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    北上市口内町・浮牛城まつり・領主行列


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浮牛城領主行列・・・

大名行列と言えば、道路歩行中の一般庶民の人々に対して、「下に、下に」と押しのけて歩いてくる事が頭に浮かびます。実際にはかなり違っており、「脇に、脇に」と言う遠慮した場面もあった様です。見せ場以外の場所では、駆け足同様の早さで通り抜けたと言います。特にも外様大名である遠隔地に住まいする大名にとって、江戸までの参勤交代行列は費用がかさみ藩の財政を悩ませたと言います。

下に下にの歩き方の場合は、一歩歩く毎に身体や脚の動きが大きく、その歩みは牛歩のごとしです。このような早さでは、大大名の場合は宿場町を通り抜けるのに時間がかかり、宿泊等を考えると費用負担がかかりすぎ悩みの種であったと言います。

口内城主の場合はどうであったかわかりませんが、伊達藩ですから仙台まで宿場を通る場合は所作を繰り返して進んだはずです。

口内町交流センター前を出発した行列は、出発時を含めて三回の所作披露をしてここまで来ています。本来であれば出発時の儀式も見たかったのですが、追っかけ撮影になること、やかなりの距離がある事から断念しました。最後の所作が行われる大手門入り口前で待ち受けました。
行列所作披露 1 所作披露・・・

最後の所作を行うため、城山下の道路に整列し並んでいます。ゆっくり歩くのではなく足の振り方に特徴があり、左右に足を振りますからじくざく歩きの様になります。

ホラ貝の方の出番は、行列の動き出す合図であり出発の時だけでした。大きな声でかけ声をあげていました。
行列所作披露 2 行列所作披露 3
行列所作披露 4 独特の歩き方の他に所作披露が行われる場面に、鋏箱を持つ方と毛槍を持つ方の独特の入れ替えが見せ場になります。

鋏箱や毛槍を持つ人の前に、同じ装束をした方が歩いています。両手を大きく広げ、鋏箱を持つ方の前で特有の動きをし、その後するりと持つ人が入れ替わります。

毛槍の場合も同様であり、常に前後で二人体制です。重い道具類を手にして歩くのは大変である事が分かります。
行列所作披露 5 行列所作披露 6
行列所作披露 7 行列所作披露 8

二度目の行列所作披露 1 二回目の所作の様子から

歩いては止まり止まっては歩きの大名行列、もの凄く時間がかかりますが、見せ場でもある事には違いありません。

私が撮影していたのは鋏箱の入れ替え場面であり、後ろに続く毛槍の方々の入れ替えは背後に写るのみです。
二度目の行列所作披露 2 二度目の行列所作披露 3
二度目の行列所作披露 4 二度目の行列所作披露 5
二度目の行列所作披露 6 二度目の行列所作披露 7
二度目の行列所作披露 8 二度目の行列所作披露 9

行列隊列の持ち物 1 大名行列の隊形と所持物

鋏箱を担ぐ方、毛槍(二種類あります)を携える方の様子です。

頂いた資料に、大名行列の隊列順が順番に書かれてありました。それによると、一番目の旗を先頭に二十八番目の押足軽までありました。
行列隊列の持ち物 2 行列隊列の持ち物 3
行列隊列の持ち物 4 毛槍の後からは鉄砲を担ぐ中学生が続きます。どこの大名行列で見ても、むき出しの鉄砲(武器)を担いでいる場面は見たことがありません。
行列隊列の持ち物 5 行列隊列の持ち物 6
行列隊列の持ち物 7 鉄砲の後からは弓隊が並びます。弓が四張り見えています。

殿様のおなり 1 籠に乗った殿のおなり場面です。殿様役はプロレスラーである気仙 沼二郎さんです。この場面までは殿様も歩いていましたが、正式の隊列行列の時はきちんと籠に乗っていました。

四人が担ぐ重厚な造りの籠は重そうですが、籠の下に台車がありがらがらと動いています。担ぐと言うよりも、少し持ち上げて引いている形でした。
殿様のおなり 2 殿様のおなり 3
殿様のおなり 4 籠の中から見ている私達に愛想良く手を振る気仙 沼二郎さんです。それにしても大きな手のひらです。
殿様のおなり 5 前を通り過ぎる時、カメラ目線がぴたりと合いました。センスを突き出し、何と言うのでしょうか。

「控えおろー」、「大義である(ご苦労様)」なんて言う武士の言葉が出そうです。

籠の中が見えていますが、前に掴まるハンドルがあり左手が固定されていました。不安定な籠ですから座るのも大変です。
行列の最後 行列の最後ですが、日傘、毛槍が続き、本当の最後に馬が見えていました。

行列はここで隊列を解き、浮牛城までの狭い坂道を登ります。昔の行列の場合、殿様は歩くことは無かったと思われます。かなり狭く急な道でしたから・・。
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