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       遠野郷大洞石碑群・保食大神


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青面金剛石碑に下に転がっていた補足大神石碑です。
保食大神・・・

保食大神とは聞き慣れない名前ですが、保食(うけもち)と読みます。このことはつい最近知ったことでもあり、私にとって新しい石碑の神様になりました。しかも珍しい名前の神様となると、あちこちの石碑を探訪した時に保食大神の名が無いのかなと探してしまいます。残念ですが未だに一カ所しか撮影できていません。

石碑探訪の資料等によると、遠野市内にあと一カ所あるのことですが現地の特定が出来ずにそのままです。保食大神を祭神にしている神社はかなりありそうで、家の近くにもいくつかの神社の名があげられます。肝心なことは、境内の入り口等に石碑の建立が無ければ見つけることが出来ません。

このページの画像は、遠野市の東側稜線に見えるウインドファーム(風力発電用の巨大風車)の撮影に向かう途中の大洞集落入り口に建立されている石碑群の中にありました。ウインドファームは十月中に二回訪れましたので、その都度車を止めて撮影しました。石碑は全て北向きであり、晴天の時は日陰になり撮影条件が厳しくなります。刻まれた碑文をくっきりさせるためにストロボを使用しました。


保食(うけもち)神・・・

保食神(うけもちのかみ)は、日本神話に登場する神である。『古事記』には登場せず、『日本書紀』の神産みの段の第十一の一書にのみ登場する。一般には女神と考えられている。

天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。

月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。

天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。

この説話は食物起源神話であり、『古事記』では同様の説話がスサノオとオオゲツヒメの話となっている。よって、保食神はオオゲツヒメと同一神とされることもある。また、同じ食物神である宇迦之御魂神とも同一視され、宇迦之御魂神に代わって稲荷神社に祀られていることもある。
                                                       (※ウイキペディアより)



大洞集落入り口の道路脇の石碑群。 石碑群から探す・・・

遠野市山口地区大洞集落入り口の道路脇に建立されている石碑群です。

普通の大きさの石碑を予想していていたのですが、どうしても見つかりません。大小様々十五基ほどの石碑があり、よく見ると花や供物等が見られました。

今でも集落の皆さんの守り神になっているのだなあと思うと、石碑に覆い被さっている雑草をそっと除けて撮影しました。
保食大神 1 左端の大きな石碑が倒れかかり、隣の石碑の間にごろりと倒れている石碑がねらいの石碑でした。

ごろんと転がった自然石に、保食大神の文字を見たと時は嬉しくなりました。

右隣の「青面金剛」の石碑も珍し石碑とのことで、仏教由来のものではなく中国の道教思想に由来するとのことでした。
保食大神 2 10月25日に撮影したもので、真上から見た様子です。
保食大神 3 10月1日に撮影しました。

直射光線があたり、保食大神の文字の彫り込みが立体的に見えています。
保食大神 4 更に拡大した画像です。

石碑の周辺を探しましたが、建立年月の刻みがなく不明です。

その他の石碑群 1 その他の石碑あれこれ・・・

数えてみると十五基ほどの石碑がありました。その中から、かろうじて私でも判読できる文字の石碑を並べてみました。

三界萬霊、???山(最後の山が読み取れます)、金比羅大?、両隣は読めません。
その他の石碑群 2 その他の石碑群 3
その他の石碑群 4 念仏供養、建立年月は読み取れません。

下の石碑左は順禮塔、右は三峯山、山神塔の文字が見えています。
その他の石碑群 5 その他の石碑群 6
その他の石碑群 7 青面金剛・・・

文化六年の建立のようです。

ネット資料から列記します。

インド由来の仏教尊像ではなく、中国の道教思想に由来し日本の民間信仰のなかで独自に発展した尊像である。庚申講の本尊として知られ、三尸を押さえる神とされる。

道教では、人間の体内には三尸という3種類の悪い虫が棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くという。そのため、三尸が活動するとされる庚申の日(60日に一度)の夜は、眠ってはならないとされ、庚申の日の夜は人々が集まって、徹夜で過ごすという「庚申待」の風習があった。庚申待は平安貴族の間に始まり、近世に入っては、近隣の庚申講の人々が集まって夜通し酒宴を行うという風習が民間にも広まった。

庚申講の本尊である青面金剛の像容は、一面三眼六臂で、手足に蛇が巻き付く姿が一般的で、密教の明王像、特に軍荼利明王に通ずるものがある。日本では各地に石造の庚申塔が多数遺り、そこには「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿像とともに青面金剛像が表わされている例が多い。

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