歳で早逝、忠刻も寛永三年三十一歳で世を去った。

この化粧櫓は、中書丸や武蔵御殿がないいま、わずかに千姫の面影を偲ぶただ一つの建物である。

(※部屋入り口にあった解説から)

国宝 化粧櫓の内部・・・

化粧櫓は、総延長300mある百間廊下の最後にあります。この部屋は従来は公開されていなかったようで、今回の大天守修理に関わって特別公開されたようです。

内部は国宝ですから、自由に出入りすることは出来なかったと思われます。間口三間、奥行きは倍以上あったようですが、かなり広い畳敷きの部屋でした。

中央に赤い絨毯が敷かれ、そこを通って千姫(ロウ人形)の側まで行けました。
千姫化粧櫓入り口
腰元と千姫 1・・・煙草を嗜んでいたとは驚きでした。

千姫・・・

慶長2年(1597)〜寛文6年(1666)。江戸幕府二代将軍徳川秀忠の長女。7歳で豊臣秀頼に嫁ぎましたが、大阪夏の陣で秀頼が自害し、死別。元和2(1616)年、本多忠刻(ただとき)に再嫁しました。

ここにある人形は、弘経寺(茨城県水海道市)所蔵の「千姫姿絵」をもとに再現したものです。煙草盆があることから、煙草を嗜んだことが分かります。

また情景としては、百人一首を楽しんでいるところを想像してみました。(※解説文から)

腰元と千姫 2・・・三毛猫が可愛いのです。 腰元と千姫 3
化粧櫓の部屋 部屋の造り等を撮影したかったのですが、囲いの中から千姫のお人形を撮影するのがやっとでした。入り口には制服姿の監視員の方が居り、私達の様子をじっと見つめていたからです。

心ない人は囲いを越えて中に入り、千姫に触ったりツーショットと言うこともあり得ます。もちろんですが、これより先立ち入り禁止の表示がありました。
化粧櫓の天井部分 化粧櫓入り口の天井です。良く見ると、防火装置のスプリンクラーでしょうか、丸いものが見えていました。

またこの場所は二階建て部分ですので、狭い階段を登らなければなりません。途中にあった木の階段ではありませんが、石段のがっちりとした階段です。傾斜も幾分緩やかでした。

千姫や侍女たちもここを歩いたと思います。石段には板が敷かれてありますが、元々あったのか、観光客のためのものかは定かではありません。
下に降りる石の階段、角がすり減っていました。 石段の全体ですが、新しい木製の部分がありました。
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