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     奥州市水沢区天文台通り・三石碑


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おなじみの三猿の内の二猿ですが、表情が生き生きとし良く保存されていました。

奥州市水沢区天文台通り・三石碑・・・

20mパラボラアンテナの撮影のため、三回ほど国立天文台水沢を訪れていました。夜間の出入りでは気がつかないままでいましたが、三回目の日中に訪れた時は天文台の入り口の様子を撮影していました。

その時ひょいと見た入り口交差点に、見たことの無い石碑が建っており「三石碑」と名付けられていました。何だろうと近寄ってみて驚きの発見です。「三猿の石碑・・見ざる、聞かざる、言わざる・・」があり、よく見たら「五猿の石碑」でした。五猿の石碑は聞いたことが無かったので、現場の説明を読んでみてなるほどなと納得です。

この地(街道)は昔からの交通の要衝であり、遠くは奥羽山脈を越える仙北街道、そして、平泉に抜ける街道の交差点でもありました。昨年秋でしたが、仙北街道出入り口探訪に参加しその険しさに驚きました。平坦地ならともかく、険しい山越えをして他地区に人と様々な文化の出入りがある事を知りました。

トップの画像はおなじみの三猿の内の二猿ですが、表情が生き生きとし良く保存されているなあと思いました。

ここでは、三基の石碑をばらばらに切り取り、私なりに分析してみました。もちろん難解な昔の文字は分かりませんので、感覚的に捉えたものとお断りしておきます。

                                                       2017.03.31 作成


街道分岐点 街道分岐点・・・

本来であれば左右に進むことが出来たのですが、左側は天文台敷地になり閉鎖されていました。

右に進むと、胆沢区の西側・胆沢ダム方面まで進むことが出来ます。
三基の石碑 分岐点の突き当たりにあった三基の石碑、左から庚申塚、三猿、右の文字は読めませんでした。

この石碑の場所から左に折れて進むと、国立天文台水沢の施設になります。


三石碑 1 三石碑・・・

宝暦10年  1760年
天保15年  1844年
嘉永 5年  1852年

ここは衣川道と仙北道のわかれであった

1980年ここに復す

※銘板より

三石碑 2

三石碑・・・

台座の上の手前に銘板があり、石碑の年号でしょうか、三つの時代が刻まれています。

右から順に、馬頭観世音碑、五猿碑、庚申塚となります。

右側の馬頭観世音碑の文字は、どう見ても私には読ません。


馬頭観世音碑 1 馬頭観世音碑

建立は(宝暦十年一七六十)で、農耕運搬の労役に服した馬の労に感謝し、無病息災を祈った馬頭観世音碑もので、右はせんぶく左は衣川とあり道しるべにもなったいた。

左右の下端には、道しるべの文字が記されているのですが、はっきりとは見えませんし、読めません。

上の左の文字は何となく分かりました。
馬頭観世音碑 2 ここ右端に文字があるのですが・・。
馬頭観世音碑 3 左端に文字があるのですが・・。

三猿の意味・・・

昔から生活の知恵とでも言いますか、三猿に例えた教えがあったようです。

私も何となく子どもの頃から聞いていたような記憶があるのですが、一番印象的なのは修学旅行で引率した日光東照宮の三猿の彫り物であったような気もします。

ホームページの作成で意識したのは、遠野市附馬牛地区路傍にある三猿でした。それ程大きくない石碑に刻まれていましたが、ここ水沢で見かけた三猿プラス二猿の石碑は大きくて彫刻もはっきりとしていました。


三猿の意味と由来とは・・・

三猿は「さんざる」「さんえん」と読みます。「見ざる聞かざる言わざる」ということわざは、「自分に都合の悪いこと、人の欠点や過ちなどは、見ない、聞かない、言わないのが良い」という意味があります。

アメリカやヨーロッパ、アジア、アフリカなど、世界各地に三猿とことわざに似た表現があり、その起源はまだ解明されていないそうです。日本には、8世紀ごろ、シルクロードを経由して中国から伝わってきたと考えられています。

「見ざる聞かざる言わざる」という言葉は、孔子(こうし・中国の思想家・紀元前552年〜479年)の論語が由来という説もあります。

孔子は「礼節にそむくことに注目してはいけない。礼節にそむくことに耳を傾けてはいけない。礼節にそむくことを言ってはいけない。礼節にそむくことを行ってはいけない」と、四つの戒めを言っています。この戒めを人々にわかりやすく伝えるために、猿を使って表現したと考えられています。                    
                                                          (※ネット資料から)

五猿碑 1 全体像・・・

大きな石に、表情豊かな猿が刻まれています。

五猿碑は(嘉永五年一八五二)に建立されていますので、今から165年程前に建立されてものでしょう。

辻山屋周助さんと名前が出ています。

三猿はおなじみですが、下にある二猿は初めて見ました。五番目がはっきりしません。
五猿碑 2 見ざる・・・

礼節にそむくことに注目してはいけない。
五猿碑 3 聞かざる・・・

礼節にそむくことに耳を傾けてはいけない。
五猿碑 4 言わざる・・・

礼節にそむくことを言ってはいけない。
五猿碑 5 きれいな三猿です。
五猿碑 6 下の四猿と、初めて見る慎みを諭す二猿になります。

残念なことに、新しい二猿ははっきりと刻印が残っていません。

左側の猿は、御幣のようなものをかついでいるようにも見えます。しかし、五番目の猿は、しゃがんで何かをしているようにしか見えません。
五猿碑 7・・・珍しいさらうの姿であると言います。 下の部分の切り出しです。右側の上の方に猿の頭と眼が何となく見えています。

珍しいので皆さんが触りすぎたのでしょうか、それとも水がかかり風化したのでしょうか、いずれも不明です。

庚申塚 1 庚申塚・・・

大きな文字の刻印で、あちこちの石碑のある場所で見ることが出来ます。

庚申信仰の結願の日に建てられたもので、右はせんぼく左はけわひさか(化粧坂)とあり、これも道しるべであった。
庚申塚 2 石碑下の部分の切り出しです。右、左の文字が読み取れます。

行き先である地名については読めません。
庚申塚  3 右端の部分です。
庚申塚 4 左端の部分です。


三石碑の由来が書かれています。
おわりに・・・

巨大な電波望遠鏡の散策が、私にとって興味と関心のある新しい石碑の発見です。先にもふれましたが、三猿の石碑を路傍で見たのは今回が二回目です。二回目の石碑の発見が五猿の石碑の発見になり、感動そのものでした。

説明板にも書かれてありますが、単に珍しい石碑と言うだけではなく、文化財としての具体的な登録等が検討されても良いのかなあと思いました。
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