宮古港・試験艦「あすか」寄港に戻る
水上発射管・・・ 水上発射管は水上艦艇の露天甲板から数種類の魚雷を装填、発射し、潜水艦を攻撃する対潜攻撃武器です。 魚雷の発射は水中攻撃指揮装置等による遠隔発射と手動による機側発射があり、発射には火薬を使用せず、高圧空気を使用します。 試験艦あすかに装備されている水上発射管は、新型の魚雷を発射するため、特殊な改造が施されています。
宮古港開港400周年・・・ 1611年の慶長大津波をきっかけとして、1615年に南部藩の外港に定められた宮古港。開港400周年の2015年、東日本大震災からの復興に向けて、宮古市は新たな船出を迎えます。 1611年(慶長16年)の慶長大津波をきっかけとして、1615年(元和元年)に南部利直公により藩の港として定められたのが、宮古港の始まりです。南部第27代盛岡藩主、南部利直公は盛岡築城や城下町の整備、領内の安定など藩政の基礎をなし、慶長16年(1611)には、三閉伊の郡代として小本正吉を派遣して宮古に役所(後の代官所)を定めました(現在の市役所分庁舎付近)。 元和元年(1615)には、大津波による災害後の視察に宮古を訪れ、町割をして「本町」と命名しました。寛永年間には(1624-43)藩の御座船「宮古丸」と「虎丸」が配備され、寛永9年(1632)に新町と横町、田町、向町を設定し、宮古は当地方の政治・経済の中心に位置づけられていきました。 本町の宮古浄水場には、開港300年を記念して建立された「宮古開港記念碑」があります。 (※宮古市HPより) 巨大船好きの我が家のほっづぎ家族は、県内の港に入港する予定を見つけると都合の許す限り出かけています。昨年は同じ埠頭ですが潜水艦「うずしお」も入港しました。ちょっと遠いのですが、久慈港へは潜水艦救難母艦「ちよだ」を見学に出かけました。 今年の予定はもう終了したと思われますが、来年度の予定が今から期待されるところです。予定の許す限り走りたいと思います。