震災前の大船渡港湾口防波堤・・・
北側の尾崎岬と南側の湾口狭窄部はおよそ800m程あります。この間に北堤(244m)、開口部(202m)、南堤(291m)の巨大な防波堤が造られていました。震災後の湾口の様子を撮影していませんので対比が出来ませんが、現地のライブカメラで見るかぎり開口部がかなり広くなっていますし、北側防波堤の部分が岬側でも壊れています。夜間の様子を見ると、航路にあたる部分にブイの照明が点滅して誘導していると思えます。
後日になりますが、赤崎町尾崎岬から見た大船渡港湾口防波堤の様子を撮影したいと思います。
大船渡湾口防波堤について・・・
昭和35年5月南米チリで発生した地震による津波はおおよそ一昼夜をへて、我が国の太平洋沿岸に来襲し各地に甚大な被害を与えました。この内大船渡市では死者・行方不明者は53人を数え、被害総額は42億円余の巨額に達しました。その後、このような災害から大船渡の多数の尊い生命と財産を守るため、特別措置法を制定し、運輸省直轄施工により昭和38年から4カ年の歳月と19億円の巨額を投じて建設されたのが、この大船渡港湾口防波堤です。
この湾口防波堤の特徴は、目的が津波対策のため、津波来襲時の海水流入量の制限を行う必要があり、中央開口部を10万トン級の船舶が入港可能な水深(-16.3m)に規定し、潜堤を建設しています。また、地形的には最大水深が38mに及ぶ大水深防波堤で、中央防波堤部分では堤体の平均高さが40mにも及んでいる部分もあります。
完成から約40年間、大船渡市を津波や波浪から守り続けております。
(※国土交通省岩手県内の港湾より) 2008年当時の作成記事からの転載になります。 |