栗駒焼石ほっとライン散策ツアーに戻る


         散策ツアー・愛宕山神社         

ウチノメ屋敷 レンズの目 自然の表情 暮らしの表情 ウチノメアーカイブス
岩手の鍾乳洞 岩手の蘇民祭 ほっづぎある記 心のオアシス
ドキュメント マクロの目  

location:uchinome.jpトップ>暮らしの表情>催しアラカルト栗駒焼石ほっとライン散策ツアー>愛宕山神社

 サイトマップ


愛宕山頂上に建立されている神社を目指して一列になって上る様子

栗駒焼ほっとライン散策ツアー・愛宕山神社・・・

胆沢ダムに行く途中、愛宕地区を通り過ぎた道路の北側に愛宕山神社が鎮座しています。恥ずかしい話しですが、いつも通り過ぎる場所であり、神社の存在が分かっていました。しかし、何故か訪れたことがありませんでした。今回初めて現地を訪れたのですが、平地の15m程の岩山がご神体で有り、その頂上に社が祀られていました。

ガイドの渡辺さんのお話にありましたが、「いさわの民話と伝説」(胆沢町公民館編集)には愛宕盛りの由来の伝説に秋田三吉の超人的な大力の男の話が記載されてあります。それとなく目を通してみましたが、平地への富士山に似た石盛競争は夜明けと共に中断し、投げ出された石塊がこの地になったと言うことでした。どこにでも伝承されているお話ですが、お隣大東町の室根山も富士山に真似て造ったと言われています。

秋田三吉が一夜で岩山を築き、「愛宕さま」を造ったとの伝説が残っているが、創設の経緯は謎のまま・・・。地元の皆さんの手によって守られ、鳥居は新調したばかり。知る人ぞ知る、パワースポットとして訪れる人も増えています。

                                                           ※頂いた資料から



愛宕と愛宕社

愛宕は、元々は「愛宕原」と呼ばれ、松林と原野の拡がる所でした。江戸時代を通して、ここには一軒の民家も無く、明治になって、いくつかの分教場を統合して愛宕分教場(愛宕小学校の前身)が建設された頃から、ぽつぽつと民家が増加し始め、県道(現在の国道)を定期バスが走り始めると、この地域の中心地として「散居」の中の住宅密集地になり、現在に至っています。

愛宕の地名は、「愛宕さま」と呼ぶこの岩山の頂上に鎮座する「愛宕社」に由来します。昭和三十一年、増沢ダム建設に伴い、上衣川字増沢の愛宕社がここに合祀されました。「愛宕様」は、火防・火伏せや疫病除けの神様(権現様)として信仰されてきました。

愛宕コミュニティーのシンボルとして、平成十年、現在の形に整備されました。参道口から、三基の石碑が並んでいます。順に「馬頭観世音」、「愛宕岩供養」、「梵字(十一字)」碑です。
                                                    
                                      平成十一年三月 胆沢町   ※現地の案内板より


トップの画像は、愛宕山頂上に建立されている神社を目指して一列になって上る様子です。私は一番最後にいて、皆さんが上る様子を撮影していました。




現地案内人の渡辺さんより・・・

胆沢区愛宕山神社・・・ここは個人の所有です。代々の持ち物なんですが自分では管理できなくなったので、地元の人に何とかやって欲しいと言う話があって、平成十三年から私達有志が神社を守る会を造って・・・。

私達も神社について知らないのですが、胆沢町時代から文献などがあまりなかった。江戸時代の記録に神社があるという記録があったようです。

今から三百年ほど前のことで、ここに神社らしきものがあった。この神社は、ここから南の方に行った衣川松沢という所のダム建設に従って愛宕神社がこっちに持ってこられた。それで二つの神社が合わさった形で一つの神社としてやっている。平成十年までは下に衣川のお宮がありましたが、ここを整理した時に一緒に合わせた。

色んなイベント   七月には愛宕神社祭りをして、二歳未満のお子さんが一升餅   
関東地方から ここに集まって  力相撲にあやかって   地元の皆さんに集まって貰い賑やかな一日を過ごしております。

