陸沿岸被災地 その2に戻る


   三陸沿岸被災地 その2・気仙沼市・岩井崎


ウチノメ屋敷 レンズの目 自然の表情 暮らしの表情 ウチノメアーカイブス
岩手の鍾乳洞 岩手の蘇民祭 ほっづぎある記 心のオアシス
ドキュメント

location:uchinome.jpトップ>ドキュメント三陸沿岸被災地 その2>気仙沼市・岩井崎

  サイトマップ


津波で破壊された岩井崎から気仙沼大島を望む。

気仙沼市・岩井崎・・・

しばらくぶりに気仙沼まで走りました。岩井崎は初めての場所になりますが、R45の岩井崎交差点から海岸方面に向かいます。昨年の大津波により、気仙沼市も甚大な被害を被りました。岩井崎(岬)まで来る途中の家並みは、土台の基礎を残すだけで壊滅状態でした。

お正月を過ぎた頃の新聞記事に目がいきました。気仙沼市の岩井崎岬に、大津波に流されながらも奇跡的に一部が残った松、その形が今年の干支である「竜(龍)」にそっくり・・・。何でも、近くの神社に初詣した方が発見し話題を呼び有名になりましたが、正式呼称は決まっていないと言います。

大津波に流されながらも、根元の幹と一部の枝が残っていることから「復興の松」と呼ばれているようです。高田松原の一本松と同様に、奇跡的に残った松(部分ですが)を撮影するために3月14日に訪れて来ました。

トップの画像は、岩井崎から気仙沼市大島方面を見た様子です。震災前はこの地に岩井崎観光ホテルを始めとして、多くのホテルや土産店があり賑わっていたと言います。一年後の今は、整理され基礎の土台しか残っていませんでした。沖合に見えているのは、気仙沼大島の南端にある龍舞崎になります。


気仙沼市岩井崎・・・

陸中海岸国立公園の最南端に位置する松林に囲まれた美しい岬です。岩井崎は、長い年月をかけて海水により浸食された石灰岩地質になっており、岬の先端には、海蝕洞の岩孔に波が打ち寄せるたびに潮を吹き上げる潮吹岩があります。

干潮で波が荒いときにはいっそう高く吹き上がり、その様はとてもダイナミックで、訪れる人々に自然の営みの不思議さを感じさせます。

岩井崎の名前の由来・・・

潮吹岩の辺り一帯の岩肌は非常に凹凸が激しく、素足では歩けない程鋭利な形をしているため、古くから地獄の「剣の山」に例えられ地獄崎と呼ばれてきました。1727年仙台藩主伊達吉村公が領内御巡視の折、この地に立ち寄り、地獄崎の名称はその美観にふさわしくないと「祝崎」と名付けられました。

その後、1854年伊達慶邦公御巡視の折、御歌に使われた文字「岩井崎」をとって今日に至っています。

※気仙沼市公式サイトより



海岸までの道路の様子 1 海岸に向かう・・

R45からしばらくは普通の街並みでしたが、海岸に近づくにつれて様相が一変してきます。

海岸に向かう道路が流失し、土盛りをした狭い砂混じりの一本道になっておりすれ違い等は出来ません。

対向車を見ながら譲り合い通行です。あれから一年以上経過していますので、大きな瓦礫等は無いものの住家の跡にコンクリートの基礎が残るのみでした。
海岸までの道路の様子 2

道路の左側にあった建物、地図で調べたら気仙沼向洋高校でした。

画面を拡大すると、寄宿舎、その後ろに校舎が見えてきます。

四階建ての寄宿舎ですが、三階まで津波に襲われガラスが壊れています。三階までの高さはおよそ10mにはなりますので、この地の津波波高は10m程かなと思われます。

海岸までの道路の様子 3 海岸近くの防潮堤前に墓石が転がっていました。向洋高校手前には地福寺がありますが、もしかしたら墓地だったのかも知れません。

防潮堤沿いの墓石を見ながら左に進路を変え、何回も正規の道路から外れますが、岩井崎方面につながる道路を進みます。
海岸沿いの道路の様子 1 不思議に思ったのは、大津波に襲われていたはずなのに道路脇の松の木がかなり残っていたことです。

枝が折れたり枯れた部分があるものの、地上部から残っておりほぼ原型のままの松並木があったことでです。

太平洋の外海に面しているのに何故なのか、高田松原とは違うなあと思いました。

海岸沿いの道路の様子 2

 

家は流されているのに、道路脇の松の木はほぼ無傷で残っています。

当然ですが、あれから一年を経過していますので、折れたりもぎ取られた部分は撤去されているはずです。

海岸道路沿いにあった家は、土台の基礎が残るのみでした。

海岸沿いの道路の様子 3

進んできた道路を振り返ってみた様子です。

防潮堤とは思えない背の低い堤防で、大時化の時は波がぶつかり飛沫が越えます。

海岸の様子 1 海岸の様子・・・

岩井崎松林の入り口にロータリーがあり、そこには数台止めれる駐車場があります。

ここに車を置き海側の通路に出てみました。

絶好の好天でもあり、青い空と海が目にしみます。一年前にこの地が大津波に襲われたとは想像だにできません。

しかし、じっくりと眺めるとあちこちに被害の痕跡が残っています。
海岸の様子 2 枝の一部が折れてはいますが、流されなかった松の木です。

ここには、浮き玉とロープがぶら下がっていました。養殖用の物だと思われます。

手前の松は根元から切られています。
海岸の様子 3 この崖の部分を見て、公園整備で岩板を積み重ね補強したものかなあと思います

崖に沿ってコンクリート製の模擬木材のフェンスがあり、場所によっては根こそぎ陸地側に倒されています。

太平洋に面した場所ですから、ここには津波が直接ぶつかったものと思われます。
海岸の様子 4 岩の上に生えていた松は、赤茶色になっていました。

岩の隙間に自生した松の木、地面部分がほとんどありませんから仕方ありません。
海岸の様子 5 岩場の先端に松の木が生えていますが、津波に襲われ幹が曲げられています。

手前の岩は、海岸整備できれいに並べられた板状の岩です。
海岸の様子 6

拡大画面で見ると、幹の曲がり具合が海側に向き、津波で曲げられたようにも見えます。

多分ですが、曲がっている部分に折れた部分がありますので、津波前は真っ直ぐ立ていたのかも知れません。

海岸の様子 7 フェンス場所から見た、松林と岩場の海岸線になります。

海面からの高さはそれほどではありません。
海岸の様子 8 松林に入り、倒れたフェンスぎりぎりの場所から見下ろした様子。

ワイドレンズ撮影ですからかなりの高さに見えています。

狭い谷間上を遡上した津波に襲われた様で、目線と同じ松の枝が折れたり枯れています。
松林の様子 1 松林・・・

駐車場から少し高い場所に松林があり、アスファルトの通路が岬まで続きます。

松林の通路も、場所によっては寸断され段差になっている場所もあります。

しかし、全体としては道路も松林もほとんど無傷であり、枝が折れたりもぎ取られた場所は見当たりません。

仮にあったとしても、すでに一年を経過していますので整備されているものと思われます。
松林の様子 2 この場所は、津波被害にあったとしても根元の部分を流れたのかなと思われます。

正式の海抜は不明ですが、見た感じとして10m位なのかなと思いました。

松林を歩きながら目線を陸地に向けると、周囲の建物の土台跡が見えてきます。案内地図を見ると、この場所には大きなホテルや土産店があったはずですが、何も見当たりません。
                     復興の龍のページへ →