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       北上市口内町・浮牛城まつり


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北上市口内町・浮牛(ふぎゅう)城まつり・・・

私が住まいする隣の町、北上市口内町には町外れに小高い丘の城跡が残されてあります。伊達藩の北限の地、北上市口内町では、今年第九回目にあたる・浮牛城まつりが開催されました。近場の街にあって、大好きな大名行列が見られて撮影できるのですが、8月16日はお盆の最終日とあって色んな行事と重なって訪れることがありませんでした。

今年は意を決して、お盆の最終日は大名行列の見学と撮影一本に絞り出かけてきました。いつも通っている口内町ですから地の利は分かっていますが、大名行列をどのようにとらえて表現すれば良いのかはっきりしません。今までの慣例ですと、このような行列行事は追いかけ撮影がほとんどでした。体調不良の今、今まで通りの撮影スタイルは無理なので、最後の場所にねらいを置き待ち受け撮影することにしました。

トップの画像は、城山下の大手門入り口で隊列を整えて行列スタートの所作を行い、一歩一歩歩く所から始まります。天候に恵まれ絶好の条件の下でスタートする瞬間の様子です。


口内大名行列について

伊達一族の重臣であった中嶋監物利成は、小野田(宮城県)から元禄八年に伊達藩の要害であった浮牛城へ道中御行列を組み着任されました。その後も領土が仙台を上下行する際に行列を組んで往来していました。口内大名行列は、慶応二年に仙台詰めの領主が領内視察のために口内入りをした際の様子を再現したものです。


上口内要害(浮牛城)

伊達藩は、領内に上級家臣を配置し、館と知行地を与え小領主とし、地域を支配させました。口内は最北の藩境の地で、伊達藩と南部藩を結ぶ脇街道があり、軍事上の重要な地でした。口内町の中央にある上口内要害は、別名浮牛城(お館)で、城(館)を中心に小城下町をつくり、百人位の武士団が常住していました。


浮牛城の由緒

浮牛城の伝説では、「安部貞任(さだとう)が築城の際、生牛三頭を埋めて地鎮をしたことで命名された。」とあります。 築城工事に先立ち、土地の神を祀る地鎮の儀式に、生きた牛をいけにえとして神に捧げた、立派な由緒です。 浮城とは、内堀や外堀をもつ堅固な城のことで、水掘りで城が浮いたように、浮んだように見える城です。5代藩主伊達吉村(獅山(しざん))公が、享保12年(1728)奥郡巡視で、口内に来訪し一泊しました。古絵図に「獅山様御成の頃浮牛館ト呼玉フ」とあります。由緒等からの藩主の命名と思います。


浮牛城の大要

浮牛城(お館)は、孤立状の丘陵にあり高さ30m・東西200m・南北130mの平山城で、本丸・二の丸があり、周囲は水掘り・空(から)掘・土塁・矢来をめぐらしていた。本丸には書院と明神社があり、二の丸には領主の御住居と土蔵と山王社、それに馬場と的場があり。大手門・西門・東門(土門)がありました。城下は、武士居住の小路(西・袋・向・四軒中・八谷崎等)と町組(荒・新)があり、それに御百姓で伝馬担当の新町に分けて、城下町を形成していました。

                                                          ※頂いた資料より


                                                        2015.09.01 作成


家から口内地区まで15分ほどで着きますが、町の中心地に近づくにつれて「浮牛城まつり」と書かれた幟旗があちこちに立てられ、祭の雰囲気が高まってきました。
口内地区交流センター前には大きな看板が立てられています。当日この場所に集合した大名行列は、行列開始の所作を披露して出発します。

体力に自信がある時ですと、出発の所作を見ながら追いかけ撮影をしながら動いていました。かなりの距離がありますので追いかけ撮影は中止です。

大名行列の所作とは、牛歩のごとしの速度で身体を大きく動かしながらゆっくりと移動します。それだけに撮影する立場の人にとっては格好の被写体になります。
田んぼの中の一本道、突き当たりが大手門入り口になります。口内地区交流センター前で最初の所作を披露した後、途中二回ほど同じ所作を披露します。

最後の四度目はこの道路で行います。周囲が田んぼであり通行人や車等が気にならず、じっくり撮影するには最後の場所になります。私はこの場所の突き当たりの角で待ち受け撮影をしました。

今思うに、脚立を使い高さをとれば良かったなあと思いました。車には積んで出かけたのですが、脚立を使用するのが何となく遠慮しました。もちろんどなたも居りませんでしたので正解でした。
国道107号線駐車場から城跡に登ります。狭い道路ですが、会場設営のための車が出入りしていました。この場所へは後日、車で上ってみたいと思います。

当日はもちろん徒歩ですが、見た目より傾斜がきつくちょっぴり大変でした。

始めて入った城跡広場ですが、立派な石に浮牛城趾と刻まれた石碑があり、本丸跡の標識もありました。
広場中央に柵があり、小さな水たまり(池にしては小さいのです)がありました。はっきりとは読み取れませんでしたが、「梵字池」の名が確認できました。説明等がありませんので、名前の由来等は不明です。
第9回 浮牛城まつり

伊達藩 最北のまち口内

と き 平成27年8月16日(日)

ところ 岩手県北上市口内町・浮牛城址


殿様役 気仙 沼二郎さん(みちのくプロレス所属)

宮城県気仙沼市出身

第19代東北ジュニアヘビー級チャンピオン

※会場で頂いた資料より


浮牛城まつりを紹介するにはかなりのコマ数が必要になります。今回はそれぞれのテーマ毎にページを作成し、詳細を紹介したいと思います。テーマは四つにまとめましたので、それぞれのタイトルかサムネイル画像をクリックしてお進みください。
浮牛城領主行列、行列の所作を正確に行い進みます。 浮牛城領主行列・・・

浮牛城跡公園下の大手門入り口で隊列を整え、行列スタートの所作を行い、一歩一歩歩く所から始まります。

天候に恵まれ、絶好の条件の下でスタートする瞬間の様子です。

細かな所作を記録してみました。コマ数がかなり多くなります。
出迎えの儀、気仙沼二郎さんがふんする殿様に歓迎の挨拶をします。 出迎えの儀・・・

大名行列の行列団が浮牛城址に到着すると、出迎えの儀式が行われ、その中で「御祝い」が披露されます。

この御祝いは、男性の「謡」の途中に女性の「めでた」を継ぎ終わりが一緒になるという、口内地区でめでたい席で昔から歌い継がれてきたものです。

これは、浮牛城の殿様中島公が作ったと言われております。
行列退場、一切の行事が終了し所作を行いながら退場します。 行列退場・・・

一切の儀式が終了すると、最後の所作を披露し行列が退場します。

私が凄いなあと思ったことは、草履取りの若者達が殿様の前で草履を真上に高く投げ上げる仕草でした。

草履取りの役の方は、殿様の前に近づけないので、きちんと揃えて並ぶように投げるのが普通だったと言います。

真上ですが、ぽーんと投げ上げていました。
もち巻き、おなじみの場面です。私も拾いたかったのですが無理でした。 もち巻き・・・

一切の行事が終了すると、祝いの景気づけにもち巻きが行われます。

撮影している私の前にもばらばらと投げられますが、重いカメラを手にしていてはしゃがんで拾う事が出来ません。

残念ですが、レンズ目線で追いかけて撮影していました。