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 三陸沿岸被災地 その2・陸前高田市脇ノ沢周辺


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脇ノ沢地区海岸線、防潮堤は海側に倒れています。

長部漁港からR45を引き返し、高田バイパスから旧道である脇ノ沢海岸線道路に入りました。この海岸線道路は津波で壊滅的に寸断され、今までは工事用の車輛以外は通行止めになっていました。津波被災後、この場所を通るのは二回目になります。

前回は広田黒崎神社例大祭に行く途中でしたが、急いでいたこともありじっくりと見て撮影するのは今回が初めての事になります。かなり以前(チリ地震被災以前)は道路脇が海岸線であり、走りながら雄大な海の様子を見ることができました。しかし、防潮堤が完備してからは、コンクリートの壁に遮られ海岸線は見られ無くなっていました。

無惨にもあちこち壊れた防潮堤、復旧作業で大型重機が入りこの塊を小さく砕いて盛り土代わりに積まれています。この場所の防潮堤は高田松原まで続く長大な堤防であり、満潮時でもあり足元まで海水が押し寄せています。


高田市街地から脇ノ沢へ・・・

R45から曲がるとすぐの山際にはJR大船渡線が走っていたのですが、線路はあちこちで寸断され土砂やコンクリートの瓦礫に埋まっています。見えている場所の線路はそのままですが、真っ赤に錆びている線路はそのままであり線路の撤去工事までは手が廻っていない状態でした。

この場所に列車が走るのは何時になるのか、JRの線路がこの場所に敷設されるのか、諸々を含めて長期復旧・復興計画が示されていないようです。寸断され埋まっている線路を撮影していると、様々なことが想い出されてきます。
JR大船渡線線路 1
JR大船渡線線路 2
JR大船渡線線路 3
JR大船渡線線路 4

復旧作業で重機が動いているのは海側のみで、山側の線路の部分はそのままです。この場所を良く見ると、防潮堤の壊れ方に場所による違いがあり、押し寄せた大津波のエネルギーのぶつかり具合が地形によって違うのが何となく分かるような気がします。

重機で砕かれたコンクリートの塊が海岸線一面に敷かれています。
防潮堤復旧工事 1
防潮堤復旧工事 2 防潮堤復旧工事 3
海側に倒れている防潮堤 1 この場所の防潮堤は海側に倒れています。太平洋から押し寄せた津波のエネルギーで基礎がぐらつき、引き返す波でそのまま動かされ倒れたと想像できます。
海側に倒れている防潮堤 2 海に対して垂直方向に設置された堤防はそのまま残り、赤いペンキで番号が付けられてありました。

決壊した防潮堤 1 防潮堤の基礎が海側に倒れています。

遙か彼方に見えるのが長部漁港方面になり、高田松原方面は防潮堤の後ろになります。
決壊した防潮堤 2 防潮堤下の通路から高さが3m位ありますが、その上の部分が津波で破壊されています。

海面下の基礎から一体化構造ではないので、上の部分が破壊されているのが分かります。

破壊されていない防潮堤に上り、上から周囲を眺めてみました。
一部分残っている防潮堤 防潮堤の上にも通路があり、ここから延々と高田松原方面につながっていました。

遙か遠方には高田市内建物や野球場の鉄塔が見えています。

この残された防潮堤でも、真っ直ぐ進んだ少し先で無くなっているのが分かります。
防潮堤から見下ろした高田市内。 防潮堤から見下ろした高田市内の様子です。右端の道路は、被災後建設されたR45になります。

正面奥には、貝と海のミュウジアムが見えています。
決壊した防潮堤跡から見る広田湾。 道路から見た広田湾です。丁度防潮堤が水平線の上になり、本来は海が見えないのです。

右側遙か彼方は唐桑半島で、左側は広田半島です。大津波は太平洋からこの広田湾に押し寄せ、無惨にも全ての物を壊滅的に破壊しました。

何事もなかった如くの広田湾、未だにこの場所に行方不明の方々が居られることを思うと空しくなります。
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