 |
防潮堤水門をくぐり出た場所の右側の様子です。土台らしき基礎だけが残り、瓦礫は撤去され更地同然になっています。
大型重機が作業中であり、まだまだ時間がかかりそうでした。 |
 |
 |
 |
海岸から真っ直ぐ上の通りまで延びる道路です。この地で生活したのは昭和40年頃ですから、あれから46年前後経過しています。
毎日この道路をバイクで走り、浦の浜にある中学校まで通勤しました。担任した生徒の家もこの付近にあり、家庭訪問をしたことなどが思い出されます。 |
 |
上の集落中心地道路付近の家並みです。海岸からの道路を上りきるとT字路になり、右側の方に進むと国民宿舎「たぶのき荘」がありました。
また途中には銭湯があり、よく入りに行きました。お世話になった下宿屋のご主人は、アワビやウニを捕る達人であり口開けの時にはご馳走になったものです。 |
 |
 |
 |
瓦礫等の撤去が終わり、道路とその両側にある家並みの土台のみの様子です。想定外の大津波とは言え、防潮堤を乗り越えて集落に達しています。かろうじて原型を留めているのは、鉄筋が基礎になった家だけでした。 |
 |
従来の狭い道路を走り戻ることにしました。この場所は田ノ浜集落への入り口付近になり、以前から狭い場所でした。
小高い斜面があり、下まで津波が来ていた様子が分かります。どこの地区でもそうですが、海水に漬かった部分の立木や下草が茶色に変色し枯れています。 |
 |
家並みがあった場所には土台しか残っていません。瓦礫の側に小さな鯉のぼりが風に揺られて動いています。
五月からのものがそのままになっているのでしょうが、地域の皆さんの様々な願いと思いが込められて居る・・、そんなことを想いながら感無量になって眺めていました。 |
 |
正面に見えている大きな木は、船越が北限と言われる「タブの木」です。根元の方が津波に襲われたはずですが、枯れることはないようです。
入ってきた道をそのまま戻りR45号に出ましたが、浦の浜や、最後の勤務地で三年間暮らした大浦地区に足をのばすことが出来ませんでした。
年内には訪れなくては・・、そんなことを想いながら織笠地区を経由して山田駅方面に向かいました。 |