今年の八月には鳥居の方を新築・建立しました。たまたまどう言う訳か、東京の人たちが東北地方の巨石信仰という大きな石の信仰巡りというもので、ここが場所に選ばれて東京界隈の方々が40人近く参拝されて頂きいたことがありました。ここの造りというのが平土にただあるのでは無く、岩山が何故あるのか不思議なものだなあと言うことで見にいらしたようです。

こういう所に大人の方がいらっしゃることが珍しいので、若い方達の間でポケモンというがあるようなのですが、ここもスポットになって居るようで、若い男女がここに来て携帯をいじっている姿がそこそこ見受けられる様です。どんな形であれみんなに来て頂く場所でありたいなと思って居ます。

神社入り口にある新しい案内看板 神社入り口にある新しい案内看板です。

何気なく見たら、秋田三吉とは何のことか分からないと思います。渡辺さんのお話をお聞きし、民話の資料を読んでなるほどなと思いました。

今色んな意味で話題になっているポケモンですが、ここもスポットになっているとは・・・。

私には何のことか、話を耳にしても具体的には分かりませんので念のため・・。
愛宕と愛宕社についての紹介 愛宕と愛宕社について紹介されていました。

拡大画面にするとはっきりと読み取れます。
平地にある石の積み重なった丘と言えそうです 15m程の岩山上りが始まりました。一つ大きな岩では無く、かなり大きな岩石の固まりが積み重なった感じがします。

私なりに想像するに、この地を流れる胆沢川の前身が奥羽山脈の岩塊を浸食し、運んだのがこの地に溜まり、一つの固まりのようになったのかなあと思いました。

実際に上ってみた感じとして、なんでこの場所にこんな岩の固まりがと思いました。
かなり大きな岩石・花崗岩でしょうか かなり大きな岩石・花崗岩でしょうか、ごろごろと積み重なっています。
やっと上り着いた先頭集団の皆さん やっと上り着いた先頭集団の皆さんです。高さにして15m程ですからそれ程辛いことはありません。頂上まで岩石がごろごろしています。
ガイドの渡辺さん、皆さんは説明をしっかりとお聞きしていました。

頂上は尖った状態では無く、かなり平らな部分で覆われていました。それにしても、この石・岩石はどこからこの場所に来たのでしょうか。
頂上に生えている松の木の根 頂上に生えている松の木の根が素晴らしいのです。根と言うよりも幹に相当する太さです。

岩石の固まりに阻まれて、地下に伸びて行くことが出来なかった根です。幹のように、地面を這っているうちに太くなっていきました。そう思いたくなります。
祠の中の様子 不謹慎でしたが、祠の中を撮影しました。

大きな社の屋根状の形をした石が置かれ、石の斜面には七福神の顔と思えるお免状のものが置かれてありました。

いつもお灯明をかざしている場所には、一見してそれらしき跡が見られていました。
誰もいなくなった状態の祠 皆さんが下りて誰もいなくなった状態の祠です。

一緒に居られたガイドの亀井さんは、お灯明の火を消していました。

土台部分を見ると、うまい具合に土台と適当な大きさの石が組み合わせられていました。
頂上近くの岩石 頂上近くにも、このような大きさと変化に富んだ岩石が転がっています。

何かのはずみで、この岩石が崩落することがあれば、危険等という表現では治まりません。

今までの長い間に、崩落したということが無かったのでしょうか。地震が多いこの頃ですから気になります。
15m程の上空からの眺め 15m程の上空からの眺めになります。

高さの感覚とは面白いもので、下から見上げた時はそれ程感じなくても見下ろした時は違います。

岩石がごろごろしていますが、かなり土の部分も多く見えます。

遠い将来のことですが、土が雨で流れ落ちると岩石が崩れます。あくまでも遠い将来の話しですが・・。
愛宕神社の見学が終了しました ほっとした表情で鳥居から出てこられる亀井さんです。

画像のタイムスタンプで見ると、17分ほどお邪魔したことになります。

色んな事を知ったひとときでした。次からここを通る時は、ひょっこりと上ってみることがありそうです。
                     ページの先頭に戻る →