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location:uchinome.jpトップ>ドキュメント>三陸沿岸被災地 その2>気仙沼市・岩井崎 |
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気仙沼市・岩井崎・・・ お正月を過ぎた頃の新聞記事に目がいきました。気仙沼市の岩井崎岬に、大津波に流されながらも奇跡的に一部が残った松、その形が今年の干支である「竜(龍)」にそっくり・・・。何でも、近くの神社に初詣した方が発見し話題を呼び有名になりましたが、正式呼称は決まっていないと言います。 大津波に流されながらも、根元の幹と一部の枝が残っていることから「復興の松」と呼ばれているようです。高田松原の一本松と同様に、奇跡的に残った松(部分ですが)を撮影するために3月14日に訪れて来ました。 トップの画像は、岩井崎から気仙沼市大島方面を見た様子です。震災前はこの地に岩井崎観光ホテルを始めとして、多くのホテルや土産店があり賑わっていたと言います。一年後の今は、整理され基礎の土台しか残っていませんでした。沖合に見えているのは、気仙沼大島の南端にある龍舞崎になります。 陸中海岸国立公園の最南端に位置する松林に囲まれた美しい岬です。岩井崎は、長い年月をかけて海水により浸食された石灰岩地質になっており、岬の先端には、海蝕洞の岩孔に波が打ち寄せるたびに潮を吹き上げる潮吹岩があります。 干潮で波が荒いときにはいっそう高く吹き上がり、その様はとてもダイナミックで、訪れる人々に自然の営みの不思議さを感じさせます。 岩井崎の名前の由来・・・ 潮吹岩の辺り一帯の岩肌は非常に凹凸が激しく、素足では歩けない程鋭利な形をしているため、古くから地獄の「剣の山」に例えられ地獄崎と呼ばれてきました。1727年仙台藩主伊達吉村公が領内御巡視の折、この地に立ち寄り、地獄崎の名称はその美観にふさわしくないと「祝崎」と名付けられました。 ※気仙沼市公式サイトより |
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