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   三陸沿岸被災地 その2・岩井崎・復興の龍

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岩井崎先端 1 岩井崎先端

松林を抜けると視界が広がり、岩井崎の先端部(岬)が見えてきます。

津波で洗われ塩分が含まれると枯れますが、もしかしたら、昨年からこのままなのかも知れません。

岩井崎先端 2 通路の行き止まりにベンチがあり、左には地元出身の横綱ブロンズ像が立ち、右端には目指す「復興の龍」の松があります。

津波で枝をもぎ取られた松の木、切り倒さずに干支の龍に見立てて枯れ枝を払ったものと見ました。

海が荒れていたので、中央に潮吹きの飛沫を配置してみました。

「復興の龍」の松について・・・

このページの記事を書くために、大津波震災前と津波襲来直後の様子を知りたくなり、ネットで検索すると映像の投稿を見つけました。さっそくですが津波襲来前の映像と、津波襲来後に現地に入り撮影した映像を拝見しました。私にとっては貴重な映像でしたが、岬先端部で周囲をぐるりと撮影した映像に目がいきました。

ユーチューブ2008年8月23日の映像から見た様子では、復興の龍になる松は左側に横に伸びた枝があり、右側の折れた部分はそれほど長い枝はありません。切り取られている二本の松の木は、背が高く上まで伸びています。また、力士像の側にも一本の松が生えています。

ユーチューブ2011年5月18日の映像から見た津波襲来後の様子では、左側に伸びた枝はそのままであり、枝の上の小枝がもぎ取られ、下の方にある小枝はそのまま残っています。右側に伸びた枝は幹の分かれ目からもぎ取られていました。力士像の側に生えていた松は流されたようで見あたりません。
復興の龍 1 場所を変えると

松の木の周辺を移動しながら、龍の形に見える場所を探してみました。

画像右下には、切り取られた二個の株があります。復興の龍の松、右側に太い松の木があったのでしょう。
復興の龍 2 接近し松の木を見てみました。

被災した当時からこの松の木は残っていましたが、昨年十一月頃に地元の方々が整理する際に、下の方の枝や先端部を切り取りこのような形にしたと言います。
復興の龍 3 完全に逆光線になりますが、輝く海に対してシルエットになり、あたかも飛び立つ龍に見えてきます。

津波を岬先端部で受けた松の木は、左横の枝を残して右側の枝はもぎ取られています。
復興の龍 4 さらに移動すると、様々な形に見えてきます。

左側の枝の先端部はのこぎりで切り取った跡があり、見る場所によってあたかも龍の頭に似てきます。

口ひげもあり、もぎ取られた二本の枝が手のように見えるではありませんか・・・。はっきりと目もあります。
復興の龍 5 あまり接近すると雰囲気が無くなりますが、眼のように見える部分は枝の付け根でした。

記事を書きながら思いましたが、根元から切り倒さず、津波で残された松の木の形から、干支「竜」の雰囲気を感じ取った方々に脱帽です。

復興の龍 6 まさしく龍です

ここからは接近しワイドレンズでの撮影です。

松の木・・、根元からの太い幹、左側に折れ曲がったような枝、右側の枝は付け根からもぎ取られています。

龍の頭に見える側に回ると、のこぎりで口先の部分がきれいに切り落としてあります。
復興の龍 7 横から見ると目のように見える部分がありますが、枯れ枝の折れ目になります。

口先の海側の部分には細い枝がそのまま残り、あたかも口ひげの様に見えてきます。

何とも不思議な造りであり、しばし見とれてしまいます。
復興の龍 8 しかし、あまりにも接近すると細かいところに目線が行きますし、枝の配置が変わります。

ある程度遠くから見た方がリアル感が強くなります。

岩井崎海岸

岬の先端部を見ていると、海が荒れていることもあり名物の潮吹き岩から水柱が高く立ち上がります。しかし、風があったのでしばらくして水しぶきをかぶりカメラが汚れてしまいます。海水なので大変なことになります。

