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    三陸沿岸被災地 その2・気仙沼市・鹿折


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気仙沼市・鹿折(ししおり)・・・

7月10日、青空に誘われ気仙沼市・岩井崎を訪れました。春に見た時とは違い岬全体が一面の芝生になっており、龍の形の松木もそのままでした。しかし、カメラを向けたあたりから様子が激変し海霧に覆われて視界が失われました。50m先すら見えないくらいです。仕方なく戻ることになり、バイパスR45号に出て途中から市街地に下りてみました。

気仙沼市には昨年6月8日に訪れていますが、車から下りて海辺の様子を撮影することは出来ませんでした。作業中の方々の目線が心に残り撮影は遠慮しました。いつも買い物に訪れたお魚市場周辺、道路こそ整備されていましたがその両側には漁具が散らばり、岸壁には焼け焦げた茶色の漁船が繋がれていました。

いつもですと、お魚市場の海側を抜けて旧45号に出て鹿折(ししおり)の街並みを通過しR45号のバイパスに抜けるのですが、この時は復旧工事中でもあり工事車両でなければ立ち入りは出来ませんでした。


今回は大津波震災から一年以上経過していますので、特別な制限もなくなり通行可能でした。大津波被災後初めて通り抜けましたが、以前あった賑やかな街並みは消え失せコンクリートの土台が残るのみです。陸前高田市に向かう鹿折唐桑駅前道路に(旧45号の左側)、巨大な漁船がほぼ南北を向いてそのままになっていました。


船首側(北側)から・・・

たまたまですが放置漁船の船首側に空き地があり、ここに車を止め漁船や周囲の光景を撮影しました。きれいに片付けられた家並みの土台空き地には、雑草が生い茂りヒマワリの苗が植えられている所もあります。

画面の左側が復旧された道路と歩道です。船首正面から見ると、背の高い漁船が今にもぐらりと倒れそうに見え不安にもなります。

そのためでしょうか、船体の両側は鉄筋の頑丈な柱で支えられていました。
船首側から見た様子 1
船首側から見た様子 2 船首側から見た様子 3

船体中央部(東側)から・・・

船がある場所は交差点の近くで鹿折唐桑駅前と書かれたバス停があり、海側の空き地にはコンビニが造られています。船首の喫水が4m以上、船長約60m、330トンの大型漁船・・・「いわき市第十八共徳丸」と船名が読み取れます・・・がJR鹿折唐桑駅前道路と住宅のあった場所に放置されています。

北側の船首部分から撮影し、そのまま東側、南側、西側と一周してみました。東側の巨大な船体部分を撮影していて気がつきましたが、船体下部の中央に廃材で造られた大きな台があり大黒さん、廃材の十字架(メッセージが書かれてある)、ペットボトルの供物が目に入りました。そして、その横には大きな看板が立てられ、読んでいくうちにはっとなり心が引き締まりました。

この場所は興味本位での撮影はしてはいけない、この船の置かれてある場所の悲惨な被災地に追悼の気持ちを持たならさい・・・、そんな心の高まりを否定できませんでした。そんなこともあり、ここからの撮影は船体から離れ周囲の様子を取り入れて撮影しました。

船体東側から 1・・・巨大な船首部分、喫水レベルは4mほどあります。
船体東側から 2・・・祭壇が置かれ御鈴や供物の花灯が置かれています。
船体東側から 3・・・気仙沼市が建てた看板ですが、漁船を見ながら読んでいると心に想いがこみ上げます。
船体東側から 4・・・駅に向かう道路に漁船が乗っています。
船体東側から 5・・・バス停(鹿折唐桑駅前)が見えています。

真後ろ(南側)から・・・

ここに取り残されている漁船は、震災特集の気仙沼市の惨状場面に使われている場所でもあります。この地で犠牲になられた方々や、家を流れて被災された方々の気持ちを思いやらないいけないなと思いました。

それにしても大きな漁船です。
船尾方向から見た全体の様子。
船尾正面 1 船尾正面 2・・・船尾の拡大です。福島県いわき市、第十八共徳丸。

西側(鹿折唐桑駅側)から・・・

大津波後の報道特集ページに出てくる場所、大型漁船の周辺を上空から撮影した様子が使用されています。ここは海かなと思えてならないほどの瓦礫と海水、今この地にいて被災当時の悲惨な様子は想像できません。

今ここにあるのは、かつての道路と家並みを知る唯一の手がかりでも言える土台のみです。
元鹿折唐桑駅前からの様子 1
元鹿折唐桑駅前からの様子 2 手前の道路は、鹿折唐桑駅前から続く歩道と道路です。現在は線路も道路も完全に整理され、駅があった面影を留めてはいません。

周囲はかつての家並みの基礎土台が空しく残り、道路の隅には雑草が生えています。
元鹿折唐桑駅前からの様子 3 元鹿折唐桑駅前からの様子 4
元鹿折唐桑駅前からの様子 5 この地にお住まいの方がブログに書かれていましたが、この巨大漁船を撮影するために路上駐車が多くなり大渋滞になると言います。

この地は観光地ではなく、後世に悲惨な津波被害を伝えると共に、鎮魂と追悼の場であることを理解して欲しい・・
と訴えておられます。
車を置いた場所から 一周して元の場所まで戻りました。船体左前が焼け焦げて黒くなっています。

被災当時の記録画像を見ると、大津波で壊滅した家屋がその後の火災でほとんどが消失している現場です。

おわりに・・・

船の故郷は海、しかし、この地から海までの道のりは800m程あり、巨費を投じなくては戻すことはできません。すでに解体された100t以上の漁船もかなりあると言います。

大津波震災を忘れないためのモニュメント(記念碑)にするか、船を見るたびに家を破壊され犠牲になった人々を思い出し悲痛な気持ちになる地域の方々、解体するか保存するか、どちらの想いも大切にされなくてはなりません。画像処理をしながら、改めて昨年の大津波の惨状を思い出し鎮魂と追悼の気持ちが抑えられなくなります。

巨大地震により70センチほど沈み込んだ海岸線、今後この地に元の家並みが蘇るのだろうか、そしていつ頃になるのか。大津波被災地を訪れるたび思いを巡らすのは私だけではないと思います。いつも同じことを書きますが、国を挙げての復旧の取り組み、何よりも優先した復興対策が求められてなりません。

これは、国民全ての共通の願いでもあり、災害からの復旧、そして、以前にも増しての活性化あふれる復興への街造りが一日も早く進めていただきたい。・・・国の総力をあげて・・・。

現場の放置された漁船を撮影すること自体不謹慎なことと思いつつ、被災地の今の情報はまだまだ必要だと思いました。時の流れと共に、東日本大震災を風化させてはなりません・・。特にも、津波被災地に生活する皆さんの復興への願いを伝えることが、私に出来る被災地復興支援であると思っています。

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