菱の門を出て出口方向に行ったら、姫路城大天守大柱展示場という標識がありのぞいてみました。昭和の大修理の際に交換された築城当時の巨大な柱です。心柱とも言える巨大な柱が、350年もの間天守を支えてきたのですから驚きです。桧や樅の木となっていますが、昔であっても巨木探しには苦労したのだろうなあと思います。
安土城建築を描いた映画、「火天の城」で芯柱を巡っての木材探しが描かれていますが、樹齢1000年の桧は希有なものだと思います。そんなことを想いながら、巨大な柱を眺めてきました。
創建当時の大天守柱・・・
ここに展示しているのは旧西大柱で、この柱は、かって大天守の地階床から六階床までの各階を、もう一本の東大柱とともに些かの躊躇(ためらい)いもなく力強くつらぬき通し、木造の大きく複雑な重層構造を二本の大柱が構造主体となり、一本が百トンもの重量を支えて三百五十年もの長きにわたり大天守を守り続けてきた。
然しその間、両大柱とも明暦二(1658)年(城主榊原忠次)に、柱や土台などの廃朽で床面に高低が生じ、このため大柱の根元を高さ2.4m、柱四面の間仕切り部分を剥り貫き、ここに幅36cm奥行きもほぼ同じ大きさの栂(つが)の角材を挿入し、帯鉄巻き鋲釘止めで固定するという補強工事が行われた。その後、貞亨四(1684)年には、先の明暦二年に行われた修理材の上に補強材を加える工事が行われた。
このように築城後三百五十年を大天守と共に歩んできた西大柱が、昭和大修理(昭和31〜39年)で、柱真に腐れのあることが分かり、取り替えを余儀なくされ、新しい柱に後事を託して、今ここに創建材の資料として展示している。
西大柱のこと・・・
旧西大柱の下方は樅(もみ)材、上方が栂(つが)材で三回床上(下方から14.5mの位置)で二本継ぎになっていたが、全長24.7mにわたり、中心部が蒸腐(むれくさり)を起こし再用不能で今回の修理では、桧材で取り替えることになり、旧東大柱と同様、一本材の柱にすることになった。
ところが、原木を山から搬出途中に折損事故が起こり、修理では元通り三階床上での二本継ぎの柱になった。新しく取替えられた桧材は、下方が岐阜県恵那郡付知町の国有林から、また上方は兵庫県神崎郡市川町笠形神社から伐出されたものである。
ここに展示したのは二本継ぎで使用されていた旧西大柱で、明暦二年渡貞亨四年の修理の痕をはっきりとみることができる。
東大柱のこと・・・
もと東大柱は樅材で、継手なしの通し柱であったが、今回の修理では根元5.4mを台湾桧で根継ぎして再用された。根継ぎのために切断された旧東大柱の根元部(長さ5.4m、太さ横幅95.4cm奥行き幅75cm)には、明暦と貞亨年間に行われた修理の痕跡が旧西大柱と同様に歴然と残されている。
旧西大柱の寸法・・・
総長 24.7m、上柱の長さ 12.4m、下柱の長さ 14.5m (継手長さ 2.2m)、根元の太さ横幅95.4cm、奥行幅 75cm、末径 54cm角、総重量 約6屯。(※展示場にあった説明から)
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