太平洋の外洋に面した岩井崎先端部、今は穏やかな海の表情ですが水平線の向こうから想像を絶する巨大津波が押し寄せたとは信じられません。3月14日の夜、北海道付近でかなり大きな地震があり津波注意報が出されました。丁度撮影してきた画像を眺めていましたが、岩井崎に居たときに地震が発生していたら慌てて避難しただろうなあと思いました。

岩井崎は、長い年月をかけて海水により浸食された石灰岩地質になっており、岬の先端には、海蝕洞の岩孔に波が打ち寄せるたびに潮を吹き上げる潮吹岩があります。

干潮で波が荒いときにはいっそう高く吹き上がり、その様はとてもダイナミックで、訪れる人々に自然の営みの不思議さを感じさせます。


岩井崎の左側沖合には大島の先端部の龍舞崎と黒崎島が見えています。たまたまでしたが、ここで撮影していたら見学に来た男性から声をかけられました。「地元の方ですか?」・・・とたずねられたので「違います」と応えたら、大島の先端部の岬が「龍舞崎」と言ってこの龍と同じなのです。波が強かったので潮吹きを見に来ました・・・と話しておられました。お別れしてから思いましたが、もしかしたら「復興の龍」の松についてもお聞きできたかも知れません。

岩井崎(岬)海岸 1

岩井崎(岬)海岸 2
岩井崎(岬)海岸 3
岩井崎(岬)海岸 4

横綱・秀ノ山像

岬の先端部左には力士のブロンズ像があり、太平洋を望んで手を上げています。銘板には「第九代横綱秀ノ山雷五郎像」と刻まれています。ブロンズ像の後ろには、海辺に沿って松の木がかなり生えています。力士画像を拡大すると、海辺の斜面の松はかなりなぎ倒されており切り株が多く見られます。

しかし、斜面から上の平地部分の松は手前の一本は枯れていますが、その他の松はあまり損傷もない上に枯れてもいません。大津波の襲い方、もの凄く関心があります。

大津波をもろに受けて立つ秀ノ山雷五郎関、巨大な花崗岩の上に立ち太平洋をにらむ姿、さすがは横綱・・・、どすこいです。


第九代横綱・秀ノ山雷五郎・・・

岩井崎の園地内には、江戸時代に活躍した郷土出身の横綱・第九代秀ノ山雷五郎の銅像があります。歴代横綱で最も背の低い力士であったにもかかわらず、幕内通算成績は112勝21敗で、6回優勝した名横綱です。

気仙沼出身の第九代目横綱『秀ノ山 雷五郎』は、身長が164cmと歴代横綱で最も背の低い力士であったにもかかわらず、38歳にしてついに相撲力士の頂点、横綱にまで昇りつめた郷土が誇る偉大な力士です。少年時代より怪力豪腕で相撲が大好きだった辰五郎(秀ノ山)は、相撲力士の夢を捨てきれず一人江戸にむかいますが、体が小さかったために、どこの相撲部屋でも門前払いだったといいます。

ようやく同郷の荒熊力之助に拾われるも間もなく追出され、流浪の身となってしまいます。神頼みの日々を送るうち、桐生の高木源之丞に助けられ、庇護をうけて、やっと秀ノ山伝治郎のもとに入門がかなうのでした。その後も、小柄故に苦労しながら、持前の強靭な精神力と練磨によって肉体的な劣位を克服し、天保8年1月入幕、文政11年2月関脇、12年1月大関と進みました。

その間、天津風、立神、石見潟、そして師匠の名「秀ノ山」を継ぎついに横綱免許を受取るまでとなりました。その功績は多くの浮世絵の中に残されています。 (※気仙沼市サイトより)

横綱「秀ノ山雷五郎」像 1
横綱「秀ノ山雷五郎」像 2
横綱「秀ノ山雷五郎」像 3
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